聖女と暴食

第四章 デスバイソンのラグーパスタ ⑤

わつぱ、我とアナセマのけいやくの内容は覚えているだろうな』


 いつものゆうめかした態度が消し飛んだ黒犬が、低くうなりながら俺をにらんでくる。いものをわせなければ、ふういんを破って暴れてやると俺をおどしているのだ。

 実体を持たない精神寄生体のくせに、相変わらずのきたなさである。


「心配しなくても、第七学区アザレアスの生徒会が動いてる。今どうしている輸送船には、特殊執行部隊インビジブル・ハンズが護衛につくそうだ」


 俺はうんざりしながら黒犬に説明した。


 特殊執行部隊インビジブル・ハンズは、第七学区アザレアス生徒会が動かせる最大の戦力だ。各隊員は単独でもB級下位のものげきできるし、小隊単位ならA級のものともかくにやり合える。第一小隊の隊長だった俺がけたのが不安材料だが、それでも百ぴき程度のものが相手ならどうにかなるだろう。


『だが、そうやって取り寄せた間に合わせの食材で、我を満足させる食事が作れるのか?』


 黒犬が、うたぐぶかい口調で俺にたずねてくる。

 べつにおまえを満足させるために食材を取り寄せたわけではないんだが、と俺が思わず本音をらしそうになったとき、リュシエラが我が意を得たりといわんばかりにポンと手を打った。


「使いちゃんの言うとおりだね。どのみち生徒会が配給する食料だけじゃ、躑躅つつじていのお客さんの期待に応えられる料理は作れない──というわけで、食材が足りなきゃ、自力で調達するしかないね」


 そう言って不敵にほほみながら、彼女は、その場にいた部員たちの顔を見回す。

 ミネオラが、仕方ないな、とかたをすくめ、


「……どうせ店も休みだし……」

「久々にりに行っちゃいますか」


 マコットはやれやれと首をりつつ立ち上がって、力強くこぶしげるのだった。


4


 銀色にかがやく月の光が、かれたかべすきからかたむいた船室にしこんでくる。


 砂の大地に横たわるようにもれた船の船室で、ティルティは、りようあしを投げ出すようにして鋼鉄製のかべにもたれていた。


「はぁ……はぁ……」


 えきれたくちびるすきから、息がれる。


 ティルティが身に着けているのは、男物のタクティカルジャケットだけ。制服はもちろん、シャツや下着すら身に着けていない。


 りようあしの付け根に手をばし、湿しめった谷間に指をわせる。あふしたみつが指先をらす。

 やがてティルティの身体からだが小さくふるえ、反り返った背中からゆっくりと力がけた。

 それからしばらくの間、船室にひびいていたのは、ティルティ自身のあらい呼吸音だけだった。


「……ハル……切ないよ、ハル……」


 ジャケットのえりもとに顔をうずめ、消え残るにおいをぎながらティルティは独りごちる。


 だが、その呼びかけに応える者はいない。


 ティルティがいるのは、第七学区アザレアスから百キロ以上もはなれたこうのド真ん中。ものの群れにおそわれてしようした、食料輸送船の中なのだ。

 船といっても海上ではなく、どう技術によってじようして地上を航行するどう船である。

 荷室にまんさいされていた食料はもう残っていない。船をしゆうげきしてきたものたちによって大半はわれ、あるいはくされたのだ。


 それでも船員用のかんづめや非常食などは残っている。

 りよくを流してやれば、シャワーだって使える。ティルティ一人が一週間ばかり生活するには、それなりに快適なかんきようだ。


 そして船をしゆうげきしたものたちがもどってきて、ティルティをおそう心配もなかった。


 なぜなら彼らはティルティがけいやくした〝〟の支配下にあるからだ。ものあざむき、支配すること──それがほのおあやつる〝〟の、もうひとつの権能なのだ。彼はその権能を使って、アンデッド化した第二十六学区ペンタス陸戦隊の生徒たちをあやつっていたらしい。


