「だな。もう絶対こねーよ、こんなボロセンター!」
ほどなくして、久方ぶりのゲストたちは大して金を落とさず、しかし禍根も植え付けずに、古びた遊戯施設を静かに立ち去っていったのだった。
「衰えてないな」
移動がてらに幸斗は200円を薄っぺらいコイン一枚に変えて、右隅の古びた機械に無断で挿入した。
「おいこら。もう終わるってーの」
振り返らないまま、不服を露わに舌打ちする卓だったが、残り球を放棄してまでバッターボックスから離れようとはしなかった。
また一球、センターやや左寄りに弾丸ライナーが突き抜けていく。
「惚れ惚れするよ。さすがは元・安打製造機」
「ただ速いだけじゃねーか。いつもだいたい同じところに、まっすぐ入ってくるだけだ。たいした球じゃねーだろ、こんなの」
だとしても、並大抵の反射神経ではこの速度には反応すらできない。
そう思いつつも、幸斗は異論を打ち切った。
確かに、事実かもしれない。かつて味わったあの驚愕に比べたら、機械が投げる150キロなんて、足許にも及ばない。卓がそう言うのなら、幸斗にとっては尚更だ。ならば、もはや友の言葉を否定する余地など、残されていなかった。
「うわ、クセえ。最悪だ」
追加分の球もきっちり打ち返し打席を離れた卓が、掌を鼻に近づけてこの世の終わりみたいな顔をした。染みついた金属臭を拭いたい一心か、幸斗に目もくれず化粧室めがけて突き進んでいく。
「ありがとよ、スグ! やっぱスグの流し打ちは見ていてスカッとするな!」
その行く手を阻むように脇から飛び込んできた店長。三世なのに人の心を盗むのはあまり得意ではないようだ。
「幸斗、帰ろうぜ。疲れたから今日はもういーや」
抱きつかんばかりの勢いだった中年をさらりと躱し、手洗いの目的を果たし戻ってきた卓は素っ気なく幸斗の肩を叩く。
「え、ピンボールやってけよ。そのために来たんだろ?」
「気が変わった。またなとっつぁん」
店長が驚いているが、幸斗としてはなんとなくこうなることが予想できていたので卓にそっと頷く。
うっかり野球に触れてしまうと、卓は大概機嫌を損ねる。ある意味では、幸斗以上に偏執してるとさえ言える毛嫌いぶりだった。
だからといって、今改めて卓の内心を確かめる気はしない。答えなら『野球はもういい』に決まっているし、その会話ならついさっき終えたところだ。一日に同じ話を何度もするのは、酔っ払いたちだけに任せておけばいい。
「またいつでも来いよ~!」
下の階のビデオゲーム協奏曲に負けぬよう声を張り上げる店長に、幸斗と卓は右手を掲げるアクションだけで応えながら階段を下りていく。
「ところで幸斗」
「ん?」
「お前ピンボール楽しい?」
「つまらないと言うほどでもない、かな」
「学食のメニューで言うとどれくらいの位置?」
「月見そばくらいかな」
「まあ、それくらいの興味度だよな」
外に出て、どちらからともなく薄汚れた遊戯施設を振り返り見上げる。せめてここの最期は看取ってやりたいが、ピンボールは別にもういいかなと思った。
*
「どする?」
「うーん」
幸斗が頭を搔くと、卓も自転車のハンドルに頰杖を付いて天を仰ぐ。
「マックか」
「他にないしな」
おうち帰りたくない系男子二名は、最小限の会話で寄り道の延長案に合意した。こうしていつもだいたい同じ毎日が過ぎていく。
気だるいペースで国道沿いを移動すること数分。目当ての赤い看板が近付いてきた。おおよそ一本道の移動でだいたいの目的が達成できるのはこの街の利点と言えるかもしれない。単に選択肢が少ないだけだが。
「あ、やば」
自転車を止めて入り口に向かう途中、卓がぎくりと足を止めた。その理由がちょうど今、店から出てきた女子高生に起因していると幸斗も気付いたが、発せられた言葉に対する違和感で危うく呆れ笑いを漏らしそうになる。
ずいぶんと嫌そうな反応をするものだ。自分の彼女との対面だろうに。
「やっぱりすぐるくんじゃん! そうだと思って店出てきたよ!」
上目遣いに続いて、店内をちらりと一瞥するやせ形の少女。どうやら友人たちと過ごしていたようで、視線の先では同年代の女子数人がこちらに向けてニヤニヤ手を振っている。
事の起こりはほんの先週だった。自分探しプロジェクトの一環か、卓が突然『ナンパしてみよう』と言いだし勢い任せに実行したのだ。この時ばかりは気乗りせず傍観していた幸斗だったが、結果としてこの求愛活動は成就する。晴れて親友は彼女持ちの身分に昇進した。
卓自身が、成功してしまった事実に対し困惑しきりに見受けられるのが微妙に気がかりではあるのだが。
「すぐるくん、今なにしてるの?」
やせ形の少女は長い髪をかき分けながら尋ね、きりりと縁取られた目元を一瞬だけ幸斗にも向けた。間違いなく美人なのだが、どうもその表情には棘があるように感じてしまう。それも単純な話、幸斗が邪魔なのだろう。
「えーと。なにっつーか」
「卓。俺先帰ってるわ」
気を利かせようと努めて笑顔を振りまき手を振った幸斗に、卓は双眸をかっ開いてあからさまな遺憾の意を投げつけた。彼女と二人きりにしてやろうという計らいになぜそんな顔をするのか幸斗にはわからない。
「ばいばーい。ほらほらすぐるくん、とりまお店はいろ?」
どうあれ少女の方は卓の面持ちに何かを感じる様子もなく、真新しい彼氏の肩を押して無邪気に店内に押し込んでいく。
「そういえばまだ名前も知らんな、あの娘」
薄暗くなってきた街の生ぬるい風を立ち漕ぎで浴びながら、幸斗はふと思い出す。
正直さして興味もないのだが、このまま二人が恋愛関係を続けるなら是非もなくその名や、幸斗にとって毒にも薬にもならない赤の他人のデータが蓄積していくのだろう。
そう思った瞬間に初めて、幸斗はなぜか一抹の寂しさのようなものを感じてしまった。
家路を逸れ、交差点で左にカーブを曲がる幸斗。
まだ少し、自分の部屋には帰りたくなかった。
*