一  南の海に雪は降らない ⑥

 ラザルスはそんなリーラを眺めて、鼻を鳴らす。


「どうでもいい」


 帝都の街並はまるでパッチワークのようだ。

 街が造られた頃からずっと建っているのではないかと思わせる古い木造建築から、まだ真新しいれん造りの家まで。通りを歩きながら辺りを見回しただけで両手を使っても数えきれないほどの年代、建築様式の建物が目に入ってくる。

 時折新しい住宅がまとまって建っていることがあるのは、帝都で頻発する火事のせいである。十七世紀のロンドン大火を筆頭に、帝都は大小を問わず火事の多い土地柄で、そして新しい家は防火性を高めるためにれん造りにすることが法律で定められている。古い街並の一部だけが焼け、そこに新しい建物がめ込まれるという繰り返しが帝都の歴史であり、角を一つ曲がっただけで街並ががらりと変わることも珍しくなかった。


(この街でどこでも見られる特徴っていったら、そこに賭博があることくらいだろう)


 賭博師としてそれを専業に生きていく人間は少ないが、しかし帝都において賭博というのは最もありふれた娯楽である。

 歩きながらちらりと見ただけでも、コーヒーハウスのオープンテラスでは男達がサイコロ遊びに興じていて、別なところでは道端のたるをテーブル代わりに今回政府が提案した法案が成立するかいなかの賭けが行われている。露天商の並べた本の中には賭博に関するものがちらほらあり、そこにはトランプも売り物として交ざっていた。

 ラザルスが向かっている先もまた、そうした広くかいしやした賭博のうちの一つである。


「あ、ラザルスさん!」


 店が見えた頃に、ラザルスに声がかけられた。

 目的の酒場からひょこりと顔を出してラザルスに向かって手を振ったのは、宗教画の天使がそのまま成長したような一人の青年だった。どうやら知り合いを送り出したところだったらしいその青年は、そのままラザルスに微笑ほほえみかけてくる。


「珍しいですね、こっち来たんですか?」


 細い体つきに、柔らかく巻いた茶色の髪の毛。純真そうな瞳がラザルスのことを見て、喜びできらきらとした。


「久しぶりだな、キース。ちょっと飯がてら、ついでに賭けも」


 キースという名のその男も、ラザルスと同じ賭博師の内の一人である。友人というほど親密ではないし、居着いている賭博の種類が違うために余り頻繁に顔をあわせる訳でもないが。

 ただ『友人というほど親密ではない』と考えているのはラザルスの方だけなのか、ひとなつっこい犬が寄ってくるような仕草でキースは近付いてきた。


「わ、やった! ラザルスさんが一緒にやってくれるなら、僕も勝てそうです! 最近負け続きで!」

「何で一緒に賭ける前提なんだよ」

「いいじゃないですかー。僕、全然賭け事が上手うまくならなくって…………あれ、その子、ラザルスさんの連れですか?」


 れしいとラザルスが感じる距離感に踏み込んできたキースは、そのラザルスの後ろをついてくる小さな影にも気付いた。


「初めまして。キースです。みようは割ところころ変わるんで、覚えなくていいですよ。可愛かわいいですね、何歳?」


 キースは服の裾がよごれるのにもかかわらずひざを折って、リーラに視線を合わせた。女なら誰もがひとれを感じそうな甘い笑みが彼の顔に浮かぶ。

 だがリーラは女というには若過ぎたらしい。地獄の門もかくやという程度に閉め切られた彼女の感情はキースの笑顔では小揺るぎもせず、そもそも焦点がキースにあっていて彼を認識しているかすら怪しい。

 気を悪くした風でもなくキースは立ち上がって、


「うーん。前の時も思いましたけど、ラザルスさんって、こう癖と気が強いタイプが好みなんですね」

「お前らは何で俺がガキ連れてるだけで恋人だと思うし、必ずフランセスについて触れんだよ」

「そりゃぁ、ラザルスさんが二人連れで歩いていたのも、誰かと恋していたのも、フランセスさんがいた頃だけだからですよ」

「…………くそが」


 そもそも『前の時』でフランセスを思い出した時点で負けたようなものだった。


「お前が賭け事上手うまくならないのは、色んなものを抱え過ぎだからだよ。色恋で判断を狂わせた賭博師は、すぐに死ぬって決まってんだ」


 賭博に色恋はつきもので、それにまつわる話も幾らでも転がっている。賭博師が恋に落ちた話は、いつだって最後には賭博師の死で終わるのだった。


「えぇー。なら、僕、賭博師じゃなくていです」


 あっさりと言葉をひるがえして口をとがらせるキースを押し退けて、ラザルスはさっさと酒場へと入る。通りもまたうるさいものだが、酒場の中には別種のけんそうと熱気が満ちあふれていた。


