『契約者を殺すのが確実だな。そうなれば〝豹頭〟めは契約を破棄せざるを得ない』
「そんなこと出来るわけないだろうが!」
駄目だこいつは、と俺はあらためて黒犬に失望を覚えた。
しょせんこいつも〝豹頭の悪魔〟と同じ、暴走した魔導兵器に過ぎないということだ。
しかし黒犬は意外にも、不服そうに低い唸り声を上げる。
『我も、そのやり方を推奨しているわけではないぞ。契約者が死ねば、〝豹頭〟は今の肉体を捨てて逃走するだけだからな』
「なるほど……つまり、ほかになにか方法があるということか?」
『貴様も本当はわかっているのではないか? 万全の契約者を持つ〝災厄〟を、人間の力で止めることなど不可能だとな』
「〝災厄〟を止めるには、〝災厄〟の力を使うしかないということか──」
俺は静かに声を絞り出す。
契約者を手に入れて完全に力を引き出せるようになった〝豹頭の悪魔〟を止めるには、同等以上の力で屈服させるしかない。そして〝災厄〟を超える力を持つのは〝災厄〟だけだ。
『それがわかっているからこそ、〝豹頭〟めは使い魔である貴様とアナセマを分断したのだ。封印されている我は彼奴と違って、使い魔の貴様を通じてしか力を使えないからな』
俺は無言で首肯した。
封印されている〝暴食の悪魔〟の力を引き出すには、俺がアナの心臓に触れなければならない。逆に〝豹頭の悪魔〟にしてみれば、俺こそが最優先の排除目標だと思っているはずだ。
まずはアナの使い魔である俺を殺す。そうすればあとに残るのは、戦闘力を持たない少女の体内に封印された、無力な〝暴食の悪魔〟だけである。煮るなり焼くなり〝豹頭の悪魔〟の好きにすればいい。
逆にアナを殺してしまうのは、悪手だ。封印から解放された〝暴食〟が、逃走して力を取り戻す可能性があるからだ。〝豹頭の悪魔〟が狙っていたのは俺だった。ヤツにはアナを殺せない理由があったのだ。
『使い魔である貴様が死ねば、我は彼奴に抗う手段を失う。たとえ〝災厄〟としての我が、彼奴より遥かに格上であったとしてもな』
「わかっている!」
俺は、〝豹頭〟に操られているティルティに向かって、帯電した弾丸をばら撒いた。しかし、その弾丸はティルティの風属性魔法に防がれる。
ティルティの身体を乗っ取った〝豹頭の悪魔〟は爆炎だけでなく、彼女の本来の魔法も使えるらしい。魔法の制御能力はティルティ本人に遠く及ばないが、そこは有り余る魔力でカバーしている。結果的に今のティルティを無力化するのは、俺の力でも困難だ。
しかも〝豹頭の悪魔〟の能力は、それだけではなかった。
「──巨人種!? まだいたのか!」
炎の壁が割れて現れたのは、五メートル近い身長を持つ人型の魔物だった。トロールだ。
A級の一つ目巨人よりは格下だが、それでも脅威度はB級上位。石化した鎧状の外皮を持ち、その膂力はフレイムボアすら一撃で昏倒させる。
そしてなによりも厄介なのは、トロールの脅威的な生命力だ。
桁外れのタフネスと回復力を持つトロールには、俺の雷魔法がほとんど効かない。トロールは、一千万ボルトを超える電撃にすら耐えるのだ。
そのトロールを支配下においていた〝豹頭の悪魔〟が、俺の相手をさせるために炎の壁の中に呼び寄せたらしい。
見た目からは鈍重に思えるトロールだが、人間の三倍近い巨体と筋力により、実際には凄まじいスピードを誇っている。大上段から振り下ろされた巨大な棍棒の一撃を、俺は風属性魔法で速度を上げてかろうじて回避する。
しかしその動きは〝豹頭の悪魔〟に読まれていた。
