その頃、ケリンもまた青白い有機交流照明の照らし出す小さな部屋の中にいた。
ミントがいる部屋に比べるとはるかに狭く、机と椅子しかないその小部屋は、俗に取調室と呼ばれている部屋だった。
デメララの街の治安を守る警備隊は東西南北にある四つの分署に配置されており、そこでそれぞれの管轄する区域内で発生した犯罪の捜査と取り締まりに当たっている。
ケリンが連れて行かれたのは管轄区域内に繁華街を持ち、デメララで最も忙しいと言われている西分署だった。
目の前にいる私服の刑訴取調官に向かってケリンはうんざりしたように言った。
「だから、何度も言っただろう? コアントさんよ! 俺はインダストリアン・ギルドで働こうとしていた田舎娘を助けただけだって!」
コアント、と呼ばれた中年の取調官は、少し困ったような顔で白髪交じりのくせ毛の頭を掻いて答えた。
「ケリン、お前は喧嘩早くて、乱暴者だが、理不尽な暴力を振るうような人間ではないことは私も良く知っている。この騒ぎの理由は、おそらくお前の言うとおりなのだろう……しかし、今回は相手が悪すぎたな」
ケリンは怪訝な顔をした。
「相手? あのパッサーズの長髪野郎がどうかしたのか?」
「あの男は、アルテン・カストリ……カストリ家の次男坊だ……と、言えばわかるか?」
ケリンは目を見開いた。
「カストリ家って、あのカストリか? 王都警備隊総監の……」
取調官のコアントは、気の毒そうな顔でうなずいた。
「そうだ、お前さんがやっつけたのは、我々警備隊員の総元締めの息子だよ」
「でもよ、たとえ親父がどんなに偉いヤツでも、あいつらが都に出てきた田舎娘をたぶらかしてランバリオン通りの裏店に連れて行って紹介料もらっていたって事実は曲げようがないだろうよ!」
「そうだ。それが証明できれば言うことはないのだがな……肝心の、お前さんが助けたという田舎娘がどこにもいないのだよ」
「だから、インダストリアン・ギルドに行って聞いてくれ、って言ってんじゃんか!」
コアントは小さく首を振った。
「聞いたよ、そんな田舎娘は来ていないという回答だった。インダストリアン・ギルドでは下働きの娘などは雇っていないそうだ」
「そんなバカな! あの田舎娘はインダストリアン・ギルドに行くって言って地図まで持っていたんだぞ! もう一度聞いてみてくれよ!」
「明日、もう一度ギルドに行って確かめるように上司に掛け合うが……とりあえず今日、お前を家に帰すわけにはいかない。悪いが一晩泊まってもらうことになりそうだ」
ケリンは驚いた。
確かにケリンは今までにも何度も喧嘩騒ぎを起こして警備隊のやっかいになったことがある。しかし、そのときはいつも身元引受人として親に来てもらって、誓約書を一筆書いて終わりだったし、今回の騒動は喧嘩ですらないのだ。
「なんでだよ! 俺は別に逃げも隠れもしないぜ! 俺の家も親父の顔も知ってるだろう?」
ケリンの言葉を聞いたコアントはうなずいた。
「ああ、知ってるよ。お前が逃げたりするような人間じゃないってことは、この警備隊の……いや、デメララに住んでいる下級士族なら誰でも知っている……」
「じゃあ、なんでだよ!」
いきり立つケリンを見たコアントは、なだめるように言った。
「だがな、犯罪を処断するために定められた律令という物指しで見ればお前さんは立派な暴行犯で、今までにも何度と無く同様の騒ぎを起こしている常習犯だからな。ここに留置しておく理由は、いくらでも見つけることができるんだ。何より免責理由になるべき証人がいないというのが痛いな」
……あの田舎娘め、どこに行きやがったんだ。インダストリアル・ギルドに行くって言っていたのに、途中でまた誰かに騙されちまったのかな? 名前でも聞いておけば良かった。
黙り込んだケリンを見ていたコアントが、肩をすくめて言った。
「まあ、そういうわけだ。悪いがこの分署で一泊してもらうぞ」
そのとき取調官の後ろにある取調室の出入り口のドアをノックする音が聞こえた。
コアントは、机の前から立ち上がり、取調室のドアについている小さな確認用の小窓をあけて部屋の外を見たあとでドアを開けた。
廊下には、青い制服を着た警備隊の隊員が立っていた。
「どうした?」
「面会希望の者が参っております」
「面会? ケリンにか?」
「はい、学生のようでしたが、このような名刺を持っておりましたので……」
警備隊員の差し出した名刺には、こんな文面が並んでいた。
『デメララ王立律令官養成学校生
代訴士、証書代士(見習)
ドナルドエリメンシス・デュークロアエリエント・デビルズハカープログラム』
……代訴士気取りのD・Dか。まためんどくさいヤツが来たものだ。
コアントはインテリ風の風貌を持つD・Dの顔を思い浮かべた。
D・Dは上級士族の出で、知の教団の主宰しているアカデミーの特待生に選ばれたほどの天才だったが、知の教団との折衝係だった父親が上司と衝突して、その職を辞したため、アカデミーを退学になり、今度は律令家となるべく王立の律令官養成学校の入学試験を受けた。
そしてトップクラスで入学したのだが、性に合わないとかで一年も通わぬうちに休学を申し出て、今ではマイヤーズの顧問代訴士のようなことをやっている。
ケリンやマイヤーズのメンバーがトラブルを起こすと、どこからともなくD・Dが駆けつけ、舌先三寸で相手を丸め込み、時としては相手が知られたくない秘密を握っているようなことを匂わせて、その場を収めるのだ。
おかげでケリンもマイヤーズの連中も、注意処分こそ受けているものの、公式な記録に残る前科前歴は一件も無い。
……まったく、なんであの天才児とこっちの天災児とうまが合うのやら。
コアントは、白髪まじりのくせ毛を右手でくしゃくしゃと掻き回して言った。
「会いたきゃ会わせてやるさ、上役が騒いでるだけで、本来こんなのは事件にもなりゃしねえゴタ騒ぎなんだからよ」
やがて、取調室に、ケリンより少し年上の痩せてメガネをかけた、色白の一見インテリ風の背の高い男が入って来た。
「よう、ケリン。災難だったな」
「D・D! なんでお前がこんなところに?」
D・Dと呼ばれた男は、ちょっとむっとしたような顔になって言い返した。
「俺の名前は、ドナルドエリメンシス・デュークロアエリエント・デビルズハカープログラムだ。だから頭文字で略すならD・D・Dと呼べと言っているはずだぞ」
「そんなめんどくさい呼び方なんかできるか、機嫌の悪い馬をなだめるときの掛け声じゃあるまいし。いいじゃねえかD・Dで、いつもそう呼んでるんだからよ、それより何の用だ?」
D・Dは、肩をすくめて言った。
「何の用だ? ってのは無いだろう。不当に身柄を押さえられている人間の代訴人として名乗り出て来てやったって言うのに」
横で二人の会話を聞いていたコアントが、むっとしたように言った。