聖女と暴食

第四章 デスバイソンのラグーパスタ ⑨

 ティルティが俺をうらんでいたといわれれば、なつとくできなくはない。彼女とは十年以上の長い付き合いだ。俺が自分でも気づかないうちに、彼女のうらみを買っていた可能性はあるだろう。


 しかしティルティがアナと知り合ったのは、ほんの十日ほど前のことだ。〝さいやく〟の力を借りてまで、アナをはいじよしようとする理由はないはずだ。


「あの……それは、なんと言いますか……ハルくん、もしかして本当にわかってないですか?」


 なぜかアナは言葉に困ったように、視線をうろうろと彷徨さまよわせた。


『よもやこの期におよんで理解してなかったとはな……』


 黒犬があわれむような目つきで俺を見上げてくる。


 知った風な口をたたくその〝さいやく〟を、俺はげんな顔でにらみつけた。まさか人間関係のについて、どう兵器にまで馬鹿にされるとは思わなかったのだ。


 げきじゆうの十発入りマガジンを三回こうかんしてすべてくしたところで、ようやくよくりゆうの群れがぜんめつした。しかしアースワームはまだ生き残っている。


 地中を移動するアースワームには、俺のかみなりほうも効果がうすい。どうやってたおすか考えていると、新たなものの気配が近づいてきた。


 大型のものが十数体。りゆう種こそいないが、きよう度がB級上位以上のきようあくものばかりだ。


 先頭にいるのは大型のけん。そいつをたおすためのアサルトライフルをしようかんしたところで、俺はけんの背中に人間が乗っていることに気づく。


 見覚えのあるジャケットを着た、長いきんぱつの女子生徒だ。すらりとした長身と勝ち気そうなぼう。俺のよく知っている顔である。


「ようやく会えた、ハル」


 たんせいな顔でほほみながら、ティルティが告げた。

 彼女は純白のほうじようを構え、そのせんたんをアナへと向ける。


「待ってて。すぐにそのじよを殺して、あなたを生徒会に連れもどしてあげるから」


 にんげんばなれしたぼうだいりよくをまとったティルティの腰には、二本のけものしつが生えている。

 そして彼女のかたに乗っていたのは、しんひとみを持つ純白のねこだった。


6


「ティルティ……なのか?」


 けんまたがった女子生徒に向かって、俺はかたい声で呼びかけた。


 彼女の顔を、俺が今さら見誤るはずがない。それでもかくにんせずにいられなかったのは、目の前の少女のふんが、俺の知っているティルティとはまるで別人だったからだ。


 ティルティが身に着けているのは、男物のタクティカルジャケットとブーツだけ。

 制服どころか下着すら身に着けている気配がない。はだけたジャケットのすきからは、つつましやかな胸の谷間と、下腹部のうすしげみがのぞいている。


 それでいてかみがたやメイクだけはしっかりと整えていることにかんがあった。彼女は決してぼうになっているわけでも、正気をなくしているわけでもないのだ。


「おまえ、そのかつこうはどうしたんだ?」


 俺は顔をしかめたままティルティにいた。


「ふふ……似合う? ハルがくれたのよね、このジャケット」

「ジャケットはべつにいいんだが……」


 ティルティの返事に、俺は小さくためいきをつく。

 彼女が俺のジャケットを着ている理由よりも、知りたいことはほかにたくさんあった。

 たとえばジャケットのすそからはみ出している、二本のけものしつのことだ。


「ねえ、ハル。あなたは知ってたの? アナさんがあくけいやくしたじよだということを」

「それは、おまえも同じだろ、ティルティ」


 俺は構えていたじゆうじゆうこうを、彼女のかたに乗っているねこに向けた。

 もはや言葉でかくにんするまでもなかった。その純白のねこからは、アナの黒犬と同じ気配を感じる。ちがいなくそれが〝〟なのだろう。


