第三種接近遭遇 ⑤


 あさはそれでも男から目を離さず、肩ごしに、


だれ?」


 男がそれに答えた。


「──そうだな。まあ、その子の兄貴みたいなもんだ。君は?」


 浅羽はつばを飲み込み、わざと不機嫌そうな声を作った。


「この学校の生徒」


 です、と言ってしまいそうになるのをこらえる。男は周囲をぐるりと見回して、


「なんでまた。こんな時間に」

「泳ぎたくて」


 浅羽のそのひと言に、男はいきなり顔中で笑った。


「──っかそっか。なるほどな。今日で夏休み終わりだもんな」


 男はプールのふちにしゃがむ。ニタニタ笑いながら浅羽を見つめて、


「おれも昔よくやったよ。おれのいた学校にゃ住み込みの用務員がいてさ、これがまたとんでもねーカミナリおやじでな。泳ぎに行くっていうよりダチ同士の度胸くらべさ。大さわぎしながら泳いでるし、二回に一回はおやじがほうき持ってすっ飛んでくるんだが、こっちだってはなからそのつもりだからそうそう捕まりゃしない。で、うまく逃げおおせたらおやじんところにイタズラ電話入れてさ、『あー、ながさわくん』これ校長のものな、長沢ってのはおやじの名前な、『あー長沢くん。あれかね、チミは、プールに忍び込んだ生徒を捕まえることもできんのかね。そんなことじゃクビだよチミ』。おやじもーカンカンに怒ってなあ。あれは面白かった」


 プールの外に複数の人と車の気配。静かなエンジン音、タイヤが砂利をむ音、ドアをたたきつけるように閉める音。

 囲まれている。

 なのに、この男以外には誰もプールの中には入ってこない。

 この男もまったく得体が知れない。話のわかる兄貴分という雰囲気が、うわべだけの作り物のようには見えない。浅羽には、そのことが逆にうす気味悪く思えた。


「あの、」


 生の疑問再びだった。

 あんたたちは何者なのか。

 そして、女の子と同じように、この男もまた、そんな疑問に明快に答えてくれるとは思えなかった。浅羽の言葉は出だしでいきなり失速し、男がそこに先回りをする。


「今でもありがたいと思ってるよ。長沢のおやじはさ、おれらガキどもの遊びにちゃんとつきあってくれてたんだよな。毎度毎度悪さをするメンツなんて知れてるしさ、捕まらなくたっておれらの名前なんか割れてたはずなんだ。けど、おやじはおれらのこと先生にちくったりしなかった。──だからまあ、おれは今でも、君みたいなイタズラ坊主にはわりと寛大なわけさ」


 そう言って、あさをじっと見つめる。

 お前がここにいたことはだまっていてやるから、お前の方も何も聞くな。

 そう言っているのだ。

 浅羽はそう理解した。

 男を見つめて、浅羽は小さくうなずいた。

 男はにかっと笑った。上着のポケットから無線機のような物を取り出して、


「いま終わった。Cが1、これから出ていく」


 早口にそれだけ言って、背伸びをしながら立ち上がった。


「さ、もう上がれ。ビート板ちゃんと片づけろよ。あと目も洗え。ところでお前、」


 女の子にむかって、


「泳ぐのなんて今日が初めてだろ?」


 浅羽の手を借りてプールから上がった女の子は、ひと言だけ、


「教わった」


 男は、へえ、という顔をした。女の子の頭にバスタオルを投げかけ、


「そいつは世話になったな。お前もほら、」


 そう言って、バスタオルごしに女の子の頭を乱暴にぐいと押しておをさせた。


「君がまず先に出てくれ。外にいる連中は、何も危害は加えない」


 頭の中は混乱していた。

 言いたいことは、聞きたいことは、山のようにあった。

 おぼつかない足取りでプールサイドを歩き、更衣室のスイングドアを押し開け、そこで浅羽は背後を振り返った。男が小さく手を振った。女の子はそのとなりで、バランスの悪い人形のように立ち尽くしている。頭にかぶったバスタオルの陰から浅羽をじっと見つめている。

