そんなマサオに、ひと芝居打ってもらうつもりでいた。先生が教室を飛び出したあと、「チョコレートケーキの行方は、クジで決めるように言われた」と、クラスで発表してもらうのだ。そしてそのまま、クジの箱の中に両面テープで張り付けておいた俺のネームプレートをひいてもらえば、完了だった。
俺とマサオは仲が良いというわけではないから、怪しまれる心配はなかった。
当のマサオには、このことをまだ話していなかった。ただ、協力を断られることはないだろうと踏んでいた。なぜなら、俺はマサオの弱みを握っているからだ。
先月の漢字テストのときに、学級委員のマサオは全員分の答案を職員室まで持っていくよう先生に頼まれていた。このときに、俺は目撃してしまったのだ。マサオが職員室に行く途中に、答案の答えを書き直しているところを。おそらく、マサオは俺の視線には気づいていなかっただろう。この件をバラすと脅せば、逆らえないはずだ。
「そんなのダメだよ!」
話を聞いていたマコトが叫んだ。
「なんだよ。いきなり、大声なんて出して」
「ゴメン。でも、そんなのテッちゃんらしくないよ。テッちゃんは、正義の味方じゃん。今回もダイキ君がつくったルールを壊しただけで充分だよ。みんな、喜んでるよ」
マコトが俺に食ってかかるなんて、初めてのことだった。
「落ち着けって。だから、俺のおかげで、みんなに平等にチャンスが与えられるようになったんだろ? バレンタインのケーキをゲットしても、お釣りが来る働きだって」
俺がいなければ、デザートはあのままダイキが独占していたのだ。女子がデザートをゲットすることも一生なかった。それを変えたのは、この俺だ。陰では、五年二組のジャンヌ・ダルクなんて呼ばれ、称えられている。たったの一度、バレンタインのケーキを手に入れるためにズルをしたからって、誰も文句なんて言わないだろう。
だが、マコトは納得しなかった。
「良いことをしたからって、その分、ズルしても良いの? テッちゃん、間違ってるよ。それじゃ、ぼくからプリンを奪ったダイキ君と何も変わらないじゃないか」
ダイキと一緒にされて、腹が立った。
「何だよ、それ。どこが、ダイキと一緒なんだよ」
「一緒じゃないか。ズルイことして、クラスメイトを脅して」
黙って聞いていれば、マコトのくせに。
「だいたい、誰のためにやってると思ってるんだよ。もとはといえば、お前が!」
「ぼく? ぼくのためだって言うの? そんなの頼んでないよ」
コイツ、誰がダイキから守ってやったと思ってるんだよ。もうキレた。
「お前なんか、俺がいなきゃ、ひとりぼっちだろうが!」
言ってしまってから、ハッと我に返った。違う。こんなことを言いたいんじゃない。
でも、遅かった。言ってしまったことは取り消せない。
「テッちゃん、そんな風に思ってたんだね」
マコトが今にも泣きそうなのを、必死に我慢しているのが分かった。
違う。マコト、違うって。でも、思うように言葉が出てこなかった。
「もういい、知らない」
マコトは鞄と上着を取ると、後ろの扉のほうへ足早に歩いていく。
そして、扉の前で振り返った。なんだよ。
「テッちゃんになんか、渡さない。ケーキは、ぼくがゲットするから!」
そう言い残して、マコトは帰ってしまった。
なんだよ。気が弱くて怖がりなお前に、出来るはずがないだろうが。
週が変わり、とうとう今週の木曜日にバレンタインデーを控えていた。水曜日には、ヤッチとダイキの《一騎打ち》もある。だが、決戦に向けて全く集中できていなかった。
先週の終わりにしたマコトとのケンカを、まだ引きずっていたのだ。ケンカした状態で土日を挟んだのが、また良くなかった。月曜日の朝から、憂鬱な気持ちでいる。
学校に行けば、マコトはケロリとした顔で話しかけてくるかもしれない。そんな期待を持って登校したが、そうはならなかった。マコトは以前のように、誰とも目を合わそうとせずに、ノートとにらめっこをするヤツに戻ってしまっていた。
「鉄とマコト、ケンカしたの? 面倒だから、早く仲直りしちゃいなよ」
俺たちの異変に気づいたサワコが声をかけてくる。俺だって出来るものならそうしたい。
ただ、少し言い過ぎたとは思っていたが、チョコレートケーキを手に入れる意志は変わっていなかった。どうして、そこまで意地になっているのか、自分でも分からなかった。ダイキに借りを返したいという執念なのか、マコトに言われて考えを変えるのが癪だからなのか、はたまたチョコレートケーキの味に魅了されているだけなのか。どれも合っているような気がするし、どれもちょっと違うような気がした。
結局、マコトと一言も言葉を交わすことなく、一日が終わった。
放課後はほとんど毎日のようにマコトと遊んでいたから、マコトとの予定がなくなると急に暇になってしまった。いつもは少しでも早く遊びに出かけたくて、急いで帰っていたけれど、今日は急ぐ必要がない。道草を食いながら、ダラダラと家を目指した。
その途中、思いがけずマコトを見かけた。マコトの家は線路の反対側だから、家に帰る途中ということはありえない。どこへ行こうとしているのだろう。
誰かと約束しているのだろうか。いや、今日は誰とも話している様子はなかった。
もともとひとりで遊ぶことに慣れているマコトのことだから、図書館かどこかでひとりで時間を潰そうとしているのかもしれない。勝手にしろよ、と思った。
水曜日、ついにヤッチとダイキの《一騎打ち》の日を迎えた。
朝から教室内が妙にそわそわしている。みんな、今日の対戦を待ち望んでいたのだ。
ダイキは、いつもと変わらない様子で余裕を見せていた。すでに、チョコレートケーキを手に入れた気でいるのかもしれない。勝利を確信してくれているのなら、余計な小細工を仕掛けてくる心配がない分、こっちとしては安心だった。
当然ながら、ヤッチのほうもいつも通り。そもそも、ヤッチが心を乱しているところを見たことがなかった。常に平常心。常にマイペース。今日の勝負もやってくれるだろう。
対決には関係ないが、マコトが学校を休んでいた。先生は「風邪だ」と言っていたが、本当のところは分からない。俺に腹を立てて、学校をサボっているのかもしれなかった。
ただ、今日はマコトに構っている暇なんかない。別に、どうでも良かった。
四時間目の終了チャイムと同時に、クラス内が慌ただしくなった。
給食当番が準備を始める。ウチのクラスでは、一班の人から順番に、食器をトレーに載せて列に並び、給食をよそってもらうことになっていた。
早食い競争において、給食の量は重要だった。ちょっとした量の差が勝敗を分けることも珍しくない。だから、ダイキはこれまで裏で量を操作して、勝負を有利に運んでいたのだった。今日の対決でも、ダイキは姑息な手段を使ってくるつもりだろうか。
「みんな、ちょっと聞いてくれー」
給食の準備が進められるなか、田中先生が全体に向けて言った。
「今日、ダイキとヤッチが《早食い競争》をしようとしていることは知っている」
教室内がどよめいた。先生に情報が伝わっていたことで、対戦が中止されるのではないかと不安に思ったのだ。俺も思わず、息を吞んだ。
そんな空気を察知したのか、先生はハッキリと宣言した。
「安心してくれ。勝負をやめさせるつもりはない」
クラスから安堵の声が漏れる。先生は続けた。
「ただし、《早食い競争》は今回限りという条件付きだ。今回は、先生が責任を持って二人を見守るから良いけれど、目の届かないところで隠れてコソコソ勝負をして、事故が起こってしまったら取り返しがつかないからなー」