にもかかわらず、彼女はやはりティルティ本人としか思えなかった。
態度や雰囲気や言葉遣いの端々に普段のティルティの面影があるし、なによりも彼女が痴女めいた発言をしたところで、誰かの利益になるとは思えなかったからだ。
「ねえ、聞いてるの、ハル! 私はあなたに性行為をして欲しいって言ってるの! あの魔女より先に私を抱いて! あの子より、私のほうを愛してるって証明してみせてよ!」
「待て、ティルティ……」
彼女と至近距離で睨み合ったまま、俺は苦悩の表情を浮かべた。
半裸の彼女と接触したままという状態も問題だが、彼女と再び戦闘になる可能性を思えば、ここで組み伏せた彼女を解放するわけにもいかないのだ。
「おまえはなにか勘違いしてる。いつ俺がアナを愛してると言った?」
「あの子のことが好きじゃないなら、私を抱けるはずでしょ!」
俺の言葉に被せるようにして、ティルティが叫んだ。
「エッチしてよ……私、ずっとあなたのことが好きだったの。あなたが好きで、あなたのことを考えて毎晩自分を慰めてたの……」
「ティルティ……」
「知ってるでしょ。〝学園〟を卒業するまでに結ばれた男女は、天環に帰還してからも、ずっと一緒にいられるの! だからちょうだい……ハルの赤ちゃん。私とハルの愛の証が欲しいの!」
「…………」
衝撃的な彼女の告白に、俺は今度こそ完全に言葉を失った。
在学中に結ばれた恋人たちが優遇されるという噂は知っていた。
事実として天人種族は、学生結婚を奨励しているという。人口減に悩む天人種族にとって、資源の限られた天環で子供を産み育てるよりも、生徒たちが地上にいる間に勝手に子供を作ってくれたほうがなにかと都合がいいからだ。
とはいえ、まさかティルティの口から、そんな言葉が出てくるとは思ってもみなかった。
それに対してどう返事をするべきか、答えを出せずに俺は沈黙する。
代わりに口を開いたのは、俺の背中にしがみついていた黒犬のゼブだった。
『くくっ……相変わらず悪趣味なことだな、〝豹頭の悪魔〟』
黒犬が睨みつけていたのは、地面に転がっていた白い子猫だ。俺がティルティを押し倒した際に、吹き飛んだ宝杖が姿を変えたものである。
『──〝暴食〟か』
白猫が、赤い瞳で俺たちを睨む。怒りの籠もったその視線を、黒犬は平然と受け流した。
『〝豹頭〟よ。貴様、その小娘から契約の対価を受け取ったな? 貴様が奪ったのは、差し詰め、その小娘の〝羞恥心〟といったところか』
「羞恥心だと……?」
俺は振り返って黒犬を見た。うむ、と黒犬は重々しくうなずいて、
『おそらく普段のその娘、人並み以上に照れ屋で素直になれない性格の持ち主なのだろう? すなわち己の欲望を隠して平静を装う、強固な羞恥心を持っているということだ』
『……そうだ。ゆえに我が輩は、その羞恥心を供物として求めた。それが我が契約者の欲望を満たすために必要だと判断したからだ。感謝こそされても、非難されるいわれはない』
白猫が悪びれることもなく平然と言い放つ。
それを聞いた俺は、反射的に銃口を白猫に向けた。
「ふざけるな……ティルティがそんなことを、本気で望んだとでも思っているのか!?」
『それは本人に確かめてみたらどうかね、〝暴食〟の使い魔よ』
俺が放った銃弾は、白猫の肉体を抵抗もなくすり抜けた。聖属性の魔法を使えない俺では、霊体である白猫にダメージを与えられないのだ。
「ハル……〝豹頭の悪魔〟の言うとおりよ」
地面に横たわったままのティルティが、自嘲するように首を振る。