トロールの攻撃に気を取られていた俺の背後から、〝豹頭の悪魔〟が大規模な爆炎を撃ち放つ。
「くっ……!」
死角からの攻撃のせいで、磁場障壁が間に合わない。
爆炎の攻撃範囲が広すぎて避けることもできない。絶望的な状況に、俺は死を覚悟した。
そんな俺の目の前に出現したのは、金色に光輝く聖属性魔法の障壁だった。
「──聖障壁!」
「なに!?」
凶悪な威力を誇る〝豹頭の悪魔〟の爆炎が、とてつもない強度の障壁によって完全に遮断される。そんなふざけた威力の聖属性魔法を使える生徒は、俺が知る限り、一人しかいない。
「アナ!?」
「はい! おまちどおさまでした!」
獣の耳を持つ銀髪の少女が、炎の壁を破って現れる。〝災厄〟の攻撃に対して無敵に近い防御力を持つというアナは、当然、〝豹頭の悪魔〟の炎の壁をも完璧に防ぎきれるのだ。
そして俺のすぐ背後で、ごとん、という重々しい音が鳴り響いた。
振り返った俺が目にしたのは、地面に倒れて痙攣している首のないトロールの巨体だった。
「やあ、苦戦してるみたいだね、ハル・タカトー」
「部長……!?」
桃色髪の女子生徒がトロールの死体の上に立って、のんびりと俺に手を振っている。俺が目を離した一瞬の間に、リュシエラはトロールを倒したのだ。
どんな絡繰りがあるのか知らないが、想像を上回る彼女の戦闘能力に俺は内心で舌を巻く。
「学食部の部員たちは?」
「見てのとおり、心配は無用だよ」
そう言ってリュシエラは自分の背後を、ちょいちょいと指さした。
アナが破った炎の壁の向こう側には、数え切れないほどの魔物たちの死体が転がっている。
まるで龍種の大群が通り過ぎたあとのような光景だが、その場に生きて立っていたのは、ラフテオたち学食部の部員たちだけだった。
俺が〝豹頭の悪魔〟と戦っている間に、彼らは魔物暴走もどきを壊滅させてしまったのだ。
「これで食材にはしばらく困らないね」
「一つ目巨人、アースワーム、翼竜……稀少食材がたくさん……」
「急いで獲物を集めて血抜きするぞ! 喰いきれないぶんは燻製にするからな!」
「はい、料理長!」
双子姉妹やラフテオたちが、嬉々として斃した魔物たちの後始末を始める。
とてつもない戦闘能力とバイタリティだ。彼らにとっては魔物暴走もどきなど、食材が自分たちのほうから集まってくるボーナスステージくらいにしか思えないのだろう。
「馬鹿な……脅威度A級を含む高ランクの魔物を、二百体以上集めたのですよ……!? こんなはずは……」
ティルティの身体を乗っ取った〝豹頭の悪魔〟が、驚愕に声を震わせる。
驚いていたのは、俺も同じだ。ラフテオたちの強さは狩りのときにもうっすら感じていたが、ここまでデタラメに強いとは思っていなかった。
俺の知識になかった学食部の真実。当然、ティルティも知らなかったはずだ。
そしてティルティが知らない情報は、彼女と契約した悪魔も知り得ないのだ。〝豹頭の悪魔〟が誇るふたつの権能のひとつ──魔物を支配する能力は、思いも寄らない形で無力化されたことになる。
「見たところ、ティルティちゃんは誰かに操られてるみたいだね。ハル・タカトーが苦戦してるのはそれが理由かな?」
「そうだ」
俺はリュシエラの疑問を短く肯定する。ふむ、とリュシエラは、〝災厄〟に乗っ取られたティルティに視線を向けて、
「対抗策の心当たりは?」
「なくはない」
「なるほど。時間稼ぎが必要かい?」
「頼めるのか?」
彼女の意外な申し出に、俺は驚きながら訊き返した。