愛知県常滑市。
『常に滑る』などという妙ちくりんな名前の街で暮らしているから、こんなにも毎日が低空飛行の堂々巡りなのだろうか。幸斗は薄暗い更衣室の中でアンダーシャツを乱雑に脱ぎ捨てながら、もはや何度目とも知れぬ八つ当たりの念を浮かべた。
試合結果は4—5で自軍『エンジェルズ』の勝利。双方が仲良く六つずつの失策と十の残塁を数える、額縁に入れて飾っておきたくなるほど典型的な泥仕合だった。
幸斗自身の成績を振り返れば、五打数四安打五打点の猛打賞。自軍の得点全てを担う、八面六臂の大活躍である。
「くそ、またやっちまった」
汗が染み込んだユニフォームでずしりと重くなったドラムバッグ目がけて、憤り任せにローキックを一発。今日こそ万年二日酔い集団に対し決定的に愛想を尽かしたはずなのに、気付けば最終回まで真面目にプレーしてしまっていた。
負けたくないと、つい魔が差した。
こんな不毛な試合どうでもいいという冷徹な判断を、己の青さに邪魔された。それがたまらなく恥ずかしくて、一度は汗が引いたはずの背中に粘っこい熱が絡みつく。
息苦しさに耐えかね、幸斗は制汗剤を全身に被るとシャワーも浴びずまっさらなTシャツを着込んだ。今はとにかく、迂闊にも通い慣れてしまったこの運動公園から速やかに離れたい。
「あーあ。モロ西日」
更衣室の扉を開けた幸斗の顔面に、直射日光が真っ向から降り注ぐ。眼をしかめつつグラウンドの端にそびえ立つ時計に目をやれば、既に時刻は午後三時半を回っていた。かくして後戻りできない『十五歳』は、またしても安直に半日分浪費されたのだ。忸怩たる思いで、幸斗はドラムバッグを担ぎ直す。雑に詰め込んだプロテクターの一部がごつんと腰骨に当たり、それなりの痛みでもって幸斗に戒めを与えた。腹立たしい。何に対しての腹立たしさなのかもはや幸斗自身にもわからないことが、とにもかくにも腹立たしい。
「おうユッキ! 今日も助かったぜ!」
三塁線に沿って歩く幸斗に、チーム最年長のメンバーが上機嫌に呼びかけた。定例通り球宴は終了直後からシームレスに酒宴へと移行しており、ブルーシート上では両軍入り乱れての酒盛りが開幕ダッシュに成功している。
「もうこれっきりでお願いするっす」
足も止めずに手を振りながら、幸斗は頭の中で別のことを考えていた。ふと気になったが、はたして二日酔いの定義とはなんなのだろう。ここの連中は半日単位で飲んでいる時間と飲んでない時間を延々繰り返している。きっと『飲酒を止めてから一日後』という状態が、存在すらしていない。つまり、二日目なんて死ぬまで迎えることがないのではないか。
明日なきジジイ共──。
そう捉えればなんとも儚くて、潔い存在ではないか。
絶対に仲間には入りたくないが。やはり袂を分かとう。幸斗は再度意志を固める。
「オゥ幸斗ぉ! 愛しの大天使によろしくなぁ! たまには試合出てくれって言っとけやぁ!」
振り返らずに立ち去るつもりだった幸斗だが、べつの老人から背中に浴びせられた声にうっかり反応し立ち止まってしまう。大天使。ここの連中からそう呼ばれる存在は一人しかいない。
それは幸斗の親に当たる存在であり、『北条エンジェルズ』の創始者だった。最近は昼夜逆転が祟って滅多にベンチ入りしないが。今日もきっと、今ごろようやく布団から抜け出た頃だろう。
「夜のバットならいつでも振りにこいってさ」
「おいやめろよ、本気でおっかねえ」
青空めがけて幸斗が吐き捨てると、呼び止めた老人は心底震え上がったような声を出す。次いで、ブルーシート全体から大爆笑が重なった。
予想通りの反応だったが、幸斗は密かに後悔を抱いた。親のことは、あまり触れたくない。嫌いなわけではないのだが、好きと言う気も起きず、換言すればやはり触れたくないという表現が最も適切に思える。
なのに、ついつい常套の掛け合いに応戦してしまった。距離を置きたいと思っているのに、余計なところで乗っかってしまう。草野球の助っ人にしても毎回その繰り返しではないか。
足りないのは、スルースキル。自身の欠点を明確に認識できたことだけでも、今日に関しては収穫があったかもしれない。
無理矢理そうとでも思わなければ、幸斗は双肩にのし掛かる重さに耐えかねて今にもドラムバッグを路傍に投げ捨ててしまいそうだった。
*
「お疲れ。今日も大活躍だったじゃねーか、親友」
幸斗が粘ついた足取りで自転車置き場までたどり着くや、底抜けに明るい少年の声が響いた。
「また見てたのかよ。もの好きだな、相棒」
ぶっきらぼうに返事する幸斗だったが、裏腹に内心では眉間あたりから固結びのしこりが解けるような感覚を味わう。
筧川卓。高校一年生としては平均より大きい幸斗よりさらに指二本分ばかり背が高く、茶髪の地毛の間から切れ長の双眸をなめらかに細めているこの優男こそ、幸斗がここまでの人生でもっとも多くの時間を共有してきた、自信を持って友と呼べる唯一無二の存在だった。
「もの好きはお互い様っつーか、幸斗にゃ言われたくないなあ。嫌だ嫌だ言いながら、今日も誰より早くグラウンド着いて、がっつり走り込んで、がっつり素振りして」
横並びで自転車を押して歩きながら、まさかそこまで見られていたのかと、幸斗は耳の裏に痛烈な熱感を覚える。
「怪我したくないんだよ。こんなつまんないことで」
「だから入念に準備運動ですか。さいですか」
「ていうか、やっぱ卓の方がもの好きだろ。なんでそこまで俺の行動こっそり見てんだ」
釈明を明らかに言い訳と受け止められた気配に、やや口調を速める幸斗。
「もの好きじゃなくて、俺は幸斗の観察が好きなんだよ」
「な」
幸斗は想定外の返しに絶句する。基本的に、口先勝負ではいつも卓の方が優勢だった。
「つーか、良かったのか? 高校で心機一転、野球部って手もあったろうに」