ティルティが俺を恨んでいたといわれれば、納得できなくはない。彼女とは十年以上の長い付き合いだ。俺が自分でも気づかないうちに、彼女の恨みを買っていた可能性はあるだろう。
しかしティルティがアナと知り合ったのは、ほんの十日ほど前のことだ。〝災厄〟の力を借りてまで、アナを排除しようとする理由はないはずだ。
「あの……それは、なんと言いますか……ハルくん、もしかして本当にわかってないですか?」
なぜかアナは言葉に困ったように、視線をうろうろと彷徨わせた。
『よもやこの期に及んで理解してなかったとはな……』
黒犬が哀れむような目つきで俺を見上げてくる。
知った風な口を叩くその〝災厄〟を、俺は不機嫌な顔で睨みつけた。まさか人間関係の機微について、魔導兵器にまで馬鹿にされるとは思わなかったのだ。
狙撃銃の十発入り弾倉を三回交換してすべて撃ち尽くしたところで、ようやく翼竜の群れが全滅した。しかしアースワームはまだ生き残っている。
地中を移動するアースワームには、俺の雷魔法も効果が薄い。どうやって倒すか考えていると、新たな魔物の気配が近づいてきた。
大型の魔物が十数体。龍種こそいないが、脅威度がB級上位以上の凶悪な魔物ばかりだ。
先頭にいるのは大型の剣歯虎。そいつを倒すためのアサルトライフルを召喚したところで、俺は剣歯虎の背中に人間が乗っていることに気づく。
見覚えのあるジャケットを着た、長い金髪の女子生徒だ。すらりとした長身と勝ち気そうな美貌。俺のよく知っている顔である。
「ようやく会えた、ハル」
端整な顔で微笑みながら、ティルティが告げた。
彼女は純白の宝杖を構え、その先端をアナへと向ける。
「待ってて。すぐにその魔女を殺して、あなたを生徒会に連れ戻してあげるから」
人間離れした膨大な魔力をまとったティルティの腰には、二本の獣の尻尾が生えている。
そして彼女の肩に乗っていたのは、深紅の瞳を持つ純白の猫だった。
6
「ティルティ……なのか?」
剣歯虎に跨がった女子生徒に向かって、俺は硬い声で呼びかけた。
彼女の顔を、俺が今さら見誤るはずがない。それでも確認せずにいられなかったのは、目の前の少女の雰囲気が、俺の知っているティルティとはまるで別人だったからだ。
ティルティが身に着けているのは、男物のタクティカルジャケットとブーツだけ。
制服どころか下着すら身に着けている気配がない。はだけたジャケットの隙間からは、慎ましやかな胸の谷間と、下腹部の薄い茂みがのぞいている。
それでいて髪型やメイクだけはしっかりと整えていることに違和感があった。彼女は決して自暴自棄になっているわけでも、正気をなくしているわけでもないのだ。
「おまえ、その恰好はどうしたんだ?」
俺は顔をしかめたままティルティに訊いた。
「ふふ……似合う? ハルがくれたのよね、このジャケット」
「ジャケットはべつにいいんだが……」
ティルティの返事に、俺は小さく溜息をつく。
彼女が俺のジャケットを着ている理由よりも、知りたいことはほかにたくさんあった。
たとえばジャケットの裾からはみ出している、二本の獣の尻尾のことだ。
「ねえ、ハル。あなたは知ってたの? アナさんが悪魔と契約した魔女だということを」
「それは、おまえも同じだろ、ティルティ」
俺は構えていた銃の銃口を、彼女の肩に乗っている猫に向けた。
もはや言葉で確認するまでもなかった。その純白の猫からは、アナの黒犬と同じ気配を感じる。間違いなくそれが〝豹頭の悪魔〟なのだろう。
