毬井についてのエトセトラ ⑨
いまさら
まったく、天条のやつ、こんなところでなにをやっているのか──
ゆかりの家を見下ろすと、ゆかりが庭で、自転車の整備をしているのが見えた。
……それにしても
それともやはり、この場所のことを知っていたのか?
なにしろ絶好の場所だから、天条も、ときどきあたしと同じように、ここからゆかりの家をながめていたのかもしれない。
だったら、あたしが気づいてなかっただけで、これまでも
ゆかりの家を見下ろす天条の表情は、とても
いまにも泣き出しそうな、子供のような顔。
気がつくと、あたしはぶっきらぼうに、いっていた。
「いいかげん、
「……え?」
「あんたとゆかりに、なにがあったかは知らないけれど、……ずっと引きずっているなんて、もったいない」
二人は、昔は仲がよかったらしい。
でも、なにかをゆかりがしてしまい、二人は
正しくは、天条がゆかりを敵視するようになった。
女の子というものは、ちょっとしたことがけんかになって後を引く──あたしにだって覚えはあるが、それにしても、天条の気持ちはわからなかった。
が、時おり天条が浮かべる表情は、そんな
そういうときの天条は、親の
それは、あきらかな
まだ子供であるあたしにもわかる、
それほどの負の感情を、なにがあったらあのゆかりに向けられるのか。あたしにはまったく想像できない。
同じ『ゆかり』を見ていても、あたしと天条では、見えているものが
ぽつり、と天条がいった。
「……
「またその話? いったい、あたしがゆかりのなにをわかっていないっていうの?」
「
「……は?」
思いもよらぬ言葉に、
どこか
「簡単に説明するとね、赤いりんごを見て、それが赤いということを『知る』ことはできても、『感じる』ことのできない存在、それが
「はぁ」
「哲学的ゾンビは、外見や行動からでは普通の人間とまったく区別ができない存在。……ゾンビって言葉で
ただ、彼らは、本当には、『赤く』も『おいしく』も感じない。
なぜなら彼らは、『赤さ』や『おいしさ』とかの『具体的かつ感覚的なイメージ』を、もたないから。
……そうね、たとえば、あたしたちは、おいしいものをみるとよだれが出てくる。なぜならおいしい、ということがどういうものか、『体験的に』知っているから。でも哲学的ゾンビは、おいしい、ということを『知識として』知っているからよだれを流す。おいしそうだからではなくて、どう反応すればいいか知っているから──結果的には同じでも、これって大きな違いでしょう?」
「……ようするに、ゆかりがそうだっていいたいわけ?」
あたしの言葉に、天条は笑ってうなずいた。
「正しい意味では違うんだろうけど、
──知ってた? まりぃ、人間とプラモデルの区別がつかないのよ?」
天条の目には、涙がたまっていた。
静かに涙を落としながら、そのことに気づいた
「このいいかたは誤解を
興奮したのか声を荒げる
「──あんたには、そういうふうに見えるんだ」
「は?」
「でもそれ、──逆に見ることはできないの?」
「──逆?」
そうだ、逆だ──心の中でつぶやいてみる。
天条が
だからこそ、あたしは、天条の言葉は逆だと思いたい。
天条から視線を
眼下には、両手に軍手をはめて、楽しそうな表情で、自転車の整備をしているゆかり──
その自転車は名を『しるばぁ』といい、小学校の入学記念に買ってもらってからずっと
自分で
──そうだ、逆だ。
ゆかりにとってあたしたちが、プラモや家電と同じだというわけじゃない。
ゆかりにとってプラモや家電や自転車が、人間と同じものなんだ。だからあんなに大事にしているんだ。だからあんなに楽しそうなんだ。人間がプラモと同じなんじゃなく、プラモのほうが人間と同じに見えているからこそ──
これって
そうかもしれない。
けど、でも、やっぱり、たとえ結果は同じであっても、その二つでは意味がぜんぜん違う気がする──
──気がつくと、天条は、まるで目を
だからあたしは静かに、自転車を押して離れる。
「……まぁ、あんたはあんたの好きにすればいい。天条。あたしは、ただいってみただけだから」
じゃあ、と、サドルにまたがったとき、声が聞こえた。
「
「そう。どうも。じゃあ、またね」
今度こそ別れを
◆
門の前に自転車を止めて、庭へと回る。



