第一話 鋼の蜘蛛と《伽藍堂》 ③

「でも、情報プランクトンとか、マイクロマシンは機工体の人にも人気で──」

「そうじゃなくて! 少なくとも、《らんどう》の客は人間だし!」

「だから、そもそもこれは人間用だよ。食べるのは中身だもの」

「……中身?」

「もちろん、電子基板って意味じゃないよ。このHAWっていうのは、バイオロイドなの。中の筋肉は蜘蛛くもの遺伝子から作られた人工筋肉で、結構おいしいんだって」

「……バイオ、ロイド……」


 予想外の単語にリコの思考が停止する。しかし、ウカは台本でも用意していたかのような滑らかさで解説を始めた。


「正式名称はHoming Arachnoid Weapons、そうせい蜘蛛くもがたへいってことね。第四次世界大戦中、各地で使われた陸戦小型戦車の一つなの。一年間の内蔵電池で動くんだけれど、この季節になると自分たちの改修ドッグに勝手に帰ってきて、充電するんだって。だから、その前に網を張っておけば、勝手に捕まるって話」

「で、でも……人工筋肉って……」

「装甲で守られているから寄生虫や雑菌も入り込まないし、すごく安全なの。とりあえず、帰ったらお刺身にでもしてみようかな……」


 説明もほどほどに、ウカは早速メニューの勘案を始める。ぜんとするリコは、HAW入りの網をそっと手渡され、もはや拒む暇もない。うそだと言ってくれとばかりに行商人の方を振り向けば、男はとうに姿を消していた。既に太陽は中天近く。市場の人間は帰宅の時間だった。


「ほら、リコちゃん! 早く帰って、ご飯にしようよ!」


 ご機嫌なウカが振り返って、そう叫んだ。残念ながら、結局荷物を分担する気はないらしい。やはり周囲の人々が見とれるようなすがすがしい笑顔に、リコもなんだかんだと流されてしまう。

 ふと、ギュイーン、というモーター音に目をめれば、蜘蛛くもがたロボットがワシャワシャと網の中でうごめいていた。


「……どんだけ新鮮なんだよ……」


 今日の昼ご飯は、採れたてぴちぴちの戦車と決まったわけである。


    3


らんどう》という名は、元々世紀末に流行した新興宗教の聖堂を利用したことに端を発する。長い間はいきよとなっていたところにリコが住み着き、そこにウカが転がり込んできたのだが、いつの間にやらすっかり食堂として改修が進み、宗教施設としての名残は天井の高いきゆう窿りゆうだけである。隣接されたちゆうぼうはコンロが四つ、シンクが二つ、作業台はベッドほどの広さとなる。重労働の食材運びを終えたリコは、ちゆうぼうまえのカウンターに座り一休み。中ではいよいよウカが蜘蛛くもがたへいの調理にとりかかろうとしていた。

 しかし、異様である。作業台の上に転がるのは、紛れもない機械け。そして調理人の手に握られたのは、包丁ではなく、ペンチとドライバー。


「まずシンプルに、生と焼きからいこうかな。わたしも食べるのは初めてだから」

「……もう勝手にしてくれ」

「なあに? リコちゃんって甲殻類嫌いなんだっけ? うわさによると、エビみたいな味がするらしいけど」

「いや……そういう問題じゃないんだよ……」


 ウカはHAWの頭部と脚の間にドライバーを差し込み、器用にネジを外していく。三つの留め金を外し、慎重に脚を引き抜くと、制御系と筋肉をつなぐ何本もの電子ワイヤーが見える。


「……もはや調理現場に見えないんだけど……スクラップ工場と同じ悪臭がするし……」

「そうかなー? 普通の動物とか魚を解体する方が、よっぽど臭いと思うよ」

「……なあなあ、ウカ、これって本当に安全なのか? こいつら、一応戦車の端くれなんだろ?」

「大丈夫だって。HAWが搭載してるのは7.62㎜弾の機関銃だけで──」


 ──ババババババババッ!


