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「封印……か……」
地面にうずくまる半裸のティルティを見下ろして、俺は静かに溜息をついた。
正直に言えば、座りこみたいのは俺も同じだ。
電磁投射砲の二連射に加えて、大量の魔力を消費する空間転移まで使ったことで、俺の魔力はほぼ完全に底を突いていた。
黒刀が奪った〝豹頭の悪魔〟の魔力がなかったら、魔力枯渇でぶっ倒れていたところだ。
「ティルティの体内に〝豹頭の悪魔〟を閉じこめたのか? きみの中の〝暴食の悪魔〟と同じように……」
「はい。これでもうフーくんはティルティさんの使い魔を通さない限り、〝災厄〟の力を使えなくなりました。抜け出すことも逃げ出すこともできません」
「フーくん?」
どうやらそれが〝豹頭の悪魔〟のことらしいと気づいて、俺は思わず脱力した。
恐るべき魔導兵器の〝災厄〟といえども、アナにしてみれば友人のペットと同じようなものらしい。
「なに勝手なことをしてくれてるのよ……」
膝を抱えて落ちこんでいたティルティが、弱々しい口調で抗議した。
自分が意識をなくしている間に、勝手に〝災厄〟の封印の器にされてしまったのだ。不満を言いたくなる気持ちも、まあわかる。
しかしティルティの肉体を乗っ取っていた〝豹頭の悪魔〟から、彼女を無傷で解放するには、それ以外に方法がなかったのだ。
結果的に〝豹頭の悪魔〟は無力化されて、自分の意思で〝災厄〟の力を使うことも逃げ出すこともできなくなった。今の〝豹頭の悪魔〟は〝暴食の悪魔〟と同様の、人畜無害な愛玩魔法生物と化したのだ。
「ティルティの胸の魔法陣は消えないのか?」
「そうですね。閉じこめたフーくん自身の魔力で発動しているので、今はこんな感じで光ってますけど、フーくんが抵抗をやめれば目立たなくなりますよ。こんな感じに」
「いや、見せなくていい」
俺は、自分の胸元をはだけようとしたアナを制止した。
たしかに彼女の胸の魔法陣は、光の加減でうっすらと浮かび上がるくらいで、普段はよく見ない限りわからない。今は眩く輝いているティルティの魔法陣の光も、〝豹頭の悪魔〟が大人しくなれば消えるのだろう。
「い……」
自分を見下ろしている俺とアナを睨みつけて、ティルティが涙声で呟いた。
俺は訝るように首を傾げて、
「……い?」
「いつまで見てるのよ!?」
自分の胸元を両腕で隠しながら、ティルティが叫んだ。俺はかすかに眉を上げる。
「羞恥心が戻ったのか……」
たしかにティルティの裸の胸を観察していたのは事実だが、今はまだ〝災厄〟を封印した直後で安全が確認できていないのだ。警戒するのは当然だろう。
それにそもそも裸を見せつけてきたのは、ほかならぬティルティ自身である。
「おまえの裸は何度も見てるだろ?」
「子供のころの話でしょう!?」
ティルティが顔を真っ赤にして喚き散らす。
そして彼女は羽織っていた俺のジャケットに顔を埋めて、苦悶するように頭を抱えた。
「もうやだ……なんで私、ハルの前であんなことを……死にたい……殺して……!」
「駄目だ、ティルティ。おまえに死なれるわけにはいかない」
「ハル……」
震えるティルティの隣に屈みこみ、俺は彼女の背中にそっと手を当てる。
ティルティが潤んだ瞳で俺を見返した。
羞恥心を失っている間の言動も、しっかりと彼女の記憶には残っているらしい。それを思えば彼女が落ちこむのも理解できる。
だからといってティルティを死なせるつもりはなかった。
「おまえが死ぬと、封印した〝豹頭の悪魔〟が解放されてしまうからな」
「うるさい、バカ!」
論理的に状況を説明した俺に、ティルティがポカポカと殴りかかってくる。
その反応に俺は困惑した。
〝豹頭の悪魔〟の支配から解き放たれたとはいえ、今の彼女の精神状態はまだ普通とは言い難い。彼女が完全に落ち着くまでは、しばらく時間がかかりそうだ。
『まさか……私を封印するほどの力を持つ聖女が地上にいたとはな……』
無力な猫と化した〝豹頭の悪魔〟は、放心したような表情で俺たちのやり取りを眺めていた。その視線の先に立っていたのはアナだった。
