「違うって言っても、信じてもらえなかったんだぞ。勝手に感謝されて。キリがなかったから直接、先生に確かめに行ったんだ。そこで、あの手紙を見せてもらったってわけ」
それを聞いて、俺はようやく理解した。
「手紙の文字か」
「そう、すぐに分かったよ。自分の字なんだもん」
サワコの言葉が蘇る──わたしは国語のノートを貸してあげた恩人だぞ。
そうだ、手紙の差出人を女子だと見せかけるために、サワコに国語のノートを借りて文字を真似ていたのだ。まさか、サワコ本人に手紙が読まれるとは思っていなかった。
サワコの話では、先生も手紙の差出人はサワコだと思っていたらしい。
違うと聞いて、驚いていたそうだ。先生は会話の最後に「サワコも何かあったら直接でも手紙でもいいから伝えてくれよー」と言っていたという。俺は田中先生らしいと思った。
「でも、鉄がなんで?」
サワコに理由を聞かれて、俺は正直に答えた。
「ダイキのデザートを取り上げるため。借りを返したいんだ」
それを聞いて、サワコは少し驚いたようだった。そして、すぐに微笑む。
「バカだねー。ダイキに一度、コテンパンにやられてるのに」
「誰がコテンパンだよ」
俺は強がってみせたが、マコトを助けたあとの嫌がらせの日々を思い出した。それまでふつうに遊んでいたクラスメイトに無視されるのは、相当キツかった。おそらくサワコもそのときのことを言っているのだろう。
「ヘヘッ、感心してるんだよ。こう見えて、わたしは小心者だから」
サワコが悲しそうに呟いた。コイツの弱気なところなんて、初めて見た。
「学級委員の件からずっと、ダイキのことが怖いと思ってる」
それを聞いて、俺はサワコが後期の学級委員に立候補したときのことを思い出した。
サワコは男子にも女子にも人気があったから、誰もがサワコで決まりだと思っていた。しかし、ダイキのふざけた思いつきのせいで、サワコは落選した。
ダイキはクラスで目立たないマサオという男子を立候補させて、裏でクラスメイトにマサオへの投票を強要したのだ。ダイキはサワコの人気に嫉妬していたのかもしれない。だから選挙を操作して、周囲に自分の力を見せつけたのではないかと、俺は思っていた。
そのあとしばらく、サワコはマサオに負けた《人望ゼロ女》としてからかわれていた。
ヒロシやヤマダは、サワコの胸のふくらみやブラジャーをしていることさえネタにするようになった。これは女子にとっては相当恥ずかしかったに違いない。ただ、サワコはいつもと変わらず二人に言い返したりしていたから、傍目には気にしていないように見えた。でも、心の中ではしっかり傷ついていたのだ。怯えていたのだ。
「多数決は公平だって習ったのに、ウチのクラスじゃ違うんだもん。ダイキひとりの意見で決まっちゃう。みんな、おかしいって気づいてるはずなのに。歯向かえば自分がターゲットにされるから、誰も何もできない。わたしもおんなじ」
サワコはツラそうに、そして悔しそうに言った。
「だから、みんなの買いかぶり。わたしは、ジャンヌ・ダルクなんて器じゃないよ」
「そんなことないって」
俺は心からそう言った。すると、サワコはふと泣きそうな顔をした。
「鉄は優しいね。学級委員のときも、ダイキを無視して、わたしに投票してくれたよね。言わなかったけど、嬉しかったんだぞ」
「別に」俺は慌てて言った。「マサオよりは、お前のほうが向いてるって思っただけだよ」
言い訳じみているのが、自分でも分かった。照れくさかったのだから仕方ない。
「分かってるって。だからってわけじゃないけど、今回のことは誰にも言わないから安心しなよ。ダイキにバレたらマズイだろ。でも、用心したほうが良いよ。たぶん、ダイキもジャンヌ・ダルクを探してるから」
