第一章 ②

 何か言い返してやらねばと口元をまごつかせていたゆきだったが、ふとすぐるの表情にいつしゆん差したかげのようなものに気付いて、舌に急ブレーキをかけるように前歯の裏へけた。

 今まで、気にしていたのだろうか。だからひそかに、朝から練習をのぞきに来たのか。

 ならば誤解を残さぬように、はっきりと伝えなければ。


「もういいって、野球は」


 ゆきが首をると、すぐるはふっと短く鼻から息をしてだつりよくする。


「そうだな。もういいか、野球は」


 かつてゆきすぐるは、ぜんしんぜんれいけて共に白球を追いかけていたころもあったのだった。遠い小学校時代の話だ。

 だからこそ、二人の意思かくにんは短い一言でじゆうぶんにこと足りた。

 うそいつわりなく、ゆきたちにとって野球は『もういい』のだ。

 にもかかわらず草野球にされ続けている現状が、ことさらゆきにとって自己けんの種になっているのだが。決別したならしたで二度とミットをはめなければ良いものを、何度となくぱらいたちの泣き落としごときに負けてしまった。そうこうしてる間にゆきの中学校時代はおおよそ全部がよこすべりした。

 同様にすぐるもまた、特に何をするでもなくゆきとなりで日々をろうしている。


「親友、今日こそ見つけようぜ。青春のはけ口ってやつを」

「そうだな相棒。きっとおれたちのかがやけるステージが、まだ見ぬどこかにあるはずだ」


 それもこれもヒマなのがいけない、というのがかねてからゆきすぐるの共通にんしきだった。この街で、焼き物ときようていくらいしか観光産業のないちゆうこくさいくうこうのベッドタウンで、なにがなんでも地に足を付けて毎日をおうする。

 そのために今日も、ゆきすぐるは『自分探し』としようしたしゆたんさくに明け暮れるのだ。


「しかしそろそろネタもきてきてないか。名古屋まで出る金も時間もないし」


 自転車のしをやめてサドルにこしけたゆきに続き、すぐるも立ちぎで速度を上げながらニヤリと笑う。


「心配するな。新台にゆうの情報を聞きつけてる」

「新台って、パチンコ?」


 いぶかしんでゆきが問うと、すぐるこついやな顔をした。


「おい親友。おれのモットー、知ってるよな?」

「だよな、すまなかった相棒」


 すぐるのモットー。少なくとも成人までは酒もタバコも手を出さない。パチンコきようていごんどうだん。その公言に、ゆきもまた全面的に同意していた。

 なぜ、あえてそんな宣言をわしあっているのかと言えば、ゆきすぐるもおたがい『飲み屋の息子むすこ』であるためだ。国道に数軒連なる、ネオン街とも呼べぬ数軒の酒場。今も二人はそこでとなり同士に暮らしている。


おれたちはな、グレたらベタすぎるんだ。ベタすぎてかっこ悪い。だからそーゆーのはやらん。それでいいよな?」


 改めてすぐるの真意を言葉として聞いて、ゆきは小さくうなずく。不満たらたらの毎日でも、えのない友は常にそばに居てくれた。


「ああ、それでいこう。でも、ということは新台ってアレか」


 少し考えてから、ゆきは思い至る。ここ最近の活動で、『台』と呼べるものにれたおくは一度しかない。


「ピンボールだな」

「そうとも、ピンボールだ」


 中空で親指を左右にり、ボタンををしたゆきに、すぐるが意を得たりとほほみをかべた。

 よし、まだだ。まだ今日は終わっていない。失われた十五さいの休日は、レトロなピンボール台によってばんかいできる。収まるべき居場所を、アナクロでアナログなばんめんの上にきっと見いだせる。

 同時にかんだそこはかとないかんをあえて無視し、ゆきは胸の内を希望で満たした。



「おまたせ」


 さして遠回りになるわけでもなかったので、ゆきは荷物えとシャワーの時間をしんせいして自宅に立ち寄った。さっぱりして外に出ると、裏口前の段差にこしけ大あくびをらしていたすぐるがのんびり立ち上がる。


「大天使は?」

「留守。買い出しじゃねーの」

「わはは。なんでそんなホッとしてるんだ、お前」


 家がもぬけのからだった事を伝えたゆきに、すぐるはどこかからかうような仕草でうでを組んだ。


「説明しないとわからねーか、相棒」

「いや。悪かったよ親友」


 そのやりとりはある意味定型文のあいさつみたいなもので、ゆきも、たずねたすぐるも深くはげない。すぐるの方にせよ、家はとなりなのだから外で待っていないで一時帰宅することもできたのだ。そうしなかったのは、つまりそういうことだ。

 親と会わずあんしたゆきも、自宅に入らず外で待っていたすぐるも、たがいの心持ちは確かめずとも知っていた。


「そんじゃ行くか。日が暮れる前に」

「夜遊びは不良のすることだしな」


 身軽になったゆきはずむようにペダルをばし、れたままのたんぱつを風になびかせる。らくの場が飛び石状にしか存在せず、しかも人口に比してに土地余りなこの街では車輪のたぐいがいつでもひつじゆ品だった。徒歩で出歩こうものなら地元の人間でもそうなんまぬがれない。

 空港のベッドタウンとして、じんりを張り切りすぎた末路だろうか。きんこうの最大都市である名古屋もやたらと道路が広くて区割りがおおりだから、単に愛知の県民性かもしれないが。

 どうあれとこなめの街は横に広く、縦に低い。さぞかし飛行機は着陸しやすかろう。


「相変わらずボロいな」

「昨日もボロかったからな。きっと明日もボロいだろう」


 大通りの国道沿いをしばしまっすぐ進むと、目的地が見えてきた。『ワンダーボウル』というすすけた電光けいばんが示している通り、いやおうなしに歴史と伝統を感じさせるゆうせつだ。元はボウリング場がメインだったようだが、ゆきたちが物心ついたころにはすでにそのおもかげがなく、屋内はただのゲームセンターになっていた。

 それでもこの街では数少ないらくの場とあって今もなんとか生きながらえている。数年前、空港の対岸に大型ショッピングモールができてからはあおいきいきはくしやがかかったようではたからも心配になるが。


「あれ? 三世いないな」


 かめのような速度で開く自動ドアをけ、すぐるが案内所のカウンターをのぞむ。


「またメダルゲームやってんじゃないか? それかもう宝物庫にもってるか」

刊行シリーズ

ステージ・オブ・ザ・グラウンドの書影