一 南の海に雪は降らない ⑥
ラザルスはそんなリーラを眺めて、鼻を鳴らす。
「どうでもいい」
帝都の街並はまるでパッチワークのようだ。
街が造られた頃からずっと建っているのではないかと思わせる古い木造建築から、まだ真新しい
時折新しい住宅が
(この街でどこでも見られる特徴っていったら、そこに賭博があることくらいだろう)
賭博師としてそれを専業に生きていく人間は少ないが、しかし帝都において賭博というのは最もありふれた娯楽である。
歩きながらちらりと見ただけでも、コーヒーハウスのオープンテラスでは男達がサイコロ遊びに興じていて、別なところでは道端の
ラザルスが向かっている先もまた、そうした広く
「あ、ラザルスさん!」
店が見えた頃に、ラザルスに声がかけられた。
目的の酒場からひょこりと顔を出してラザルスに向かって手を振ったのは、宗教画の天使がそのまま成長したような一人の青年だった。どうやら知り合いを送り出したところだったらしいその青年は、そのままラザルスに
「珍しいですね、こっち来たんですか?」
細い体つきに、柔らかく巻いた茶色の髪の毛。純真そうな瞳がラザルスのことを見て、喜びできらきらとした。
「久しぶりだな、キース。ちょっと飯がてら、ついでに賭けも」
キースという名のその男も、ラザルスと同じ賭博師の内の一人である。友人というほど親密ではないし、居着いている賭博の種類が違うために余り頻繁に顔をあわせる訳でもないが。
ただ『友人というほど親密ではない』と考えているのはラザルスの方だけなのか、
「わ、やった! ラザルスさんが一緒にやってくれるなら、僕も勝てそうです! 最近負け続きで!」
「何で一緒に賭ける前提なんだよ」
「いいじゃないですかー。僕、全然賭け事が
「初めまして。キースです。
キースは服の裾が
だがリーラは女というには若過ぎたらしい。地獄の門もかくやという程度に閉め切られた彼女の感情はキースの笑顔では小揺るぎもせず、そもそも焦点がキースにあっていて彼を認識しているかすら怪しい。
気を悪くした風でもなくキースは立ち上がって、
「うーん。前の時も思いましたけど、ラザルスさんって、こう癖と気が強いタイプが好みなんですね」
「お前らは何で俺がガキ連れてるだけで恋人だと思うし、必ずフランセスについて触れんだよ」
「そりゃぁ、ラザルスさんが二人連れで歩いていたのも、誰かと恋していたのも、フランセスさんがいた頃だけだからですよ」
「…………
そもそも『前の時』でフランセスを思い出した時点で負けたようなものだった。
「お前が賭け事
賭博に色恋はつきもので、それにまつわる話も幾らでも転がっている。賭博師が恋に落ちた話は、いつだって最後には賭博師の死で終わるのだった。
「えぇー。なら、僕、賭博師じゃなくて
あっさりと言葉を
「…………?」
ラザルスに次いで入ってきたリーラが、少しだけ不思議そうに顔を傾けた。確かに、一見してこの店は酒場らしくない席の並び方をしている。
広い店の中央には円形のぽっかりとした空間があり、そこには腰ほどの高さまでの木製の柵が並べられているのだ。丁度直径五メートルほどのリングを作るような形である。
店内のテーブルはそこを囲むように並べられているが、
折良く目的の賭け事が始まる直前だったらしい。店内の熱気は今まさに飛び立とうとする気球のようで、逆にいえば座るテーブルには困らなかった。
上着を脱いでどっかりと座ったラザルスに、キースが
「ラザルスさんって本とか読む人でしたっけ? あれですよね、その本。ジョンソン先生が出したっていうシェイクスピアの評論」
サミュエル・ジョンソンという高名な学者を、キースはまるで友人のように呼んだ。
「
「ははぁ、ラザルスさんもモテたいんですね?」
「何でそうなる?」
「文学を読んだり書いたりするのなんて、女の子にモテたい以外に理由あるはずないじゃないですか! それっぽいことを
「世の文学者が聞いたら噴飯ものだな」
「いいなぁ。僕も読みたいんですけど、今手持ちが
「そうか。ならやるよ」
ラザルスは無造作に本をキースへと押し付けた。キースが目を見開く。素直な心の動きのはずなのに、彼の動作は一々芝居がかっているように感じられる。
「えぇっ!? 読み終わってたんですか!?」
「終わってもないが、どうでもいい」
さして興味があって読んでいた本でもなく、ラザルスはさばさばと肩を
「
いそいそと本を受け取りながらキースが、悪意のなさそうな口調で指摘してくる。
「本だって安くないですし、あっさり人にあげちゃ駄目ですって。悪い人にたかられちゃうとかそれ以前に、渡せちゃうっていう価値観が駄目です」
「自覚はあるよ」
生まれてこのかた、ずっと賭博だけをしてきたのだ。ほんの数分で貴族になれそうなほどの金が生まれ、次の数分でそれを失う。金に限らずあらゆるものが賭博で手に入れられ、そして手放される。そういう生活である。
賭博師という人種は大抵金銭感覚が
キースがにこりと笑って、
「あるけどどうでもいい、って次に言いますよね」
ラザルスは鼻を鳴らした。
「どっちに賭けます? 僕もそれに乗ります」
キースがそう声をかけてきたのは、ラザルスが適当な注文をやってきたウェイトレスに伝えた後だ。
どっち、という言葉を補足するように、柵の中へと二羽の鶏が運び込まれる。
ただの家畜ではないことは一目見て分かるだろう。そこら辺の農家で放し飼いにされているものとは違い、羽はピンと伸びて誇らしげで、栄養状態がいいのかつやつやとしている。両足の
ラザルスは
「赤」
「じゃあ僕もそれで」