知らなかった。ダイキが犯人探しをしているなんて。俺は、ダイキがサワコに疑いをかけることを想像した。俺のせいでサワコに迷惑がかかるなんてゴメンだった。
「もしダイキに疑われたら、俺の仕業だってバラして良いからな」
サワコは一瞬驚いた顔をした。でもすぐに、満面の笑みで「バーカ」と言った。
翌日、俺はいつもよりも少し早めに登校した。まだ、ダイキは来ていない。
「どうしたの、テッちゃん。今日は早いね」
マコトに声をかけられて、俺は「まあね」と曖昧に答えた。そして《白紙の冒険》の続きを進めようと提案した。マコトは「朝から珍しい」と呟いて、鞄から自由帳を出した。
ただ、俺の注意は目の前のノートではなく、教室の入口のほうへと向いていた。
しばらくして、ダイキが登校してきた。一気に緊張が高まる。
ダイキは机の中に教科書を入れようとして、メモの存在に気づいたようだ。それを見てすぐに顔を上げる。そのまま首を左右に大きく振って、クラスのなかを見まわした。俺は目が合わないように注意した。ただ、視界の端に捉えるだけでも、ダイキがキレているのが分かった。そして内心、動揺しているに違いない。これで、争奪ジャンケンで女子のほうに手をまわそうという考えを、なくしてくれればいいけれど。
昨日、掃除が終わったあと、俺はこっそりとダイキの机の中にメモを残していた。
『 女子のデザートに手を出すなら 全力で立ち向かう by ジャンヌ・ダルク 』
これは、ダイキの動きを止めることと、サワコに疑いがかからないようにすることが目的だった。サワコの字に見えないように、メモの文字を工夫しておいたのだ。
これで、ダイキはクラスに敵がいるという疑心暗鬼にかられて、下手に動けなくなるに違いない。少なくとも、女子には手を出しづらくなるはずだ。女子の動きをコントロールできなければ、争奪ジャンケンで勝つことは難しくなる。バレンタインのチョコレートケーキを手に入れられる見込みがなくなって、ダイキは焦るだろう。俺は、その焦りにつけこみたいと考えていたのだ。ようやく、計画を次の段階に進められそうだった。
俺は一時間目の授業を聞きながら、あらためて今回のリベンジについて考えていた。
クリスマスの件をはじめとした諸々の借りを返すために、ダイキにはバレンタインのチョコレートケーキを一個も渡すつもりはなかった。
そのためには、これまでダイキが独占していた欠席者のデザートの権利を取り上げること、そして、ダイキ自身のケーキを奪い取ることが必要だった。
欠席者の分は、《早食い競争》を禁止に仕向けたことで、ほぼシャットアウトすることに成功した。問題はダイキ自身の分だった。
ダイキ自身のケーキを奪う計画は、ヤッチにかかっていた。ヤッチとダイキが先生に隠れた個人的な《早食い競争》をするように仕向けて、ダイキのケーキを奪い取る作戦だった。負けたほうが勝ったほうに自分のケーキを献上する、という《一騎打ち》を挑むのである。
問題は、ダイキが自分のケーキを失う危険を冒してまで、ヤッチと勝負する気になるかということだった。これまで姑息な手段で勝ってきたダイキのことだ。自分に有利な勝負にしか乗ってこないだろうと踏んでいた。
──だから、ダイキに罠を張ったのだ。
ヤッチにホウレン草が苦手なふりをしてもらって。ホウレン草が出る日ならヤッチに勝てると、ダイキに思い込ませたのだった。
欠席者のケーキをゲットできる見込みが低くなって、ダイキは焦っているに違いない。なにか他に良い案がないか必死に考えていることだろう。
そこに、《争奪ジャンケン》にこだわらなくても、ヤッチと《早食い競争》で勝負すればラクにケーキをゲットできる、という選択肢が加わったら?
ダイキは飛びつくに違いない。
勝負をセッティングするなら、今しかないと思った。