「今すぐそいつから離れるんだ、ティルティ。おまえは〝災厄〟を体内に封印してるわけじゃない。契約を破棄して、そいつと縁を切れ」
「ごめん、ハル。それはできないの。だって私は、あなたを取り戻さなきゃいけないから!」
「ティルティ……!」
金髪の少女が掲げた宝杖から、禍々しい魔力が噴き出した。
第七学区の大火災の夜に見たのと同じ、〝災厄〟の力だ。
しかしあの夜とは、魔力の密度や魔法の精緻さが段違いに向上している。ティルティの魔法制御能力が、〝豹頭の悪魔〟の本来の力を引き出しているのだ。
巨大な爆炎が、俺たちを巻きこむようにして着弾した。
アナが聖属性魔法の【障壁】を発動。そのアナを抱えて、リュシエラが炎の射線から退避する。
俺も、爆炎を避けて前方に跳ぶ。炎に巻きこまれることはなかったが、結果的にアナたちとは分断される形になった。ティルティの放った爆炎は、高さ数メートルの炎の壁になって俺を囲い込んだのだ。
『〝豹頭の悪魔〟の炎か。契約したばかりで、〝災厄〟の力をここまで使いこなすとは、やるな、あの契約者』
「感心してる場合か!」
のんびりと論評する黒犬を、俺は八つ当たり気味に怒鳴りつけた。
「アナは無事か!?」
『問題ない。アナセマの障壁は〝災厄〟の攻撃に対して無敵に近い防御力があるからな。この程度の炎では、暖房の代わりにもなるまい』
「〝災厄〟の攻撃に対しては無敵、か。魔物の攻撃に対してはどうだ?」
俺は黒犬に訊き返す。
〝豹頭の悪魔〟の権能は炎だけではない。むしろ危険性でいえば、押し寄せて来た数百体の魔物たちのほうがはるかに厄介だ。
『ふむ……まずいかもしれんな』
俺の質問の意図を理解して、黒犬は虚勢を張ることなく正直に答えた。
他人事のように冷静な口調だ。
「そもそもどうしておまえが俺と一緒にいるんだ。アナを守れ!」
『ふっ……今の我に、彼奴を守る力があると思うか!?』
「なぜそこはかとなく偉そうなんだ、おまえは……!」
俺は脱力感を覚えながら首を振った。
たしかに今の〝暴食の悪魔〟がアナと一緒にいたからといって、なにかの役に立つという未来は見えない。俺と一緒にいたとしても役立たずなのは同じだが。
『それに封印の器であるアナセマの肉体が滅ぶのは、我にとって必ずしも不都合ではないからな。いかに契約者とはいえ、我にアナセマを守る義務はないぞ?』
「そうだったな」
俺は乱暴に舌打ちしてうなずいた。
しょせんこいつは悪魔なのだ。一瞬でもこんなものに期待したのが間違いだった。
「アナと合流するぞ」
行く手を阻む炎の壁を睨んで、俺は風属性魔法の【噴進】を発動しようとした。炎の壁を、飛び越えようと考えたのだ。
だが、そんな俺の目の前で炎の壁が割れて、巨大な魔物が姿を現す。巨人種だ。
俺とアナの合流を邪魔するために、〝豹頭の悪魔〟は支配下の魔物を炎の壁の内側へと呼び寄せたらしい。
「一つ目巨人か。クソ、厄介な魔物を……!」
出現した魔物を見上げて、俺は悪態をつく。
サイクロプスの脅威度はA級下位。全般的に脅威度の高い巨人種の中でも、一つ目巨人は特に厄介な相手だ。彼らの全身を覆う分厚い外皮は、鋼鉄をも凌ぐ強度を持っており、さらに高い魔法抵抗力を持っている。人間の鎧にも似たその外見から、一つ目巨人は鍛冶の達人だという伝説が生まれたほどである。
今の俺が持っている手札の中で、その防御を貫ける武器は多くない。だからといって、こんなところで時間を浪費する余裕もない。
「俺にこいつを使わせるのが狙いか、ティルティ……!」
俺は亜空間収納から電磁投射砲を召喚した。