第一章 ⑤

 所在なくなると、ゆきは決まってちゆうこくさいくうこうの対岸にあるすなはまで時間をつぶす。くらやみおくにぼんやりかぶ、海の向こうのゆうどうとうながめる様は絵面だけならセンチメンタルのきわみかもしれないが、現実としてはさほどとうすいできるかんきようでもない。

 なにせ向かい風が強い日はやたらといそくさいのだ。人工島で海流をゆがめてしまったせいなのかはわからないが、今、この近くで確実に何かがくさっている。

 まさかゆき自身の内面からにじおりに鼻が悲鳴を上げているということもあるまい。

 朝からのどういくぶん張ってきた首筋をほぐすようにあごを持ち上げながら、ゆきはジップアップパーカーのポケットに両手をだらりと預ける。

 ごうおんをあげて夜をつらぬくジェット機が、どことも知れぬちがう世界へまたひとつ消えていった。


「あいつらは、ジェットついてるからな」


 だからどこにでも行けるのだろう、とせんきことを思う。何の推進力も持たぬゆきだから、わだかまりを断ってじようするには身体が重すぎた。せいぜい他力本願にかつくうしながら高度を下げていくことしかできない毎日だ。

 いや、かつくうとておごりすぎか。そもそも飛んでないのだから、単に地をすべっているだけだ。

 人生、よこすべり。変わりたいとは思っても、熱が入らない。無理矢理燃料をめても、点火すべきエンジンが見つからない。


「パイロットでも目指すかー」


 そうすればゆきだって飛行機の力を借りてどこなりとも飛んでいける。

 もちろん少しも本気ではなかった。ぜんむなしさがあふれる。


「そろそろ帰らんとな」


 大きく息をして引き返すゆき。家に居る時間は短くしたいが、さりとてあまり帰りがおそくなるのも問題だ。酒場が開いてしまうと常連客たち、すなわち草野球チームの構成員がしかけてくる。顔を合わせてまれるのはもうめんこうむりたかった。

 すっかり暗くなった歩道までもどり、ゆきは近くのショッピングモールに背を向け自転車をぎ始める。するとまもなく、向こうから歩いてくる女子二人の姿がぼんやりとに留まった。


「うわ、アホほど人運の悪い日だ」


 ゆきが思わず顔をしかめたのは、二人のうち向かって右側の方にはっきりと面識があったからだった。名は、もちづきなぎさかのじよもまた、かつてゆきからはなれていった人間のひとりだった。

 ──はなれていった。

 ふとおもかんだ言葉にきつの色を感じてゆきは別の表現をさくする。すぐるとの間には、別に今のところみぞができたわけでもないではないか。

 余計なことを考えている間に二人組とのきよせまってしまう。ほんのしゆんかんだけ、なぎさゆきいちべつしたことが何となくわかった。すれちがぎわまで対応にまどう。せめてあいさつくらいはすべきだろうか。

 再び同級となった高校の学内・学外を問わず、可能な限り話しかけてくれるなと、かいこくを受けているのだが。

 結局、ゆきは声を出せずいだった。なぎさもまた以後一度も目を合わせようとせず、となりの友人との雑談を止めぬまま歩道のはしを通り過ぎていく。

 改めてそのこつな無視をなげく気持ちと、反面ほっとしたようなあんゆきの心の中に大理石模様をえがく。

 そしてもう一つ、あらゆる意味で無礼な感想も頭をよぎった。先ほどはすぐるかのじよも美人だと思ったが、やはりなぎさと比べればあしもとにもおよばないな、と。

 ゆきの半分程度しかはばがないのではないかとさつかくするほどコンパクトなラインをえがかた。暖色系の電灯に照らされていても、街名物のまねねこ以上に白くんで映るはだ。複雑にふんわりと巻かれた、あでやかなちようはつ。入学一週目で同級生の大半をりようしてしまった、りんかく線の強い目鼻立ち。

 ひそかに女子力のごんと同性からされるのも無理からぬ、いちすきもないひめキャラの様相であった。

 まったくもはや、ゆきたちと行動を共にしていたころおとこまさりな印象などどこにもない。なぎさもまた、別の意味で生き様をおおはばにスライドさせた人間だった。

 否。学内ヒエラルキーをまたたがっていった事実を加味すれば、かのじよの変化こそまさに『りく』と呼ぶべき事象かもしれない。


「ねえ」


 冷たい声を背中に受けて、ゆきかみが逆立つほどびくりとした。おそおそかえると、単身引き返してきたらしいなぎさげんそうに風で乱れるかみを片手でさえつけながら、冷眼を向けている。


「なん、でしょう?」


 思考がれていたのではないかと後ろめたくなったゆきは、うっかり敬語になりつつ、つっかえつっかえにおもわくうかがう。それを見てますますなぎさげんそうに顔をゆがませた。

 しばし、一方的ににらまれるばかりの時間が続いた。いたたまれなくなり何かたずねようかとまどゆきだったが、会話がかばない。

 れたようにこうたくを放つなぎさくちびるが、ようやくわずかにはなれる。


「ねえ。……アイツ、帰ってきたの?」


 そうしてゆきに届けられたのは、そんな質問だった。


「へ?」

「似てるヤツを見たの、昨日。遠くからちらっと目に入っただけだったけど、似てた」


 要領を得ない。き返すとおこられそうだったが、このままではらちがあかないとゆきは腹をくくる。


「あいつって、だれのことだ?」

「チッ」


 こつに舌打ちされた。なぜわからないのだと言わんばかりのじんいらちをぶつけられ、そろそろゆきとしても文句の一つくらい返したい気分になってきた。


「もういい」


 だがその機会もあたえられぬまま、なぎさはくるりと背中を向けてしまう。


「おい、なぎさ

「それじゃ。二度と話しかけないで」


 呼び止めてもく耳を持たず、早足でショッピングモールの方へ歩いて行く女子力のひめ


「ざけんな。そっちが話しかけたんだろ」


 確実に声が届かぬほどきよが開いてからようやく、ゆきのどにつかえていた不平不満がぽろりとれる。

刊行シリーズ

ステージ・オブ・ザ・グラウンドの書影