「恥ずかしいからという理由で自分の本心を隠し続けて、そのせいであなたをほかの女に奪られるのは嫌! あなたが手に入るなら私の羞恥心なんていくらでもくれてやるわ!」
「よせ、ティルティ!」
ティルティが魔法を発動しようとする気配を察して、俺はティルティに電撃を放った。相手に直接触れている状態であれば、弾丸などなくても雷魔法を使えるのだ。
ティルティの身体がビクンと大きく跳ねて、そのまま彼女は意識を失う。
〝災厄〟の契約者になったからといって、彼女自身の肉体が強化されるわけではないのは幸いだった。おかげでティルティを無傷のまま無力化できたからだ。
『ほう。雷撃ですか……知識としては知っていましたが、めずらしい魔法を使うのですね、〝暴食〟の使い魔』
白猫が、感心したような声を出す。
どこか勝ち誇ったようなその態度に、俺は強烈な違和感を覚えた。俺がティルティを気絶させたことを、まるで喜んでいるように思えたからだ。
『ですが、あなたはミスを犯しました。致命的な過ちを──!』
「なに!?」
白猫の小さな肉体が、突然膨張して勢いよく弾けた。
その肉体の残滓は光輝く粒子となって、ティルティの身体に吸いこまれていく。
そして次の瞬間、ティルティの胸の中心部に、禍々しい闇色の魔法陣が浮かんだ。
気絶したはずのティルティが瞼を開く。
その下に現れた瞳の色は燃えるような深紅──〝豹頭の悪魔〟の瞳の色だ。
『小童!』
黒犬が、切羽詰まったような声で俺を呼ぶ。
その直後〝災厄〟の爆炎が、ティルティを押さえつけていた俺に向かって放たれたのだった。
7
「ちっ……!」
爆発の衝撃で吹き飛ばされた俺は、舌打ちしながら着地して、焼け焦げたタクティカルジャケットを脱ぎ捨てた。
〝災厄〟の炎の直撃を防いだのは、雷魔法によって生み出した磁場障壁だった。プラズマ化した超高温の炎の奔流を、電磁力によって無理やり逸らしたのだ。
核融合炉にも使用され、理論上は一億度を超える超高温にも耐える磁場障壁だが、魔力の消費量が大きすぎてほんの一瞬しか展開できない。
そう何度も使える手段ではないし、次も成功するという確証もない。
それに対して〝豹頭の悪魔〟の魔力は、ほぼ無尽蔵と考えていいだろう。なにしろ相手は、旧世界の文明を滅ぼした〝災厄〟の悪魔の一員なのだ。
『ふむ、まずいな。〝豹頭〟め……契約者の肉体の支配権を奪ったか……』
「なんだと……?」
予想された状況ではあったが、あらためて言葉にされると深刻さを実感する。
「そんなことが出来るなんて聞いてないぞ」
「今の我には出来ぬ。だが、〝豹頭〟めは、我と違って契約者の体内に封印されているわけではないからな。それに貴様はやつが契約者の肉体を勝手に操るところを見ていたはずだ」
「第七学区で遭遇した〝死体〟のことか。あれはアンデッドだったから操れるってことじゃなかったのか……」
俺と黒犬の言い争いの最中でも、ティルティの肉体を奪った〝豹頭の悪魔〟の攻撃は続いていた。相変わらずの爆炎による無差別攻撃だが、その攻撃の規模や速度が、明らかに以前よりも増している。
「炎の威力が上がってるのはどういうことだ?」
『肉体の限界を無視して、魔法の出力を上げているようだな。〝豹頭〟めは、契約者の苦痛に気を遣う必要がないからな』
黒犬の言葉に、俺は目つきを険しくした。
〝豹頭の悪魔〟はティルティの肉体への負荷をまったく気にかけていない。
そして限界を超えた力を使えば、その代償はティルティの肉体へと跳ね返る。このまま戦闘が長引けば、最悪、ティルティは自滅しかねない。
「どうすればやつを止められる?」