第一章 ①

 愛知県とこなめ


『常にすべる』などというみようちくりんな名前の街で暮らしているから、こんなにも毎日が低空飛行のどうどうめぐりなのだろうか。ゆきうすぐらこう室の中でアンダーシャツを乱雑にてながら、もはや何度目とも知れぬ八つ当たりの念をかべた。

 試合結果は4—5で自軍『エンジェルズ』の勝利。そうほうが仲良く六つずつの失策と十のざんるいを数える、がくぶちに入れてかざっておきたくなるほど典型的などろあいだった。

 ゆき自身の成績をかえれば、五打数四安打五打点のもう賞。自軍の得点全てをになう、はちめんろつだいかつやくである。


「くそ、またやっちまった」


 あせんだユニフォームでずしりと重くなったドラムバッグ目がけて、いきどおり任せにローキックを一発。今日こそ万年ふつい集団に対し決定的にあいかしたはずなのに、気付けば最終回まで真面目にプレーしてしまっていた。

 負けたくないと、ついが差した。

 こんな不毛な試合どうでもいいというれいてつな判断を、おのれの青さにじやされた。それがたまらなくずかしくて、一度はあせが引いたはずの背中にねばっこい熱がからみつく。

 息苦しさにえかね、ゆきせいかんざいを全身にかぶるとシャワーも浴びずまっさらなTシャツをんだ。今はとにかく、かつにも通い慣れてしまったこの運動公園からすみやかにはなれたい。


「あーあ。モロ西日」


 こうしつとびらを開けたゆきの顔面に、直射日光が真っ向から降り注ぐ。をしかめつつグラウンドのはしにそびえ立つ時計に目をやれば、すでに時刻は午後三時半を回っていた。かくしてあともどりできない『十五さい』は、またしても安直に半日分ろうされたのだ。じくたる思いで、ゆきはドラムバッグをかつぎ直す。雑にんだプロテクターの一部がごつんとこしぼねに当たり、それなりの痛みでもってゆきいましめをあたえた。腹立たしい。何に対しての腹立たしさなのかもはやゆき自身にもわからないことが、とにもかくにも腹立たしい。


「おうユッキ! 今日も助かったぜ!」


 さんるい線に沿って歩くゆきに、チーム最年長のメンバーがじようげんに呼びかけた。定例通りきゆうえんしゆうりよう直後からシームレスにしゆえんへと移行しており、ブルーシート上では両軍入り乱れての酒盛りが開幕ダッシュに成功している。


「もうこれっきりでお願いするっす」


 足も止めずに手をりながら、ゆきは頭の中で別のことを考えていた。ふと気になったが、はたしてふついの定義とはなんなのだろう。ここの連中は半日単位で飲んでいる時間と飲んでない時間を延々かえしている。きっと『飲酒を止めてから一日後』という状態が、存在すらしていない。つまり、二日目なんて死ぬまでむかえることがないのではないか。

 明日なきジジイ共──。

 そうとらえればなんともはかなくて、いさぎよい存在ではないか。

 絶対に仲間には入りたくないが。やはりたもとを分かとう。ゆきは再度意志を固める。


「オゥゆきぉ! いとしの大天使によろしくなぁ! たまには試合出てくれって言っとけやぁ!」


 かえらずに立ち去るつもりだったゆきだが、べつの老人から背中に浴びせられた声にうっかり反応し立ち止まってしまう。大天使。ここの連中からそう呼ばれる存在は一人しかいない。

 それはゆきの親に当たる存在であり、『ほうじようエンジェルズ』の創始者だった。最近は昼夜逆転がたたってめつにベンチ入りしないが。今日もきっと、今ごろようやくとんからころだろう。


「夜のバットならいつでもりにこいってさ」

「おいやめろよ、本気でおっかねえ」


 青空めがけてゆきてると、呼び止めた老人は心底ふるがったような声を出す。次いで、ブルーシート全体からだいばくしようが重なった。

 予想通りの反応だったが、ゆきひそかにこうかいいだいた。親のことは、あまりれたくない。きらいなわけではないのだが、好きと言う気も起きず、かんげんすればやはりれたくないという表現が最も適切に思える。

 なのに、ついついじようとういに応戦してしまった。きよを置きたいと思っているのに、余計なところで乗っかってしまう。草野球のすけにしても毎回そのかえしではないか。

 足りないのは、スルースキル。自身の欠点を明確ににんしきできたことだけでも、今日に関してはしゆうかくがあったかもしれない。

 無理矢理そうとでも思わなければ、ゆきそうけんにのしかる重さにえかねて今にもドラムバッグをぼうに投げ捨ててしまいそうだった。


     *


「おつかれ。今日もだいかつやくだったじゃねーか、親友」


 ゆきねばついた足取りで自転車置き場までたどり着くや、そこけに明るい少年の声がひびいた。


「また見てたのかよ。もの好きだな、相棒」


 ぶっきらぼうに返事するゆきだったが、裏腹に内心ではけんあたりから固結びのしこりが解けるような感覚を味わう。

 かけいがわすぐる。高校一年生としては平均より大きいゆきよりさらに指二本分ばかり背が高く、ちやぱつの地毛の間から切れ長のそうぼうをなめらかに細めているこのやさおとここそ、ゆきがここまでの人生でもっとも多くの時間を共有してきた、自信を持って友と呼べるゆいいつの存在だった。


「もの好きはおたがい様っつーか、ゆきにゃ言われたくないなあ。いやいやだ言いながら、今日もだれより早くグラウンド着いて、がっつりはしんで、がっつりりして」


 横並びで自転車をして歩きながら、まさかそこまで見られていたのかと、ゆきは耳の裏につうれつな熱感を覚える。


したくないんだよ。こんなつまんないことで」

「だから入念に準備運動ですか。さいですか」

「ていうか、やっぱすぐるの方がもの好きだろ。なんでそこまでおれの行動こっそり見てんだ」


 しやくめいを明らかに言い訳と受け止められた気配に、やや口調を速めるゆき


好きじゃなくて、おれゆきの観察が好きなんだよ」

「な」


 ゆきは想定外の返しに絶句する。基本的に、口先勝負ではいつもすぐるの方が優勢だった。


「つーか、良かったのか? 高校で心機一転、野球部って手もあったろうに」

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ステージ・オブ・ザ・グラウンドの書影