一 南の海に雪は降らない ③
訪問者はよほど驚いたのかどたんばたんと足音が居間にまで届く。この家に住んでいるのはラザルスだけであるし、メイドも雇わないラザルスの偏屈さは皆が知るところなので、出てくるのがラザルスだと想像したところに小さな少女が出てきたから驚かされたのだろう。
少女が戻ってくるまで
「よう、ジョン」
「ああ、良かった! お前がラザルスだよな! お前がこんな
入ってきたその男の名を、ジョン・ブロートンという。ラザルスの少ない友人のうちの一人だ。
ラザルスが座っていることとは関係なく、見上げなければいけないほどの身長をした男である。隣の少女の倍近く身長があり、鍛え上げた筋肉によって肥大したジョンの上腕二頭筋は少女の腰よりも太い。
昔は船乗りであった彼の肌は、一年中どんよりとした雲が
彼は、
この時代の拳闘とは
数日前にも会ったばかりだというのに、ジョンは数年ぶりの再会だといわんばかりに両腕を広げて笑みを浮かべる。
「しかし、心配したぞ! 〝ペニー〟カインドが珍しく大勝ちしてトラブル起こしたって! つーか、あの
「せめて話は絞ってくれよ。後、フランセスには振られたんだよ」
「そうだったか? あっはっは! それはすまんかったな! だがフランセスはお前に振られたといっていたぞ!」
「お前のそのデリカシーのDもないところ、一周回って
肺の底から
「この無駄に部屋の空間を圧迫する
路上試合で名を挙げたジョンはこのままでは拳闘の文化が衰退してしまうと一念発起して、史上初めてとなる拳闘の道場を立ち上げた。
それはいいのだが、自宅をそのまま道場に改築した上に居住空間を考えていなかったなどというボケをやらかし、現在は住む場所にも苦労している
普段は道場で起居しているのだが家具もないため、食事は基本的に外で食べ、たまにこうしてラザルスの家で食べることもある。拳闘の興行であちこちを巡っているためにラザルスが直接目にする機会は少ないが、試合も道場も好調ではあるようだ。
「
「はっはっは! プロの賭博師にそういって
ラザルスの皮肉交じりの言葉に気付いていないのか、気付いていて無視しているのか。どちらにしろそれをさらりと受け流せるからこそ、ラザルスと友人関係が続いているのは間違いなかった。
話しかけられたからとりあえず首を動かしたというような
「それでこのお嬢さんはどちら様だ? そうか、お前の遠い
「なんでそう思ったんだよ。…………昨日俺がドジ踏んで
「うむ! らしいな!」
「相変わらず帝都は
「…………」
少女が無言で一礼をした。
「ほう! なるほど! お前の臆病も筋金入りだな!」
というのがジョンの真っ先に出た感想だった。賭博師の三つの決まり、という形ではないが何度か一緒に賭場に行ったことのあるジョンは、ラザルスの『勝ちすぎない』という生き方を知っている。
「そんなに
「お前ら殴り合いの世界と一緒にすんなよ」
「そしてこちらのお嬢さんは奴隷であったか!
ジョンは
「それで、この子はなんという名前なのだ?」
「…………名前?」
「そうとも! 奴隷といえど名前はあるだろう! 挨拶をしたいのだが名前が分からぬのでは
ラザルスは視線を随分と下げて、フードに隠された少女の
「そういえば、名前は何だったか。あの変な黒い
教える間もなく面倒くさがって扉を閉めたという事実を棚に上げながら、ラザルスは
「おい、お前、名前は……って
ラザルスの言葉に少女は最低限、目が合うくらいだけ
少女が着ている服といえば飾り気のないワンピースとその上から
恐らくは言語の違う文字を、音だけで英語に置き換えたものなのだろう。
「リーラ?」
名前を呼ばれた少女──リーラは一瞬だけ痛みを覚えたように眉を
「リーラね。リーラっていうんだとさ」
「なんと! この子は
「よく分からん。それなりの金を払って買ったはずなんだが、来たのはこれだった。見た目で値段が
今こうしている間も、少女の瞳の中のどろどろとした
奴隷として売られて来たのだから当然とも思えるが、それにしても相当根深い
「そうか? 表情がないから分からんぞ!」
「お前はもう少し人の顔色を見た方がいい」
ラザルスは肩を
単なる愚痴と自分への説明を併せたような言葉だったが、しかしジョンは一つ
喉の奥まで眺めてから、
「ふむ!」
「そうしてると、
「あれだな! むしろ
結論づけるようなジョンの言い方にラザルスは眉を
「どういうことだ?」
「
「…………随分詳しいな」
「結局のところ俺の売り物は暴力だからな! 幾らかの



