一 南の海に雪は降らない ①
帝都の朝はいつでも騒がしい。
六十万とも百万ともいわれる帝都の住人達が一斉に目覚め火を
気の早い御者は早くも馬車を乗り回し、早朝の不機嫌さを抱えた馬達が甲高い
朝の十時までに家の前の街路を清掃しておくこと、という法令が守られることは稀だった。馬車や人々は好き勝手に道の
起きて窓を開け屋上にでも登れば、
高らかに鳴り響いたのは教会の鐘。帝都だけで数百もある教会の鐘楼が、
田舎者が目を回すようなめまぐるしい帝都の朝だが、しかし帝都で生まれ育ったラザルスにとっては単なる日常の一風景だ。
「朝まで勤労に励んだんだから、寝かせてくれよ……」
カーテンを閉め忘れた窓から差し込む光に眉を
ブラック・チョコレート・ハウスで賭け事を行い、トラブルもあったせいで随分疲労が
養父はある日突然に殺されてしまったのでそんなつもりなどなかっただろうが、多くのものをラザルスに
イーストエンドに建てられたタウンハウスもまたその内の一つだ。
日の光を嫌う
来客があるか、腹が減るまではこうして寝転がっていようとラザルスは決める。
窓から入ってきた光は室内を漂っている
「天使だってこんな家に来るのはお断りだろうなぁ……」
「────ん。誰だ?」
早々に家の扉が乱暴にノックされたからだ。キツツキのように
居留守を決め込もうかとも思ったが、ノックの仕方は明らかに確信的で、来客はラザルスが室内にいることを知っているらしい。
仕方なしに立ち上がって、パイプをどこへやったかと服のあちこちを
「おはようございます、ラザルス様。商品のお届けに上がりました」
扉の外にいたのは、早朝の爽やかな空気にはおよそ
そしてその黒い不吉な男の隣には一人の子供の姿。フードを深く
「教会の喜捨の頼みか? 聖歌隊にしちゃ人数が少ないようだが」
「いいえ、違いますとも。ブラック・チョコレート・ハウスから来たものです」
ラザルスの詰まらない冗談に、男は
(商品のお届け。ブラック・チョコレート・ハウス。────ああ、そういえば)
昨日、何かを買ったのだったか、とラザルスは思い出す。
賭場で大勝ちした記憶がぼんやりと浮かんできて、そして賭場に
『そういえば』というのは冗談でも何でもなく、本当にラザルスはその事実を
昨日の買い物はいってしまえばブラック・チョコレート・ハウスに利益を還元することが目的だったのであり、商品を買うことが目的だった訳ではない。
ラザルスからすれば買った商品には一片の興味もないので、一度寝た後では『買った』という事実すらも忘れかかっていたほどだ。どうやら相手の方は忘れていなかったようで、そんな約束をしたかどうかは覚えていないが、こうして翌日に商品の配達にやってきたらしい。
黒い男は機嫌が良さそうに指を
「ブルース・クォーターも喜んでおりましたよ。これはさる富豪に頼まれて用意した商品だったのですが、その富豪との商談が破談になってしまい、大口の取引がそうそう舞い込む訳もなく困っていたところでして。おっと、
「あぁ、そう」
本来ならば、こういった商品の取引ではもうちょっとあれこれの感情が見える物なのかもしれない。
犯罪も含め手広く商売を広げるタイプの男で、
黒衣の男はまだあれこれと話をしたそうで、更にいえば家に上がって歓待を受けたいような顔つきだったが、ラザルスはそれを気付かなかったことにした。
「とりあえず、商品はこれだけか? あっそ、じゃあ、
とだけいって男の目の前でぴしゃりと扉を閉じた。男の訪問によって妨げられた眠りがまだ頭に
扉越しに気配を
「さて、と」
そして扉の内側に残されたのはラザルスと、一人の少女。
「…………どうすっかな」
ラザルスが昨晩に買った商品とは、
この国に、一説には二万人を超える奴隷がいるとされている。
彼らの
ラザルスが買ったのは、遠方から輸入されてきた奴隷のうちの一人だ。宝石と違法な物品を除いてしまったら、ブラック・チョコレート・ハウスで買える高価な商品がそれくらいしか残らなかったのである。
「初めて買ったな」
と単なる事実確認のようにラザルスは
わざわざ奴隷を買う必要性が生じたのはこれが初めてのことであり、ラザルスの人生で奴隷というものに接した機会自体が