〝暴食〟の使い魔である俺を気にするあまり、アナの存在を軽視したのが〝豹頭の悪魔〟の敗因だ。アナを単なる封印の器だと決めつけて、聖女の力の持ち主だと気づかなかったのだ。
『くく……哀れだな、〝豹頭〟。貴様にはお似合いの情けない姿だ』
『貴方がそれを言うのですか……〝暴食〟』
黒犬のゼブに煽られた白猫が、当惑するように顔をしかめた。
『ふん。貴様の契約者がアナセマの知り合いでなければ、その封印の器ごと喰らってやったものを。命拾いしたな、〝豹頭〟。我の気まぐれに感謝して、せいぜい大人しくしていることだ』
『貴方こそ、私に焼き尽くされないように、言動には気をつけるのですね』
白猫が負けじと黒犬を煽り返す。黒犬は、苛立たしげに低く唸り声を上げた。
『身の程知らずが。気が変わった。今すぐ喰ってやる』
『できるものならやってもらいましょうか』
いがみ合う二体の愛玩動物を、俺はうんざりとした気分で見下ろした。
ただでさえ黒犬の自儘な言動には辟易していたのだ。似たようなのがもう一匹増えて、厄介事が二倍になったとしか思えない。
「そういえば、おまえらが操っていた魔物たちはどうなった?」
『私が封印されたことで、魔物たちの支配は解けました。もともと同じ群れの仲間というわけではありませんからね。もはや連携して〝学園〟の船を襲うような真似は出来ません。勝手に逃げるか互いに殺し合うかするでしょう』
俺の質問に、白猫が答えた。その返答に俺はホッとした。
つまり魔物暴走もどきはこれで終了して、食料輸送船が襲われる心配はなくなったわけだ。
「そういえば、一連の輸送船襲撃で、生徒の負傷者が少なかったのは偶然か?」
『魔物たちに人間を襲わないように命令したのは彼女ですよ』
白猫が、いまだに落ちこんだままのティルティに目を向けた。
『契約者の望みですからね。私としても、それを叶えるのに否やはありません』
「そうか。それならティルティも良心の呵責を覚えずに第七学区に戻れるな」
俺は白猫の言葉に満足する。
一連の事件による第七学区の被害額は馬鹿にならないが、死傷者が出ていないという点において、〝災厄〟が絡んだ事件としてはギリギリ許容できるラインだ。
それにティルティの責任を追及すれば、当然、アナと〝暴食の悪魔〟の存在に行き着くことになる。ここは地上の平和のためにも、ティルティの犯罪は隠蔽するべきなのだろう。
だが、そんな俺の決定に異を唱えたのは、まさかのティルティ本人だった。
「やだ。帰らない」
「ティルティ?」
「今さら帰れるわけないでしょう!? ハルに、あんなところを見られて……」
うわああ、と頭を抱えながら、ティルティは再び下を向く。
ついさっきまでの自分の言動が、黒歴史として脳内にフラッシュバックしたらしい。
「ティルティさん!」
落ちこむティルティの両手を取って、アナがぐいぐいと顔を近づけた。妙に真剣なアナの眼差しに、ティルティが怯んだように後ずさる。
「な、なによ……?」
「お風呂に入りましょう!」
「は……はい?」
あまりにも唐突なアナの発言に、ティルティはパチパチと目を瞬いた。
混乱していたのは、俺も同じだ。どういう流れで入浴するという話が出てきたのか、いくら考えてもさっぱりわからない。
「さっきの戦闘で、いい感じの穴ぼこが地面に出来ていたので、お湯を張っておきました! フーくんの炎で岩も熱くなっていたので、ちょうどいい湯加減になるように。つまりわたしとティルティさんの合作です!」
得意げに胸を張りながらそう言って、アナは背後にある岩場を指さした。
たしかにそこには、さっきまで存在しなかった露天風呂的ななにかが出現していた。
川岸などに掘った穴に焚き火などで熱した石を投げ入れてお湯にする、いわゆる石焼き風呂である。焼き石から出る遠赤外線の効果で、普通の風呂より温浴効果が高いともいわれている。だが──
「お湯を張ってって、いったいどこから、あんな大量のお湯が……」
ちょっとした池ほどもある即席露天風呂を眺めて、ティルティが呆然と呟いた。
俺はハッとしてアナを睨みつける。
「まさか、また聖水を生成したのか?」
「へ? 聖水? あれ全部!?」