一 南の海に雪は降らない ②
室内に入ったのにフードも取らないままぼんやりと立ち尽くすその少女の奴隷はまるで人形のようであり、一般的な奴隷はこういうものなのだろうかとラザルスは内心で首を
ともかく、玄関でいつまでも並んで立っているのも間抜けな話だ。
ラザルスはさっさと居間に戻ろうと廊下を歩いて、それから振り返って眉を
「おい」
背後の奴隷はついてくるものだと思ったのだが、彼女はそのまま玄関先に立ち続けていたからである。
ラザルスが不機嫌そうに声を投げかけると
「…………で」
部屋の入り口の辺りでまた立っている奴隷を見て、ラザルスは面倒そうに
座ったことで視線が下がり、フードの下が見えるようになる。人種が違うために正確な年齢を測ることが出来ないが、多分十は超えていて十五には届かないくらいだろうか。
異国情緒を感じさせる浅黒い肌。他人に見せることを意識して
顔立ちは整っているが、表情が何も浮かんでいないためか死んだ美しさだ。大きな瞳にラザルスの顔が映り込んでいるのが小さく見えた。
「どうすっかな」
別にラザルスは欲しくて奴隷を買った訳ではないので、奴隷にさせるべき何かがある訳でもない。
「おい」
「…………」
ラザルスが呼びかけてみると、その少女の表情は変化しなかったが、その瞳に
しかし、返事はない。
「おーい」
「…………」
「んん。まさか言葉通じてないのか?」
それにしたって返事くらいはあっても良いだろうにとラザルスが困惑していると、少女が一度口を開いて閉じた。
ひゅる、と喉を風が通る音とともにぱくりと開閉し、それから少女が指を口に当てる。ジェスチャーは小さなものだったが、何を伝えたいのかは分かった。
「…………
今度は一度だけ
「何でわざわざ
昨晩はもう面倒になって適当に商談を終えてしまったので、ラザルスは奴隷を自分で選んでいない。高い金を渡して
買う時に確認しなかったラザルスが悪いのだろうし、それ以前にわざわざ確認するほどの興味を持てなかったのだが。
当然ながら少女は
ただ、ラザルスの一挙一動に
ラザルスは首を緩やかに振って、
「なぁ、別にそんなに
といってはみたが、その言葉ですら少女を
何をいっても何をしても、どうにも少女を怖がらせてしまう。少女の目にはライオンか熊のようにラザルスが見えているのだろう。同じ
更に何かを言おうかとも思ったが、結局面倒になったし、それ以上に眠かった。まだ疲労が抜け切っていないようで、全身が
「どうでもいい」
と切り替えるために
中から取り出したのは一つの懐中時計だ。物は古く少しばかり手入れをサボっているが、まだそれなりに値打ちがするだろう。
それをひょいと少女に向かって軽く放った。少女が鈍い反応ながらも時計を落とすことなく受け止めた。
「気が向いたら、十一時頃に起こしてくれ。────時計の読み方は分かるな?」
自身も時計のムーブメントの一部であるというような無機質な動きで少女が
知らない人間が同じ室内にいる状況では寝られないかとも思ったが、どうやらラザルスは自分で思う以上に図太い神経を持っているようだ。
眠りはすぐに彼を
次に起きた時、ラザルスは一瞬奴隷の少女が自分を殺そうとしているのかと思った。
起き抜けの耳に
だが実際には音はただ玄関先から届いてくるだけで、彼の身体には誰も触れてはいなかった。夢と混じり合った幻想を彼は首を揺らして振り払い、のっそりとソファで身を起こす。
「…………」
少女は変わらずに、ラザルスが寝た時と同じ位置に立っていた。『変わらずに』というのは立ち位置が変わっていないのみではなく、姿勢が何一つとして変化していないということだ。
まさか指一本動かさないまま待機していたのだろうか、とラザルスが
「あぁ、いや、ノックの音か」
自分を起こした音がノックであると、ラザルスは思考に遅れて気付く。まるで玄関の扉をそのまま吹き飛ばそうとするような
時間を知ろうとラザルスは少女が受け取ったまま動かずに持っている懐中時計へと手を伸ばした。その手に少女がびくりと反応する。
「…………っ」
少女の喉から
放っておくと扉を破壊するまで
「なぁ、おい」
少女が
「ちょっと玄関開けてきてくれ。どうせ、こんな熊みたいな男が一人いるはずだから」
こんな、といってラザルスがおどけたように自分よりも倍ほども大きい人間をジェスチャーで示す。それが伝わったかどうかは分からないが、少女は
ラザルスはソファに深く座り直して、近くにあった金属容器を拾い上げた。
数秒後、扉が開く音が聞こえた。
「よお! 〝ペニー〟カインド! ブルースの賭場でしくじったって聞いた────」
直後に沈黙。訪ねてきた知り合いと少女が見つめ合う時間をラザルスは想像して、
「ラザルスぅうううううううう! お前! 一体どうしたその姿は! なんだ、罰として変な薬でも飲まされたか! うわあ! ちっこくなりやがって! 人種まで変わってやがる! 性別も! 年齢すら! なんてことだ! ラザルス! ラぁぁザルぅううううス!」
家中に響いた大声に腹を抱えて笑った。



