「はあ、偉いんだか、悪いんだか、いい人なんだか、ひどい人なんだか、ようわかりまへんなあ……」
「でもよ、クローブの旦那が歩いてくると、街のチンピラや、ゴロツキはみんな逃げちまうから、この街のためにはなっているんだと思うぜ……あ、あいつら逃げちまった。ひでえなあ、仲間置いてきぼりかよ、あれで上級士族だって威張ってやがるんだから、笑っちまうな」
野次馬の言うとおり、二人組は背を向けて転がるように走り出していた。
ケリンが慌てたように叫んだ。
「おい! こいつはどうするんだ! 置いていかれてもこっちが困るんだ!」
しかし、二人組は振り返りもせず逃げていく。
「ったくもう、生ゴミの回収は水曜日と決まってるんだ! 勝手に捨てると町内会のうるさいオバサンに怒られるんだぞ!」
野次馬どもが、どっと笑った。
ケリンは、腰に手を当てて、白目をむいている上級士族の若者を見下ろしていたが、やがて小さくため息をつくと、しゃがみ込んで若者を揺すった。
「おい、起きろ、そんなに強く殴っちゃいねえから、目を覚ましてもいい頃だぜ」
若者は動かなかった。
「仕方ねえなあ……家まで運んでやるか……」
ケリンはそうつぶやくと、あたりを見回した。
喧嘩騒ぎが収まって、三々五々散り始めている野次馬の中に、憧れと畏怖の入り混じった目でケリンを見ている十五、六歳の少年がいた。
「よう、ラッケじゃねえか! ちょっと手伝ってくれねえか?」
ラッケと呼ばれた少年は、びっくりしたように目を丸くした。
「え? 俺ですか総長!」
「そうだ、お前に頼みがある。手が空いてるヤツがいたら、すぐここに来いってマイヤーズの連中に知らせてくれ。こいつの顔を知ってるヤツがいるかもしれねえから」
「わかりました! すぐ呼んで来ます!」
ラッケはぴょこんと頭を下げると、人込みの中に消えて行った。
その後ろ姿を見送ったあとで、ケリンは目の前で倒れている若者のわきにしゃがみ込んだ。
「……ったく、世話が焼けるぜ、身元のわかるものでも持ってりゃいいんだけど……」
そう言いながら、ケリンが倒れている若者の懐を探っていると、いきなり後ろから、りん、とした声が飛んだ。
「動くな! 盗人!」
振り向くと、そこに、白地に銀の糸で刺繍を施した長衣を身にまとった背の高い男が、同じような服を着た七、八人の若者を引き連れ立っていた。
流れるような肩までの金髪と鼻筋が通った顔は、美形と言うにふさわしいが、強い意志を持つ目が、見た目から受ける軟弱な印象をすべて吹き飛ばしてしまっている。
その金髪の男は、振り向いたケリンを見て、蔑むように言った。
「ほう……総長のケリン・ミルダモンみずから強盗を働きになるわけか……さすがは貧乏人ぞろいのマイヤーズだな」
ケリンはすっくと立ち上がって、金髪の男を正面からにらみつけた」
「強盗? 言うに事欠いて人を強盗呼ばわりか、因縁をつけるなら、もうちょっとボキャブラリィを増やした方がいいぜ、パッサーズの総長さんよ……」
パッサーズの総長と呼ばれた金髪の男は、手に持っていた乗馬鞭をケリンに突きつけて叫ぶように言った。
「貴様は今、そこで殴り倒したアルテンの懐を探っていたではないか! それが何よりの証拠であろう! どのように言い逃れをしようと、貴様は恥ずべき盗人だ!」
「ふざけたことを言うんじゃねえ!」
ケリンはパッサーズの一番後ろに隠れるようにしている二人組を指差して叫んだ。
「そいつらが。こいつを見捨ててさっさと逃げちまうから、家まで送ってやろうと思って身元を調べていただけでぃ!」
総長の後ろにいた男が嘲笑するように言った。
「……で、そのついでに財布を頂く、というわけだな。どんなときにでも、まず金目のものを探すのは貧乏人のデミセックの性だな」
「貧乏人のデミセックと平民は全部盗人で、金持ちのセックはみんな天使みたいに清廉潔白かよ! ふざけんな! こいつは、地方から出てきた田舎娘を騙くらかしてだな……」
ケリンがそこまで言ったとき、ケリンの後ろからラッケの声がした。
「総長! 連れて来ました! マイヤーズの仲間でやす!」
見ると、薄よごれた作業衣を着て、手に手に天秤棒やスコップなどを持った五、六人の若者がそこにいた。
その若者たちは、ケリンの目の前にいるパッサーズの若者たちに、憎悪の視線を投げつけて叫んだ。
「てめえら! よってたかって総長をどうしようってンだ! この卑怯なクズ野郎ども!」
卑怯者呼ばわりされたパッサーズの若者たちの顔色が変わった。
「なんだと! この貧乏人の盗人どもが!」
「だれが盗人だ!」
マイヤーズの若者がわめいた。
裏通りとはいえ、通りのど真ん中で、十人以上の若者がにらみ合っているのだから、人目を引かないわけがない。
いったん散りかけた野次馬が、再び集まり始めた。
「なんだなんだ、こんどは集団で喧嘩かぁ?」
「今度の相手はずいぶんといい男でんなあ……あれ、誰です?」
「ありゃあお前、上級士族のワルどもを束ねてるパッサーズの総長、カルタ・ピルスナーさ」
「へえ……ピルスナーちゅうたら、王国府の偉いさんにそういう一族がおましたな……」
「そうだ、あいつは外務局長のピルスナー一族の本家の次男坊だ」
「そんな偉い人の息子がどないして、こげなところで、悪ガキの頭領やってますのん?」
「役職は世襲だ、次男坊じゃあ跡は継げねえ、やることないから同じような立場の悪ガキ集めて徒党組んでるんだろ。パッサーズとか言うのはみんなセックの次男坊や三男坊らしいぜ」
ケリンは、目の前にいるカルタをにらみつけながら、肩にかけてあった長銃を降ろして両手に持った。
カルタの後ろにいたパッサーズの男が小声で言った。
「気をつけて下さい総長、あいつは格闘銃を使って闘うのが得意です」
カルタがうなずいたとき、ケリンがカルタから視線をそらさずに言った。
「ラッケ! いるか?」
マイヤーズの中から、ラッケが飛び出してきた。
ケリンは持っていた長銃をラッケに差し出して言った。
「おめえは、それ持って下がれ。喧嘩に入るな」
ラッケは目を見開いた。
「でも総長!」
「いいんだ、この喧嘩、得物は使わないことに決めた! せっかくパッサーズの総長さんが出張って来てくれてるんだ、このゲンコツでお相手しなけりゃ礼を欠くってモンだぜ……いいか、お前らも得物は使うな! 俺たちはマフィアじゃねえ! マイヤーズだ!」
「おう!」
ケリンの言葉を聞いたマイヤーズの連中は、そう返事をすると、一斉に手に持っていた天びん棒や、スコップなどを、投げ捨てた。
カルタは、ちょっと意外そうな目をしてケリンを見た。
ケリンは左手の握り拳を前に構え、右足を引いて右手の握り拳を顔の前に構えると、カルタが持っている乗馬鞭を見て静かに言った。
「カルタさんよ、その鞭は馬を叩くものだよな……あんたらにとっちゃ、俺たちデミセックや平民は、馬や牛と変わんねえのかもしれねえけど……それを使ったら、あんたは正真正銘のクズだぜ……」
ケリンの言葉を聞いたパッサーズの若者がわめいた。