聖女と暴食

第四章 デスバイソンのラグーパスタ ⑯

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ふういん……か……」


 地面にうずくまるはんのティルティを見下ろして、俺は静かにためいきをついた。


 正直に言えば、座りこみたいのは俺も同じだ。

 の二連射に加えて、大量のりよくを消費する空間転移テレポーテーシヨンまで使ったことで、俺のりよくはほぼ完全に底をいていた。

 黒刀がうばった〝〟のりよくがなかったら、りよくかつでぶったおれていたところだ。


「ティルティの体内に〝〟を閉じこめたのか? きみの中の〝暴食の悪魔ベエルゼブブ〟と同じように……」

「はい。これでもうフーくんはティルティさんの使いを通さない限り、〝さいやく〟の力を使えなくなりました。すこともすこともできません」

「フーくん?」


 どうやらそれが〝〟のことらしいと気づいて、俺は思わずだつりよくした。

 おそるべきどう兵器の〝さいやく〟といえども、アナにしてみれば友人のペットと同じようなものらしい。


「なに勝手なことをしてくれてるのよ……」


 ひざかかえて落ちこんでいたティルティが、弱々しい口調でこうした。

 自分が意識をなくしている間に、勝手に〝さいやく〟のふういんうつわにされてしまったのだ。不満を言いたくなる気持ちも、まあわかる。


 しかしティルティの肉体を乗っ取っていた〝〟から、彼女を無傷で解放するには、それ以外に方法がなかったのだ。


 結果的に〝〟は無力化されて、自分の意思で〝さいやく〟の力を使うこともすこともできなくなった。今の〝〟は〝暴食の悪魔ベエルゼブブ〟と同様の、じんちく無害なあいがんほう生物と化したのだ。


「ティルティの胸のほうじんは消えないのか?」

「そうですね。閉じこめたフーくん自身のりよくで発動しているので、今はこんな感じで光ってますけど、フーくんがていこうをやめれば目立たなくなりますよ。こんな感じに」

「いや、見せなくていい」


 俺は、自分のむなもとをはだけようとしたアナを制止した。

 たしかに彼女の胸のほうじんは、光の加減でうっすらとかびがるくらいで、だんはよく見ない限りわからない。今はまばゆかがやいているティルティのほうじんの光も、〝〟が大人しくなれば消えるのだろう。


「い……」


 自分を見下ろしている俺とアナをにらみつけて、ティルティがなみだごえつぶやいた。

 俺はいぶかるように首をかしげて、


「……い?」

「いつまで見てるのよ!?」


 自分のむなもとりよううでかくしながら、ティルティがさけんだ。俺はかすかにまゆを上げる。


しゆうしんもどったのか……」


 たしかにティルティのはだかの胸を観察していたのは事実だが、今はまだ〝さいやく〟をふういんした直後で安全がかくにんできていないのだ。けいかいするのは当然だろう。


 それにそもそもはだかを見せつけてきたのは、ほかならぬティルティ自身である。


「おまえのはだかは何度も見てるだろ?」

「子供のころの話でしょう!?」


 ティルティが顔を真っ赤にしてわめき散らす。

 そして彼女は羽織っていた俺のジャケットに顔をうずめて、もんするように頭をかかえた。


「もうやだ……なんで私、ハルの前であんなことを……死にたい……殺して……!」

だ、ティルティ。おまえに死なれるわけにはいかない」

「ハル……」


 ふるえるティルティのとなりかがみこみ、俺は彼女の背中にそっと手を当てる。

 ティルティがうるんだひとみで俺を見返した。


 しゆうしんを失っている間の言動も、しっかりと彼女のおくには残っているらしい。それを思えば彼女が落ちこむのも理解できる。


 だからといってティルティを死なせるつもりはなかった。


「おまえが死ぬと、ふういんした〝〟が解放されてしまうからな」

「うるさい、バカ!」


 論理的にじようきようを説明した俺に、ティルティがポカポカとなぐりかかってくる。


 その反応に俺はこんわくした。

〟の支配から解き放たれたとはいえ、今の彼女の精神状態はまだつうとは言いがたい。彼女が完全に落ち着くまでは、しばらく時間がかかりそうだ。


『まさか……私をふういんするほどの力を持つ聖女が地上にいたとはな……』


 無力なねこと化した〝〟は、放心したような表情で俺たちのやり取りをながめていた。その視線の先に立っていたのはアナだった。


〝暴食〟の使いである俺を気にするあまり、アナの存在を軽視したのが〝〟の敗因だ。アナを単なるふういんうつわだと決めつけて、聖女の力の持ち主だと気づかなかったのだ。


『くく……あわれだな、〝ひようとう〟。貴様にはお似合いの情けない姿だ』

貴方あなたがそれを言うのですか……〝暴食〟』


 黒犬のゼブにあおられたしろねこが、とうわくするように顔をしかめた。


『ふん。貴様のけいやく者がアナセマの知り合いでなければ、そのふういんうつわごとらってやったものを。命拾いしたな、〝ひようとう〟。我の気まぐれに感謝して、せいぜい大人しくしていることだ』