 ただし、その支配力はあまり強力なものではない。〝〟が言うには、じゆつに近い性質の能力なのだそうだ。

 こうげき対象を指示したり、おおざつな命令をあたえることはできるが、思いどおりにあやつったり、ものの本能に逆らうような行動を強制することは不可能だという。


 そのぶん効果はんは広く、ほとんどりよくを消費することなく、一度に千体をえるものあやつることができる。

 それに、複雑な命令はできなくても、生徒を殺すなという程度の指示に従わせることは可能だった。ティルティにとってはそれでじゆうぶんだ。


 ものたちに食料輸送船をおそわせたのは、それが〝暴食の悪魔ベエルゼブブ〟とじよおびせるのにもっとも効果的だと〝〟に言われたからだ。


 第七学区アザレアスうらみがあるわけでも、第七学区アザレアスの生徒を殺したかったわけでもない。ティルティが第七学区アザレアスはなれて、しよう船の中で生活しているのも、無関係の生徒を巻きこまないためなのだった。


「っ……!」


 長い一人遊びを終えてシャワーを浴びていたティルティは、ほかのだれかの視線を感じて、はだかのままかえる。


 月明かりの下、窓辺に立っていたのは純白の小さなねこだった。

 やみの中で、大きなひとみだけが不自然に赤くかがやいている。強いりよくかがやきだ。


のぞなんてしゆが悪いわよ、フラウロス」

『済まないね、マイ・レディ。急ぎの用だ』


 しろねこが、気取った口調でティルティに答える。


「また新しい輸送船でも見つけた?」

『そうだね。今度は同じ航路に時間差で二せきだよ。ごていねい第六学区レドクローバの輸送船にそうするという念の入れようだ』

りないわね、こうばい部も」


 ティルティがあきれたように小さくしつしようした。

 ものの群れが第七学区アザレアスの輸送船だけをねらうと知って、わざわざ船をり直したらしい。無意味だが、その努力だけは評価するべきなのだろう。


『おまけに船には護衛がついているらしい。おそらくきみが特殊執行部隊インビジブル・ハンズと呼んでいた連中だ』

「さすがね、生徒会長。対応が早い……」


 今度はティルティも真顔になってつぶやいた。


 特殊執行部隊インビジブル・ハンズは、第七学区アザレアスの生徒会が保有する最強の手札だ。ユミリ・アトタイルはしみすることなく、いきなりそれを切ってきた。


 きよう度がB級上位にも満たないものたちでは、たとえ百体いても彼らには歯が立たないだろう。

 だがそれは、ティルティが望んだ展開ではない。アナと〝暴食の悪魔ベエルゼブブ〟をおびすためにも、第七学区アザレアスにはえてもらわなければ困るのだ。


「いいわ、それならこちらも相応のお持てなしを用意しないとね」


 ティルティはれたままのはだかの胸に、自分の右手を押し当てた。


 ややつつましやかな胸のふくらみのはざ、心臓の上にえがかれたほうじんがり、人間のものではあり得ないのうみつりよくがる。

 やがてそのりよくかたまりは、一りのつえの形になった。ティルティの身長よりもやや長い、美しくそうしよくされた純白のほうじようだ。


 ティルティはそのつえかかげて目を閉じる。ほうじようを通して放たれたのは、音にたとえるならけものとおえを思わせるかいりよくの波動だった。〝さいやく〟の力だ。


 まがまがしい圧力を持ったその波動を、ティルティはせいに織り上げて全方位へと送り出す。


 ティルティが発動したのは支配のほうじゆうせんどうし操作する、〝〟の権能だ。

 第七学区アザレアスが輸送船の護衛戦力を増強したのなら、それを上回る戦力をぶつければいい。より多くのものたちを。そしてより強力なものたちを。


 死人をけいやく者にしていたころに比べれば、今の〝〟の力はやく的に増している。

 なによりティルティのほうせいぎよ能力は、〝〟の目から見てもたくえつしたものだった。