「今すぐそいつからはなれるんだ、ティルティ。おまえは〝さいやく〟を体内にふういんしてるわけじゃない。けいやくして、そいつとえんを切れ」

「ごめん、ハル。それはできないの。だって私は、あなたをもどさなきゃいけないから!」

「ティルティ……!」


 きんぱつの少女がかかげたほうじようから、まがまがしいりよくした。

 第七学区アザレアスの大火災の夜に見たのと同じ、〝さいやく〟の力だ。


 しかしあの夜とは、りよくの密度やほうせいさがだんちがいに向上している。ティルティのほうせいぎよ能力が、〝〟の本来の力を引き出しているのだ。


 きよだいばくえんが、俺たちを巻きこむようにしてちやくだんした。

 アナが聖属性ほうの【しようへき】を発動。そのアナをかかえて、リュシエラがほのおの射線から退たいする。


 俺も、ばくえんけて前方にぶ。ほのおに巻きこまれることはなかったが、結果的にアナたちとは分断される形になった。ティルティの放ったばくえんは、高さ数メートルのほのおかべになって俺を囲い込んだのだ。


『〝〟のほのおか。けいやくしたばかりで、〝さいやく〟の力をここまで使いこなすとは、やるな、あのけいやく者』

「感心してる場合か!」


 のんびりと論評する黒犬を、俺は八つ当たり気味にりつけた。


「アナは無事か!?」

『問題ない。アナセマのしようへきは〝さいやく〟のこうげきに対して無敵に近いぼうぎよ力があるからな。この程度のほのおでは、だんぼうの代わりにもなるまい』

「〝さいやく〟のこうげきに対しては無敵、か。ものこうげきに対してはどうだ?」


 俺は黒犬にき返す。

〟の権能はほのおだけではない。むしろ危険性でいえば、押し寄せて来た数百体のものたちのほうがはるかにやつかいだ。


『ふむ……まずいかもしれんな』


 俺の質問の意図を理解して、黒犬はきよせいを張ることなく正直に答えた。

 ごとのように冷静な口調だ。


「そもそもどうしておまえが俺といつしよにいるんだ。アナを守れ!」

『ふっ……今の我に、彼奴あやつを守る力があると思うか!?』

「なぜそこはかとなくえらそうなんだ、おまえは……!」


 俺はだつりよく感を覚えながら首をった。

 たしかに今の〝暴食の悪魔ベエルゼブブ〟がアナといつしよにいたからといって、なにかの役に立つという未来は見えない。俺といつしよにいたとしても役立たずなのは同じだが。


『それにふういんうつわであるアナセマの肉体がほろぶのは、我にとって必ずしも不都合ではないからな。いかにけいやく者とはいえ、我にアナセマを守る義務はないぞ?』

「そうだったな」


 俺は乱暴に舌打ちしてうなずいた。

 しょせんこいつはあくなのだ。いつしゆんでもこんなものに期待したのがちがいだった。


「アナと合流するぞ」


 行く手をはばほのおかべにらんで、俺は風属性ほうの【ふんしん】を発動しようとした。ほのおかべを、えようと考えたのだ。


 だが、そんな俺の目の前でほのおかべが割れて、きよだいものが姿を現す。きよじん種だ。

 俺とアナの合流をじやするために、〝〟は支配下のものほのおかべの内側へと呼び寄せたらしい。


一つ目巨人サイクロプスか。クソ、やつかいものを……!」


 出現したものを見上げて、俺は悪態をつく。


 サイクロプスのきよう度はA級下位。ぜんぱん的にきよう度の高いきよじん種の中でも、一つ目巨人サイクロプスは特にやつかいな相手だ。彼らの全身をおおう分厚い外皮は、鋼鉄をもしのぐ強度を持っており、さらに高いほうていこう力を持っている。人間のよろいにも似たその外見から、一つ目巨人サイクロプスの達人だという伝説が生まれたほどである。


 今の俺が持っている手札の中で、そのぼうぎよつらぬける武器は多くない。だからといって、こんなところで時間をろうするゆうもない。


「俺にこいつを使わせるのがねらいか、ティルティ……!」


 俺はからしようかんした。