貴方あなたこそ、私にくされないように、言動には気をつけるのですね』


 しろねこが負けじと黒犬をあおり返す。黒犬は、いらたしげに低くうなり声を上げた。


ほどらずが。気が変わった。今すぐってやる』

『できるものならやってもらいましょうか』


 いがみ合う二体のあいがん動物を、俺はうんざりとした気分で見下ろした。


 ただでさえ黒犬のままな言動にはへきえきしていたのだ。似たようなのがもう一ぴき増えて、やつかい事が二倍になったとしか思えない。


「そういえば、おまえらがあやつっていたものたちはどうなった?」

『私がふういんされたことで、ものたちの支配は解けました。もともと同じ群れの仲間というわけではありませんからね。もはやれんけいして〝学園〟の船をおそうようなは出来ません。勝手にげるかたがいに殺し合うかするでしょう』


 俺の質問に、しろねこが答えた。その返答に俺はホッとした。

 つまり魔物暴走スタンピードもどきはこれでしゆうりようして、食料輸送船がおそわれる心配はなくなったわけだ。


「そういえば、一連の輸送船しゆうげきで、生徒の負傷者が少なかったのはぐうぜんか?」

ものたちに人間をおそわないように命令したのは彼女ですよ』


 しろねこが、いまだに落ちこんだままのティルティに目を向けた。


けいやく者の望みですからね。私としても、それをかなえるのにいなやはありません』

「そうか。それならティルティも良心のしやくを覚えずに第七学区アザレアスもどれるな」


 俺はしろねこの言葉に満足する。

 一連の事件による第七学区アザレアスがい額は馬鹿にならないが、死傷者が出ていないという点において、〝さいやく〟がからんだ事件としてはギリギリ許容できるラインだ。


 それにティルティの責任をついきゆうすれば、当然、アナと〝暴食の悪魔ベエルゼブブ〟の存在に行き着くことになる。ここは地上の平和のためにも、ティルティの犯罪はいんぺいするべきなのだろう。


 だが、そんな俺の決定に異を唱えたのは、まさかのティルティ本人だった。


「やだ。帰らない」

「ティルティ?」

「今さら帰れるわけないでしょう!? ハルに、あんなところを見られて……」


 うわああ、と頭をかかえながら、ティルティは再び下を向く。

 ついさっきまでの自分の言動が、黒歴史として脳内にフラッシュバックしたらしい。


「ティルティさん!」


 落ちこむティルティの両手を取って、アナがぐいぐいと顔を近づけた。みようしんけんなアナのまなしに、ティルティがひるんだように後ずさる。


「な、なによ……?」

「おに入りましょう!」

「は……はい?」


 あまりにもとうとつなアナの発言に、ティルティはパチパチと目をしばたいた。

 混乱していたのは、俺も同じだ。どういう流れで入浴するという話が出てきたのか、いくら考えてもさっぱりわからない。


「さっきのせんとうで、いい感じの穴ぼこが地面に出来ていたので、お湯を張っておきました! フーくんのほのおで岩も熱くなっていたので、ちょうどいい湯加減になるように。つまりわたしとティルティさんの合作です!」


 得意げに胸を張りながらそう言って、アナは背後にある岩場を指さした。

 たしかにそこには、さっきまで存在しなかったてん的ななにかが出現していた。


 川岸などにった穴になどで熱した石を投げ入れてお湯にする、いわゆる石焼きである。焼き石から出る遠赤外線の効果で、つうより温浴効果が高いともいわれている。だが──


「お湯を張ってって、いったいどこから、あんな大量のお湯が……」


 ちょっとした池ほどもあるそくせきてんながめて、ティルティがぼうぜんつぶやいた。

 俺はハッとしてアナをにらみつける。


「まさか、また聖水を生成したのか?」

「へ? 聖水? あれ全部!?」