「……」

「……」


 からんからんと響くやつきようと、厨房の床に伸びる弾痕の列。リコがじろりとにらみつけると、ウカは「あはははは……」と乾いた笑いをこぼし、戦車の裏側に取り付けられた機関銃を外した。そして、自身が放ちうる最大限の可愛かわいい微笑を浮かべ、リコにウインク。


「……てへへ、うっかり☆」


「……っざけんなっ! 銃口の向き次第じゃ、オレは今頃ハチの巣だったぞ!」

「結果オーライだよ、リコちゃん! 過去にとらわれないで!」

「あのなー!」


 不慮の事故もなんのその、こめかみを震えさせる同居人を無視して、ウカはそれでも調理を再開。真面目な顔を取り繕うと、ドライバーを握る。


「加熱時に悪臭の原因になるから、樹脂系のパーツはれいに外さないとね。ただ、炭素繊維の装甲は外さないの。このままオーブンに入れて……」


 解体された蜘蛛くも型の脚が、巨大なオーブンに並べられる。火を点けたら、加熱される間にもう一品。ウカは生の脚を一本手に取ると金属切断用のワイヤーカッターを関節の穴に差し込み、じょきじょきと装甲を切り開いていく。


「人工筋肉はよろいの間に丈夫な被膜が張られているから、端っこのけんを切り取って、慎重に引き剝がせば……ほら!」


 半透明の白い筋肉が、装甲からつるりと現れる。薄皮を剝がすと、生のきエビにも似たつややかさがあった。ただ、人間の上腕ほどの大きさのために、それが全くの別物であることは明白。ウカは肉をぐようにして薄切りにして、皿に並べ、リコの前に出す。


「はい、小型戦車のお刺身だよっ!」

「……名前をどうにかしてくれ」

「じゃあ、蜘蛛くもの人工筋肉の」

「やめろ。オレが悪かった」


 ウカいわく、まずは塩を付けて食べた方がよいとのこと。リコは皿の端の小さな一切れを箸で摘まみ上げ、塩をちょこんと付ける。すると、突然、。まるで生き物のように、ビクビクと小さなけいれんを始めた。


「き、気持ち悪すぎる……これ、本当に食えるのか……?」

「筋肉に残っていたATPアデノシン三リン酸と塩が反応しただけだよ。だいじょーぶ!」


 電子回路がしの殻が視界に入るとどうにも口が開かないので、ぎゅっと目をつぶり、気合を入れるようにリコは叫んだ。


「い、いただきますっ!」


 そして、ぱくり。


「……」

「……どう?」

「……あ」

「あ?」

「……甘い……」


 なるほど、エビとは言いえて妙である。ミネラル分を多く含んだ、軽いいその香りと共に、舌の上に広がったのは濃厚な甘み。それでいて、やはり筋肉の弾力がある。もぎゅもぎゅとしやくを続けると、次第に「戦車らしい」独特のコクが見えてくる。

 ぱく。もぎゅもぎゅ。ぱく、ぱく。もぎゅもぎゅもぎゅ。


「ほら、美味おいしいって言ったでしょー?」


 したり顔のウカに、リコは何も言い返せない。あれだけ頭が拒否していた機械の肉を、疲れた身体からだが求めている。もう箸と顎が止まらない。

 しかしウカは、刺身が平らげられる前にちゆうぼうへ皿を引き上げると、その上に松の実と香菜を散らし、熱々のねぎ油を注いだ。じゅっ、という音と共にHAWの肉の表面が縮まり、香ばしい匂いがカウンター越しに流れてくる。千切った夏みかんを散らし、しようを二、三滴たらすと、再び皿はリコの前へ。


「はい、戦車のアジア風カルパッチョ」


 今度はリコも躊躇ためらわない。すぐさま一口放り込むと、「んーっ!」と身体からだを震わせた。


「すごい! 軽く火が入ると、案外あっさりするんだな! うますぎるっ!」


 海産物に近い風味はあれど、かといってそれほど潮の味がするわけではない。その個性の弱さを補うように、香りの強い味付けと合わせると、シンプルなHAWの味わいが引き立つのである。春に旬を迎えた夏みかんの酸味も絶妙だった。


「じゃあ、次は完全に火の入ったものね」


 そう言ってウカが取り出したのは、先ほどオーブンに入れておいた脚である。火を通せば赤くなるというわけでもなく、見た目ではほとんど変わりない。


「……これ、中まで火が通ってるのか? 装甲だって焦げてないし」

「あのね、リコちゃん。炭素繊維は燃えにくい素材なの。それでいて、伝熱性が非常に高いんだよ? 火は簡単に通るよ」

「熱に弱いのに、戦争に使われてたのかよ」

「まあ、うん、HAWはバイオロイドだから、寒すぎるのも暑すぎるのも苦手なの」

「駄目じゃん」

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