学食部員のマイ・イノクラが、冷静な口調でそう言った。
調理助手の彼女は、料理人としてのラフテオに心酔しているのだ。
愛用のチェンソーを構えたマイは、そのまま流れるように魔物解体作業へと移行する。
普段は無表情な彼女の頰がほんのりと桜色に上気して、その口元には艶やかな笑みが浮かんでいた。彼女は魔物の解体作業が好きなのだ。
「──学食部の狩りというのは、普段からこんな感じなのか?」
ラフテオたちの狩りの様子を見ていた俺は、渋い表情を浮かべてリュシエラに訊いた。
仲間を囮に使ったことや、安全を度外視した無謀な奇襲攻撃など、戦術的には決して褒められた戦い方ではない。
しかし参加した個人の戦闘能力が高いせいで、すこぶる効率的なのも事実だった。実際、そのやり方でラフテオたちは成果を出しているのだ。
「こんな大人数で狩りに出るのは久々だからね。みんな張り切ってるんじゃないかな」
リュシエラは魔法で炙った燻製肉を嚙みながら、他人事のような口調でそう言った。
部員たちの実力を信頼しているのか、彼女はラフテオたちの狩りには加わらず、キャンピングチェアに座ってのんびりとくつろいでいる。
「デスライノ……これで三体目だな?」
「うん。うちの店で出すぶんは、二週間くらいはこれだけでいけそうだけどね。第七学区全体の需要を賄うには、全然足りないかな」
俺の呟きにリュシエラが答える。
学食部の遠征としては、ひとまずの目的を果たした形だが、第七学区の食料不足は深刻なのだ。食用となる魔物を狩れば狩るだけ、それらを高値で売りさばける。
赤字に悩む学食部としては、この機会を逃すわけにはいかない。
「しかし魔物との遭遇率が低いな。俺の気のせいかもしれないが」
俺はここ数日の記憶を辿って、感じていた疑問を口にした。
「ううん、気のせいじゃないと思うよ。もしかしたら例の魔物暴走もどきの影響かもね」
「このあたりに棲息していたはずの魔物が、輸送船を襲うために移動したということか」
第七学区の食料輸送船を襲った魔物の群れは、中型や大型のものだけで百体を超えていたという。それだけの数の魔物たちが一箇所に集まれば、当然、ほかの場所にいる魔物の数は減るだろう。
つまり魔物暴走もどきに参加した魔物たちは、どこかで大量発生したわけではなく、船を襲うという目的をもって自発的に集まったということになる。
「あり得ないとは言わないが、自然現象とは思えないな」
「同感だねえ。少なくとも普通の魔物暴走で魔物の分布が変わったなんて話は聞いたことがないよ。やっぱり誰かに集められたと考えたほうが自然かな」
リュシエラが俺の言葉に同意する。
のんびりとした口調に騙されそうになるが、彼女は鋭い。リュシエラは、魔物たちの輸送船襲撃が人為的に引き起こされた災害──あるいは、攻撃だと考えているのだ。
しかし百体以上の魔物を同時に操るとなると、個人の持つ固有能力の枠を超えている。数十人がかりの儀式魔法でも再現は困難だろう。
それを実現するのは、おそらく〝災厄〟レベルの力が必要だ。
「〝災厄〟……」
俺の脳内に、なにかが一瞬だけ引っかかるような感覚があった。
だが、そんな俺の思考は、突然のアナの声にかき消される。
「お昼ごはん、できました! デスバイソン肉のラグーパスタです」
廃墟の街には不似合いなフリルつきの割烹着を身に着けたアナが、野外用の大きな寸胴鍋を運んでくる。
寸胴鍋の中身は、ラグーソース。挽肉と野菜にすりつぶしたトマトを加えて煮込んだ、濃厚な肉主体のシチューである。
「デスバイソン肉……昨日狩ったばかりのデスバイソンをもう使ったのか?」
アナが運んできた鍋の中身をのぞいて、俺は少し驚いた。
「そうですね。本当だったらデスバイソンのお肉は、半月から一カ月くらい熟成させたほうがいいそうです。ですが、今回は部長さんが固有能力でお肉の熟成をやってくれたので」