 すべてが、現実の出来事とは思えなかった。

 ビート板を片づけるのも目を洗うのも忘れていたが、男は何も言わなかった。


    ◇


 浅羽なおゆきのUFOの夏が始まったのは、今をさかのぼること二ヶ月前の、六月二十四日の放課後のことである。


 そのはら中学校の三年二組にすいぜんくにひろという実にハイスペックな男がいる。出席番号は十二番で、十五歳にして175センチの長身で、全国模試の偏差値は81で、100メートルを十一秒で走り、顔だってまずくはない。

 が。

 この人はエネルギーの使い方を生まれつき間違えてるんだよな、とあさはいつも思う。

 なにしろ、進路調査表の第一志望に本気で「CIA」と書く男である。

 三年二組で十二番で175センチで81で十一秒に加え、すいぜんくにひろは自称・そのはら中学校新聞部の部長兼編集長でもある。なぜ「自称」なのかというと、新聞部は学校側に公式に部として認められていないからだ。メンバーはずっと三年生の水前寺と二年生の浅羽の二人だけだったが、この春に浅羽と同じクラスになったどうあきが何を思ったか「あたしも入ろっかな」と乱入してきた。

 これで部員は三人となった。

 校則によれば、部員が三人いれば部としてしんせいできることになっているし、晴れて公式な部となれば部室や部費がもらえる。だから晶穂はいつも申請しろしろとせっついているのだが、肝心の水前寺にその気がまるでない。その理由がまたすごい。


『ジャーナリズムの自主自立を守るために、体制からは慎重な距離を保つべきである』


 ばっかみたい、と晶穂は言う。

 とはいえ、仮に水前寺が申請をしたとしても、学校に部として認められることはないだろうと浅羽は思う。

 紙面の内容が内容だからだ。

 園原中学校には、水前寺邦博が100メートルを十一秒で走ることを知らない者はいても、水前寺邦博が超常現象マニアであることを知らない者はいないのだ。さらに言えば、水前寺にとっては天下のCIAですら、超常現象の真実を解明するための手段のひとつにすぎない。水前寺がなぜCIAを志望しているかといえば、本人いわく「CIAに入って超スゴ腕の工作員になって秘密作戦に参加したり極秘文書をえつらんできる立場になれば、おれの知りたいことがぜんぶわかるかもしれない」ということらしい。

 ではその「おれの知りたいこと」というのは一体何かというと、これがおおむね季節によって変わる。

 例えば、この冬の水前寺テーマは「超能力は果たして実在するか」だった。このころ、水前寺(と浅羽)は昼休みに放送室を占拠し、全校生徒を対象にテレパシー実験をやらかして先生にめちゃくちゃ怒られた。

 そして春が来て、水前寺テーマは「ゆうれいは果たして実在するか」に変わった。この頃、水前寺(と浅羽)は幽霊が出るとうわさていいちかわだいもん駅女子トイレを夜中にせんにゆう取材して110番され、先生にめちゃくちゃ怒られた。

 そういう男が編集長の、つまりはそういう新聞なのである。

 名前だって、少し前までは『太陽系電波新聞』だった。

 しかし、あきが入ってから状況は少しだけ変わった。今でもすいぜんテーマ関連の記事が紙面の七割近くを守ってはいるが、晶穂の担当する「な記事」もじわじわとその版図を拡大しつつある。最近になって晶穂は編集会議で「紙名を変更すべきだ」という主張をぶち上げた。五時間にも及ぶ舌戦の末にあさの調停工作がやっと実を結び、双方がけっぷちギリギリの妥協点として『そのはら電波新聞』という線で一応話は落ち着いた。新紙名をどう思うかと浅羽が尋ねたところ、となりの席の西にしいわく、


「『太陽系』のときはしきがデカすぎて笑っていられたけどさ、今度のは『園原』の分だけ電波が身近になった気がしてすげーやな感じ」


 そんなこんなで水前寺くにひろは部室長屋の空き部屋を根城に今日も暴れ回り、園原電波新聞は月に一回、校内各所の掲示板に見た目はチープで中身はディープなかべ新聞のゲリラ掲示をり返している。


 今をさかのぼること二ヶ月前の、六月二十四日の放課後。

刊行シリーズ

イリヤの空、UFOの夏 その4の書影
イリヤの空、UFOの夏 その3の書影
イリヤの空、UFOの夏 その2の書影
イリヤの空、UFOの夏 その1の書影