「…………?」


 ラザルスに次いで入ってきたリーラが、少しだけ不思議そうに顔を傾けた。確かに、一見してこの店は酒場らしくない席の並び方をしている。

 広い店の中央には円形のぽっかりとした空間があり、そこには腰ほどの高さまでの木製の柵が並べられているのだ。丁度直径五メートルほどのリングを作るような形である。

 店内のテーブルはそこを囲むように並べられているが、ほとんどの客は席に着くことすらせずに柵の周囲へとつどっている。リングの周囲を二重になるほどの人混みが埋め、彼らは興奮した様子でしきりにささやき交わしていた。

 折良く目的の賭け事が始まる直前だったらしい。店内の熱気は今まさに飛び立とうとする気球のようで、逆にいえば座るテーブルには困らなかった。

 上着を脱いでどっかりと座ったラザルスに、キースがざとく反応する。上着のポケットから、持ってきた本が半分ほどのぞいていた。


「ラザルスさんって本とか読む人でしたっけ? あれですよね、その本。ジョンソン先生が出したっていうシェイクスピアの評論」


 サミュエル・ジョンソンという高名な学者を、キースはまるで友人のように呼んだ。


ひまつぶし程度だがな」

「ははぁ、ラザルスさんもモテたいんですね?」

「何でそうなる?」

「文学を読んだり書いたりするのなんて、女の子にモテたい以外に理由あるはずないじゃないですか! それっぽいことをそらんじてみせれば、女の子にきゃーきゃー言われるんですよ?」

「世の文学者が聞いたら噴飯ものだな」

「いいなぁ。僕も読みたいんですけど、今手持ちがおぼつかないんですよねぇ」

「そうか。ならやるよ」


 ラザルスは無造作に本をキースへと押し付けた。キースが目を見開く。素直な心の動きのはずなのに、彼の動作は一々芝居がかっているように感じられる。


「えぇっ!? 読み終わってたんですか!?」

「終わってもないが、どうでもいい」


 さして興味があって読んでいた本でもなく、ラザルスはさばさばと肩をすくめた。漫然と目を通していただけで、続きに興味は湧いて来なかった。


もらえるんならありがたくもらいますけど、ラザルスさんってその辺の価値観ちょっとヤバいですよ」


 いそいそと本を受け取りながらキースが、悪意のなさそうな口調で指摘してくる。


「本だって安くないですし、あっさり人にあげちゃ駄目ですって。悪い人にたかられちゃうとかそれ以前に、渡せちゃうっていう価値観が駄目です」

「自覚はあるよ」


 生まれてこのかた、ずっと賭博だけをしてきたのだ。ほんの数分で貴族になれそうなほどの金が生まれ、次の数分でそれを失う。金に限らずあらゆるものが賭博で手に入れられ、そして手放される。そういう生活である。

 賭博師という人種は大抵金銭感覚がしているし、ものに対する執着心が乏しい。ラザルスは特にそれが顕著である。

 キースがにこりと笑って、


「あるけどどうでもいい、って次に言いますよね」


 ラザルスは鼻を鳴らした。


「どっちに賭けます? 僕もそれに乗ります」


 キースがそう声をかけてきたのは、ラザルスが適当な注文をやってきたウェイトレスに伝えた後だ。

 どっち、という言葉を補足するように、柵の中へと二羽の鶏が運び込まれる。

 ただの家畜ではないことは一目見て分かるだろう。そこら辺の農家で放し飼いにされているものとは違い、羽はピンと伸びて誇らしげで、栄養状態がいいのかつやつやとしている。両足のづめには銀色の金属が取り付けられ、それがあかりを反射してきらきらと輝いていた。

 ラザルスはいちべつだけして、


「赤」

「じゃあ僕もそれで」

刊行シリーズ

賭博師は祈らない(5)の書影
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