「肉を熟成した? 時間操作系の固有魔法? そんなものを料理に使ったのか!?」
俺は驚いてリュシエラを見た。
時間操作は、俺の空間魔法以上に貴重な固有能力だ。そんな力を、ただの昼飯を作るために使用するなど、常識に照らしてあり得ない話だ。
しかしリュシエラは、なに食わぬ表情で小さく肩をすくめ、
「まあ減るものじゃないし、利用できるものは利用しないとね」
「はい。おかげで美味しいラグーソースが出来ました。麺が伸びる前に食べちゃってください。あ、スープもありますよ。デスバイソンのフォンドボーで作ったオニオングラタンスープです」
アナは自慢げにそう言って、もうひとつの鍋を取りに行く。
狩りを終えたマコットたちも、ちょうど戻ってきたところだった。
「わっ! お昼ご飯だ! やったあ、お腹空いてたんだよ」
「アナ……聖水出して。手を洗いたい」
「任せてください」
ミネオラのリクエストに応えて、アナがダバダバと掌から聖水を垂れ流す。
それで埃にまみれた手を洗う双子姉妹。魔道具師や医療関係者が見たら卒倒しそうな光景に、俺は激しい頭痛を覚えた。
アナのせいで感覚が麻痺しそうになるが、聖水とは本来、同じ重量の金よりも高価な戦略物資なのである。
『ふむ……悪くないな。牛骨のダシがよく利いている』
食事の支度が終わった直後、真っ先に料理に手をつけたのはもちろん黒犬のゼブだった。
実体を持たない霊体のはずなのに、皿に盛られた数人分のパスタを意地汚くガツガツと食べ漁る。
「喰うか喋るかどちらかにしろ」
『ふっ、愚かな。我ほどにもなると、喋りながらパスタを啜るなど造作もないことよ』
「威張れたことか。口の端からこぼれているぞ」
「仲いいねえ、きみたち」
言い争う俺と黒犬を眺めて、リュシエラがクスクスと笑い出す。
あまりにも心外な彼女の評価に、俺は無言で唇を歪めた。
そのときリュシエラの胸元の通信機が、ガガッ、と耳障りな騒音を放つ。
戦闘中の魔法通信に特有の干渉ノイズだ。通信機の近くで使われた攻撃魔法の魔力の余波が、雑音となって通信に紛れこんだのだ。
「このコールサイン……執行部隊の専用回線か?」
途切れ途切れに聞こえてくる音声の中に、俺のよく知る符牒が混じっている。特殊執行部隊が作戦行動中に使う識別信号だ。
「周波数が被ったのかな? 偶然だね」
「暗号化された魔法通信の中身が、たまたま聞こえてくるわけないだろ!?」
とぼけようとするリュシエラを俺は睨む。
この女は、秘匿された特殊執行部隊の無線通信を、普段からラジオ代わりに盗聴していたらしい。
そういえば彼女は、特殊執行部隊が調査していた落下物の近くで、俺やアナと出会ったのだった。
今となってはあれが本当に偶然だったのか、猛烈に疑わしくなってくる。
しかし俺がそのことについて、彼女を問い詰めることはできなかった。
聞こえてきた執行部隊の魔法通信が、衝撃的な内容だったからだ。
『──ハンズ4より司令部! 一三二〇、ディオーネ地区ルート六四にて、第七学区購買部輸送船〝ベネラ〟が魔物の大群と遭遇。襲撃を受けています。遭遇した魔物は龍種を含む大型二百体以上。現在は執行部隊第一小隊第二班が交戦中。至急、応援を要請します!』
「龍種!? 大型二百体以上だと……!?」
ラフテオが、使っていたフォークをへし折りながら立ち上がる。
龍種は、仮に下位種でも脅威度A級以上の魔物だ。特殊執行部隊の精鋭たちでも、容易く斃せる相手ではない。
「ディオーネ地区……助けに行くにしても、ちょっと遠い……」
「なんで助けに行く話になっているのよ。近くにいたら逃げるでしょ」
ミネオラとマコットの双子姉妹がそれぞれ感想を口にする。どちらの言葉も正論だ。
しかし特殊執行部隊と購買部輸送船の受難は、それで終わりではなかったらしい。