第三種接近遭遇 ⑦

 浅羽には聞こえた。

 晶穂には聞こえなかった。晶穂が「は?」と聞き直したそのとき、


「そんなもんはボツだあーっ!!」


 水前寺はいきなりゴジラのように吠えた。ひたいに手を当ててイライラと首を振りながらつかつかと部室を横切り、


「応答せよ、応答せよ両特派員!! ああああなんてことだ、君たちはまだ心霊現象なんぞにかかずらわっておるのかね!!」


 部室の突き当たりにある窓を開け放ち、水前寺は六月二十四日放課後の青空に向かって対空ミサイルのように叫ぶのだった。


「おっくれてるぅ───────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────っ!!」


 からり、とっ。

 両手で静かに窓を閉め、水前寺はすりガラスごしの光を背に振り返った。打って変わった静かな口調で、


「さて両特派員。本日すなわち六月二十四日は何の日か知っているかね?」


 二人は再び顔を見合わせる。あきは「なによあれ、なんか変なもの食べたの?」という目つきであさを見るが、浅羽は「知らないよそんなの」と首を振る。しかたなく、晶穂は「木曜日でしょ?」と自信なさげに答え、浅羽はヤマカンで「トイレットペーパーの日」と答えた。


「違う」


 そしてすいぜんは、おごそかに正解を口にする。


「六月二十四日は、全世界的に、UFOの日だ」


 ああ──。


 ようやく、二人は納得した。

 水前寺テーマは季節と共に移ろい行く。

 超能力の冬が過ぎ、ゆうれいの春が過ぎて、水前寺のきようの対象が何の前触れもなく根こそぎアップデートされる日が、再び巡り来たのである。

 浅羽はがっくりと肩を落とした。晶穂は「子犬あげます」に戻った。生後三ヶ月メス芝健、芝けん、芝件、芝研、とスペースキーを押しながら、


「そっか、もうそんな時期なのね」


 浅羽はただ、


「重かったのになー」

「あたし明日から夏服着てこよっと」


 浅羽はただただ、


「重かったのになー」


 水前寺がいきなりくだけた口調に戻って、


「おいこらなに和んでんだお前ら。少しは感動しろ感動」


 するものか、と二人は同時に思う。ことに浅羽のダメージは大きい。テーブルの上の卒業アルバムの山をちらりと見て、またこれを返しに行かなければならないのかと思うと身体からだが地の底に沈むかと思う。晶穂が、


「つまり、幽霊はもうやめにして、これからはUFOに追い込みかけちゃうわけですか」

「ああ」


 水前寺はうなずき、目を細めて、ものすごくいい顔で笑った。毎年毎年少なからぬ新入生女子がこの笑顔にだまされ、貴重な紙資源をラブレターに変えて水前寺の箱に突っ込むという最悪の愚行に走る。

 晶穂は一応聞いておこうと思ったのか、


「──あの、どうして六月二十四日はUFOの日なんですか?」

どう特派員! 君はそれでもそのはら電波の特派員か! そんなことも知らないでジャーナリストとして全力を尽くしていると胸を張れるのか!」

「普通知らないわよそんなことっ!」

「じゃヒントだ。時は西暦一九四七年六月二十四日の火曜日、所は北米ワシントン州レイニア山上空約9500フィート」


 そのヒントに、少しずつダメージから回復しつつあったあさが反応した。

 ──あれ、それ、どこかで──

 レイニア山。

 その名前に聞きおぼえがある。

 確か、ずっと昔に読んだ子供向けのUFOの本か何かで──


「──ええっと、ケネス・アーノルド事件」


 その名前は、ふと口をついて浅羽の口からこぼれ出た。

 ずっと昔の、もう顔も思い出せない友達のあだ名のような、ひどくなつかしい口触りの名前だった。そんな名前が自分の頭の片すみに残っていたことに、少しだけ感動した。


「さすがは浅羽特派員!」


 すいぜんかべにかけられたコルクボードに歩み寄り、「よかった探し表」の「浅羽」のらんに赤くて丸いシールをぺたりとった。くるりと振り返って、


「軽飛行機にて飛行中だったケネス・アーノルドは、レイニア山上空で『水面に投げた受け皿のようにスキップしながら飛ぶ正体不明の九つの飛行物体』をもくげきした。これが公式に報告された中では最初のUFO目撃事件であり、以降六月二十四日は、全世界的に、UFOの日であるとされているっ」


