何か言い返してやらねばと口元をまごつかせていた幸斗だったが、ふと卓の表情に一瞬差した影のようなものに気付いて、舌に急ブレーキをかけるように前歯の裏へ押し付けた。
今まで、気にしていたのだろうか。だから密かに、朝から練習を覗きに来たのか。
ならば誤解を残さぬように、はっきりと伝えなければ。
「もういいって、野球は」
幸斗が首を振ると、卓はふっと短く鼻から息を吐き出して脱力する。
「そうだな。もういいか、野球は」
かつて幸斗と卓は、全身全霊を懸けて共に白球を追いかけていた頃もあったのだった。遠い小学校時代の話だ。
だからこそ、二人の意思確認は短い一言で充分にこと足りた。
噓偽りなく、幸斗たちにとって野球は『もういい』のだ。
にもかかわらず草野球に駆り出され続けている現状が、殊更幸斗にとって自己嫌悪の種になっているのだが。決別したならしたで二度とミットをはめなければ良いものを、何度となく酔っ払いたちの泣き落とし如きに負けてしまった。そうこうしてる間に幸斗の中学校時代はおおよそ全部が無為に横滑りした。
同様に卓もまた、特に何をするでもなく幸斗の隣で日々を浪費している。
「親友、今日こそ見つけようぜ。青春のはけ口ってやつを」
「そうだな相棒。きっと俺たちの輝けるステージが、まだ見ぬどこかにあるはずだ」
それもこれもヒマなのがいけない、というのがかねてから幸斗と卓の共通認識だった。この街で、焼き物と競艇くらいしか観光産業のない中部国際空港のベッドタウンで、なにがなんでも地に足を付けて毎日を謳歌する。
そのために今日も、幸斗と卓は『自分探し』と称した趣味探索に明け暮れるのだ。
「しかしそろそろネタも尽きてきてないか。名古屋まで出る金も時間もないし」
自転車の手押しをやめてサドルに腰掛けた幸斗に続き、卓も立ち漕ぎで速度を上げながらニヤリと笑う。
「心配するな。新台入荷の情報を聞きつけてる」
「新台って、パチンコ?」
訝しんで幸斗が問うと、卓は露骨に嫌な顔をした。
「おい親友。俺のモットー、知ってるよな?」
「だよな、すまなかった相棒」
卓のモットー。少なくとも成人までは酒もタバコも手を出さない。パチンコ競艇言語道断。その公言に、幸斗もまた全面的に同意していた。
なぜ、あえてそんな宣言を交わしあっているのかと言えば、幸斗も卓もお互い『飲み屋の息子』であるためだ。国道に数軒連なる、ネオン街とも呼べぬ数軒の酒場。今も二人はそこで隣同士に暮らしている。
「俺たちはな、グレたらベタすぎるんだ。ベタすぎてかっこ悪い。だからそーゆーのはやらん。それでいいよな?」
改めて卓の真意を言葉として聞いて、幸斗は小さく頷く。不満たらたらの毎日でも、掛け替えのない友は常に傍に居てくれた。
「ああ、それでいこう。でも、ということは新台ってアレか」
少し考えてから、幸斗は思い至る。ここ最近の活動で、『台』と呼べるものに触れた記憶は一度しかない。
「ピンボールだな」
「そうとも、ピンボールだ」
中空で親指を左右に振り、ボタンを押す真似をした幸斗に、卓は我が意を得たりと微笑みを浮かべた。
よし、まだだ。まだ今日は終わっていない。失われた十五歳の休日は、レトロなピンボール台によって挽回できる。収まるべき居場所を、アナクロでアナログな盤面の上にきっと見いだせる。
同時に浮かんだそこはかとない違和感をあえて無視し、幸斗は胸の内を希望で満たした。
「おまたせ」
さして遠回りになるわけでもなかったので、幸斗は荷物替えとシャワーの時間を申請して自宅に立ち寄った。さっぱりして外に出ると、裏口前の段差に腰掛け大あくびを漏らしていた卓がのんびり立ち上がる。
「大天使は?」
「留守。買い出しじゃねーの」
「わはは。なんでそんなホッとしてるんだ、お前」
家がもぬけの殻だった事を伝えた幸斗に、卓はどこかからかうような仕草で腕を組んだ。
「説明しないとわからねーか、相棒」
「いや。悪かったよ親友」
そのやりとりはある意味定型文の挨拶みたいなもので、幸斗も、尋ねた卓も深くは掘り下げない。卓の方にせよ、家は隣なのだから外で待っていないで一時帰宅することもできたのだ。そうしなかったのは、つまりそういうことだ。
親と会わず安堵した幸斗も、自宅に入らず外で待っていた卓も、互いの心持ちは確かめずとも知っていた。
「そんじゃ行くか。日が暮れる前に」
「夜遊びは不良のすることだしな」
身軽になった幸斗は弾むようにペダルを蹴飛ばし、濡れたままの短髪を風になびかせる。娯楽の場が飛び石状にしか存在せず、しかも人口に比して無駄に土地余りなこの街では車輪の類がいつでも必需品だった。徒歩で出歩こうものなら地元の人間でも遭難は免れない。
空港のベッドタウンとして、陣取りを張り切りすぎた末路だろうか。近郊の最大都市である名古屋もやたらと道路が広くて区割りが大振りだから、単に愛知の県民性かもしれないが。
どうあれ常滑の街は横に広く、縦に低い。さぞかし飛行機は着陸しやすかろう。
「相変わらずボロいな」
「昨日もボロかったからな。きっと明日もボロいだろう」
大通りの国道沿いをしばしまっすぐ進むと、目的地が見えてきた。『ワンダーボウル』という煤けた電光掲示板が示している通り、否応なしに歴史と伝統を感じさせる遊戯施設だ。元はボウリング場がメインだったようだが、幸斗たちが物心ついた頃には既にその面影がなく、屋内はただのゲームセンターになっていた。
それでもこの街では数少ない娯楽の場とあって今もなんとか生きながらえている。数年前、空港の対岸に大型ショッピングモールができてからは青息吐息に拍車がかかったようで端からも心配になるが。
「あれ? 三世いないな」
亀のような速度で開く自動ドアを抜け、卓が案内所のカウンターを覗き込む。
「またメダルゲームやってんじゃないか? それかもう宝物庫に籠もってるか」