『何度見ても驚きますね。まさか使い魔の力を借りることなく、私の能力をこれほどまでに使いこなすとは──』
杖を構えたティルティを見て、白猫が感嘆の声を出す。
「当然よ。ハル以外の使い魔なんて要らないわ。私が欲しいのは、彼だけだもの」
『ふむ。〝暴食〟の契約者の使い魔ですね』
「驚いたわ。まさか、アナさんが魔女として、ハルを支配していたなんて」
ティルティの瞳に怒りの色が浮いた。
〝災厄〟の魔女アナセマは、〝暴食の悪魔〟の力でハルの精神を支配している──白猫はティルティにそう言ったのだ。そしてティルティには、その言葉を否定する動機も根拠もなかった。
「おかしいと思ったのよ。ハルが私に黙って生徒会を辞めて、学食部なんかに移籍するなんて。でも、〝災厄〟の力で支配されていたのなら、納得だわ」
『そうでしょうね。ですが、今の貴女になら、それが真実だということもわかるはず』
「ええ。そうね」
白猫の言葉に、ティルティはうなずく。
ティルティの目的は、最初からなにも変わっていない。ハルを生徒会執行部に連れ戻す──それだけだ。そのためにアナと契約している〝災厄〟を滅ぼし、ハルを彼女の支配から解き放たなければならないのだ。
「本当にアナさんと契約している〝災厄〟を滅ぼせるのね、フラウロス?」
『貴女の力があれば、間違いなく』
ティルティの疑問に、白猫は力強く言い切った。
『我ら〝災厄〟は喰らうことで相手の力を奪い、成長するのです』
「〝暴食の悪魔〟だっけ? アナさんと契約している〝災厄〟の力を奪うことがあなたの目的なのね?」
『ええ。そして〝暴食〟が滅びれば、貴女の想い人を縛っている枷は消滅する。私との契約は、貴女にとっても利のある取り引きだといえるでしょう』
白猫が、ティルティの耳元で囁くように告げてくる。
しかしティルティは表情を変えることなく、自分が握る宝杖を冷ややかに見下ろした。
「〝暴食の悪魔〟を滅ぼして、それからあなたはどうするの?」
『ふふ……それを気にするとは、やはり貴女はいい』
「誤魔化さないで」
『いえいえ。誤魔化しているわけではありませんよ。貴女の不安は、目的を果たした私が貴女の制御を離れて、人類に害を為すことでしょう?』
ティルティは、白猫の質問に沈黙で答えた。
この口の回る〝災厄〟が自分の味方だと、ティルティは本気で信じているわけではなかった。
そして意外なことに〝豹頭の悪魔〟は、自分が疑われていることを自覚していたらしい。しかしそれでも構わず白猫は続ける。
『我ら〝災厄〟は、人類の敵ではありません。なぜなら我々は、人の欲望を叶えるために生み出された存在だからです』
「〝災厄〟は、旧人類を滅ぼした魔導兵器だといわれてるけど?」
『その情報は、真実なのですか? 天人種族がそう主張しているだけなのでは?』
「それは……そう……だけど……」
白猫の意外な反論に、ティルティは虚を衝かれた気分になった。
〝災厄〟が危険な魔導兵器という情報は、すべて天人種族によってもたらされたものだ。
なぜならティルティが生まれたときにはすでに旧人類は滅びており、天人種族の発言を疑う理由も、真実を確認する機会もなかったからだ。
こうして実際に〝災厄〟と接触することがなかったら、その情報を疑うことすら思いつかなかっただろう。
『我ら〝災厄〟は、人の欲望を叶える形でしか力を使えない。そのことは、私の契約者である貴女が誰よりもよく理解しているのではありませんか?』
「だったら、どうしてあなたは〝暴食の悪魔〟を滅ぼそうとしているの?」
『それは彼の者が例外だからですよ』
「例外?」
『ええ。彼の者の目的はすべての〝災厄〟の力を喰らって、世界を滅ぼす最強最悪の存在──〝終末〟へと至ることなのですから。それゆえに彼の者と契約した魔女はこう呼ばれているのですよ、忌まわしきもの、と』
そこまでひと息で語ったあと、白猫は不意に沈黙した。
そしてティルティから目を逸らし、遠くを見るように目を細める。
「どうしたの、フラウロス?」
『我々が支配した魔物の一体が、例の使い魔と接触したようです』
「使い魔? ハルのことを言ってるの?」
ティルティは不機嫌そうに目を眇めた。
こともあろうにハルを使い魔にしているのは、〝暴食の悪魔〟の契約者たるアナである。それはティルティにとって許すべからざる事実だった。ティルティがアナを敵視するには、それだけでもう充分だ。
「そう……学食部は、食材調達のために第七学区の外に出たのね」
第七学区で食料品が不足すれば、食材にこだわる学食部は、必ず学区の外に出て狩りをする。ティルティが予想したとおりの行動だった。
学区外なら、〝豹頭の悪魔〟の武器である支配の権能が使える。
魔物たちを扇動してアナを襲わせることができるのだ。
そして魔物たちの敵に回る可能性がある第七学区側の戦力は、輸送船の護衛として遠く離れた場所へと追いやった。ティルティの邪魔をする者はもういない。
「決着をつけましょう、アナさん……ハルは返してもらうから」
宝杖を握りしめたまま、ティルティは素肌にハルのジャケットを羽織る。
それからティルティは小さな魔法を発動した。シャワーで濡れた髪を乾かすシンプルな魔法。
それは幼かったころのハルが、彼女のために創り出してくれたものだった。
5
廃墟と化した旧世界の都市に、猛々しい咆哮が響き渡る。
土煙を巻き上げながら現れたのは、太古の大型野生動物、エラスモテリウムに似た姿を持つ魔物だった。体長六メートルを超える巨大なサイの近縁種だ。
「来た来た来た来た来た! 大物だぁー!」
サイもどきの魔物に追われていたマコットが、ビルの壁面を蹴って加速する。
ウェイトレス衣装風の戦闘服を着た彼女の両手には、くないに似た黒い短剣が握られていた。
彼女が投擲したその短剣が風属性魔法を纏いながら加速して、サイもどきの顔面を直撃する。
強靱な外皮に覆われた魔物にダメージを負わせるほどの威力はなかったが、相手を挑発するという役目は果たした。マコットの仕事は囮となって、魔物を狩り場まで引き連れてくることだったのだ。
「……マコット、離れて……」
ミネオラの魔法通信を聞いたマコットが、慌てて魔物との距離を取る。
妹を追うために加速した魔物の鼻先へと、廃墟の窓から飛び降りてきた姉が巨大な戦鎚を叩きつけた。
そして一瞬怯んだ魔物の首筋を狙って、瓦礫の陰から飛び出してきたラフテオが戦斧を叩きこむ。分厚い戦斧の刃は、魔物の首に深々とめりこみ、強靱な頸骨を断ち切った。
魔物はそのまま惰性で何歩か進み、そこで力尽きたように横向きに倒れる。
血塗れの戦斧を引き抜いて、ラフテオは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
一撃で魔物の首を斬り落とせなかったことに、不満を感じているらしい。
「ちっ……久々の狩りだから、鈍ってやがるな……」
「いえ。お見事です、料理長」