 そう言って水前寺は満足げにうんうんとうなずく。

 浅羽はしかし、『卒業アルバムに見るしんれい写真』にまだ未練があって、


「──けど、じゃあ、次の号の企画は? 何かあてでもあるんですか?」

「無論だ。次なる取材は極めて過酷な長丁場になる。入念な準備が必要だ」

「え?」

「須藤特派員、七月号の紙面はすべて君に任せる。思う存分マジメな記事を書いてくれたまえ。我々はその間に極秘取材の準備にかかる」


 浅羽とあきはふたりして「はあ?」と間抜けな声を出して、


「い、いきなりそんなこと言われても困りますっ」

「あ、あの、我々っていうのはやっぱりぼくと部長なんですか」

「浅羽特派員は体力的に不安があるからな。ブルワーカーでもようめいしゆでも構わん、今から身体からだきたえておくように」


 あさは不安になってきた。極秘取材という言葉のひびきが何とも不気味だった。とんでもないところに連れていかれてとんでもないことをやらされるかもしれない。


「極秘取材って、どこへ──」

「なに、すぐそこの裏山さ」


 そう聞いて浅羽は少しだけ安心した。その油断に夏休みを丸ごと食い尽くされることになるとも知らずに。さらに尋ねる、


「だけど、なんでまた裏山なんです?」


 すいぜんは不敵に笑い、さも当然のことのように言い切った。


「UFOっていったら裏山だろ」


 夏も近づく六月二十四日の、放課後の出来事だった。

 超能力の冬が過ぎ、ゆうれいの春が過ぎて、浅羽なおゆきのUFOの夏がやって来たのだ。


    ◇


「で?」


 ため息をつくにはまず息を吸わなければならない。息を吸えば、その匂いがどうしても鼻につく。湿っぽい雑巾と粉々に踏み砕かれたチョークの匂い。それは教室の匂いであり、学校の匂いであり、夏休みが過去のものとなったことを意味する匂いであり、二学期第一日目の匂いだった。


「マジで? お前ほんとに夏休みの間ずっとそのはら基地の裏山にいたの?」


 窓際の机の上にぐったりと突っ伏して声も出さず、組んだ腕にあごをこすりつけるようにうなずくと、机のわきに立って浅羽の顔をのぞきこんでいた西にしは、


「ばっかじゃねえの」


 というひと言で浅羽の夏休みを総括した。

 予想通りの展開でかわぐちにごってり油を搾られ、一限目の現国を最初から最後まで右から左へと聞き流して、命からがらたどり着いた本日最初の休み時間だった。


「やっぱあれ? 山ん中にテント張ってはんごうすいさんとか?」


 本当にそんなバカなことをやっていたのかお前は、とでも言いたげな口調で西久保は尋ねる。浅羽はぼんやりと、めんどくさそうに、


「──部長が軽トラ持ち出してきてたから、しょっちゅうコンビニなんかに買い出しに行けたしね。だから、コンビニ弁当とかレトルトカレーとか」


 実際、コンビニの弁当は全種類をあらかたせいしてしまったし、レトルトカレーはしばらくは見るのもいやだった。あきがときどき差し入れを持ってきてくれたのは本当にありがたかったと今になって思う。


「それに、ほんとにずっと山の中にいたわけじゃないよ。三日か四日にいっぺんくらいかな、普通のメシ食いたくなったり入りたくなったりしたら家に帰ってた。部長はずっといたみたいだけど」

「え? じゃ、部長ドノは夏休みの間ずっと風呂なし?」

「まさか。あの裏山をおおつきだいの方にちょっと下ったところの、ええっと、野球場とかある」


 西にしも首をひねって、


「なんだっけ。なんとかかんとか記念スポーツ公園、だよな」

刊行シリーズ

イリヤの空、UFOの夏 その4の書影
イリヤの空、UFOの夏 その3の書影
イリヤの空、UFOの夏 その2の書影
イリヤの空、UFOの夏 その1の書影