第一章 ④

「だな。もう絶対こねーよ、こんなボロセンター!」


 ほどなくして、久方ぶりのゲストたちは大して金を落とさず、しかしこんも植え付けずに、古びたゆうせつを静かに立ち去っていったのだった。


おとろえてないな」


 移動がてらにゆきは200円をうすっぺらいコイン一枚に変えて、みぎすみの古びた機械に無断でそうにゆうした。


「おいこら。もう終わるってーの」


 かえらないまま、不服をあらわに舌打ちするすぐるだったが、残り球をほうしてまでバッターボックスからはなれようとはしなかった。

 また一球、センターやや左寄りにだんがんライナーがけていく。


れするよ。さすがは元・安打製造機」

「ただ速いだけじゃねーか。いつもだいたい同じところに、まっすぐ入ってくるだけだ。たいした球じゃねーだろ、こんなの」


 だとしても、なみたいていの反射神経ではこの速度には反応すらできない。

 そう思いつつも、ゆきは異論を打ち切った。

 確かに、事実かもしれない。かつて味わったあのきようがくに比べたら、機械が投げる150キロなんて、あしもとにもおよばない。すぐるがそう言うのなら、ゆきにとってはなおさらだ。ならば、もはや友の言葉を否定する余地など、残されていなかった。


「うわ、クセえ。最悪だ」


 追加分の球もきっちり打ち返し打席をはなれたすぐるが、てのひらを鼻に近づけてこの世の終わりみたいな顔をした。みついた金属しゆうぬぐいたい一心か、ゆきに目もくれずしようしつめがけてすすんでいく。


「ありがとよ、スグ! やっぱスグの流し打ちは見ていてスカッとするな!」


 その行く手をはばむようにわきからんできた店長。三世なのに人の心をぬすむのはあまり得意ではないようだ。


ゆき、帰ろうぜ。つかれたから今日はもういーや」


 きつかんばかりの勢いだった中年をさらりとかわし、手洗いの目的を果たしもどってきたすぐるは素っ気なくゆきかたたたく。


「え、ピンボールやってけよ。そのために来たんだろ?」

「気が変わった。またなとっつぁん」


 店長がおどろいているが、ゆきとしてはなんとなくこうなることが予想できていたのですぐるにそっとうなずく。

 うっかり野球にれてしまうと、すぐるたいがいげんそこねる。ある意味では、ゆき以上にへんしつしてるとさえ言えるぎらいぶりだった。

 だからといって、今改めてすぐるの内心を確かめる気はしない。答えなら『野球はもういい』に決まっているし、その会話ならついさっき終えたところだ。一日に同じ話を何度もするのは、ぱらいたちだけに任せておけばいい。


「またいつでも来いよ~!」


 下の階のビデオゲーム協奏曲に負けぬよう声を張り上げる店長に、ゆきすぐるは右手をかかげるアクションだけで応えながら階段を下りていく。


「ところでゆき

「ん?」

「お前ピンボール楽しい?」

「つまらないと言うほどでもない、かな」

「学食のメニューで言うとどれくらいの位置?」

「月見そばくらいかな」

「まあ、それくらいの興味度だよな」


 外に出て、どちらからともなくうすよごれたゆうせつかえり見上げる。せめてここのさいってやりたいが、ピンボールは別にもういいかなと思った。


     *


「どする?」

「うーん」


 ゆきが頭をくと、すぐるも自転車のハンドルにほおづえを付いて天をあおぐ。


「マックか」

「他にないしな」


 おうち帰りたくない系男子二名は、最小限の会話で寄り道の延長案に合意した。こうしていつもだいたい同じ毎日が過ぎていく。

 気だるいペースで国道沿いを移動すること数分。目当ての赤い看板が近付いてきた。おおよそ一本道の移動でだいたいの目的が達成できるのはこの街の利点と言えるかもしれない。単にせんたくが少ないだけだが。


「あ、やば」


 自転車を止めて入り口に向かうちゆうすぐるがぎくりと足を止めた。その理由がちょうど今、店から出てきた女子高生に起因しているとゆきも気付いたが、発せられた言葉に対するかんあやうくあきれ笑いをらしそうになる。

 ずいぶんといやそうな反応をするものだ。自分のかのじよとの対面だろうに。


「やっぱりすぐるくんじゃん! そうだと思って店出てきたよ!」


 うわづかいに続いて、店内をちらりといちべつするやせ形の少女。どうやら友人たちと過ごしていたようで、視線の先では同年代の女子数人がこちらに向けてニヤニヤ手をっている。

 事の起こりはほんの先週だった。自分探しプロジェクトのいつかんか、すぐるとつぜん『ナンパしてみよう』と言いだし勢い任せに実行したのだ。この時ばかりは気乗りせずぼうかんしていたゆきだったが、結果としてこの求愛活動はじようじゆする。晴れて親友はかのじよ持ちの身分にしようしんした。

 すぐる自身が、成功してしまった事実に対しこんわくしきりに見受けられるのがみように気がかりではあるのだが。


「すぐるくん、今なにしてるの?」


 やせ形の少女は長いかみをかき分けながらたずね、きりりとふちられた目元をいつしゆんだけゆきにも向けた。ちがいなく美人なのだが、どうもその表情にはとげがあるように感じてしまう。それも単純な話、ゆきじやなのだろう。


「えーと。なにっつーか」

すぐるおれ先帰ってるわ」


 気をかせようと努めてがおりまき手をったゆきに、すぐるそうぼうをかっ開いてあからさまなかんの意を投げつけた。かのじよと二人きりにしてやろうという計らいになぜそんな顔をするのかゆきにはわからない。


「ばいばーい。ほらほらすぐるくん、とりまお店はいろ?」


 どうあれ少女の方はすぐるおもちに何かを感じる様子もなく、真新しいかれかたしてじやに店内にんでいく。


「そういえばまだ名前も知らんな、あの


 うすぐらくなってきた街の生ぬるい風を立ちぎで浴びながら、ゆきはふと思い出す。

 正直さして興味もないのだが、このまま二人がれんあい関係を続けるならもなくその名や、ゆきにとって毒にも薬にもならない赤の他人のデータがちくせきしていくのだろう。

 そう思ったしゆんかんに初めて、ゆきはなぜかいちまつさびしさのようなものを感じてしまった。

 家路をれ、交差点で左にカーブを曲がるゆき

 まだ少し、自分の部屋には帰りたくなかった。


     *

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