「そうそこそこ。あそこの水道で行水。そりゃそうだよ。特殊部隊じゃあるまいし、あそこの水道とトイレがなかったらぼくらだけでひと夏ずっと山にこもるなんてそもそも無理だよ」
「けど行水って、あそこ結構人いるだろ」
「昼間はね。夜になればアベックの車がたまにいるくらい。部長は昼間でもお構いなしだったけど」
さすがだ、と西久保は笑う。浅羽もつられて笑みを浮かべる。
「要するにキャンプしてたんだな。実は結構楽しんでたんじゃねえの?」
まあね、と浅羽は答えた。
喉元を過ぎて、いやなことの記憶が薄れかけているせいかもしれない。
が、それだけではないと思う。
丁寧に思い返してみれば、「全然面白くなかった」というわけではないような気がするのだ。
タヌキの餌付けにも成功した。
夜中のスポーツ公園でゆさゆさ揺れている車を爆竹で「取材」したりもした。
そして、それよりも何よりも、「仲間以外は誰も来ない山中に『秘密基地』を構えて『敵』を見張る」という計画には、白状する、正直心が躍った。この歳になって秘密基地ごっこをするハメになるとは思わなかったけれど、部長はいい歳をこいてそういうことを心から真剣にやってしまう人だ。半ば無理矢理という部分はあったにせよ、ひとたびその中に飛び込んでしまえば「気持ちいい瞬間」は間違いなくあったのだ。
そう悪い夏休みではなかったのかもしれない。
しかも、最後の最後になって、無茶なことをしてやろうという気になって、
プールに忍び込んで、
そして、
「おい」
西久保に肩を突かれ、浅羽は我に返った。
「んだよ、ぼーっとして」
「ごめん。なに?」
「──だからさ、UFO探しに園原基地の裏山にこもったんだろ? 写真の一枚くらいは撮れたのかよ?」
まさか、と浅羽は笑って、
「死体を埋めに来た奴と出くわす確率の方が、まだしも高かったと思うよ」
なんだつまんねー、西久保はそうつぶやいて、浅羽の山ごもりについて興味を失いかけたそのとき、
「あ、でもおれその話聞いたことある」
浅羽の前の席の花村が、椅子に後ろ前逆さまに座り直して話に割り込んできた。これまでの話をずっと背中で聞いていたらしい。
「園原基地はUFOの基地だって噂、かなり昔からあるみたいだよ」
西久保はいかにも疑わしそうに、
「おれだって聞いたことくらいはあるけどさ、でもそりゃあれだろ? ステルス機とかの見間違いだろ? 園原だけじゃないって聞くぜ、その手のUFO話。でっかい飛行場のある街ってのはUFOの目撃談も多いんだよ。特に園原基地なんて航空自衛軍と米空軍の寄り合い所帯だしさ、いつもと違うへんな時間に飛行機とばしたりすることもあるだろうしさ、UFOと見間違えられて騒ぎが起こったって『あれは実はうちの飛行機でした』なんていちいちアナウンスしたりもしないだろうしさ」
「部長の受け売りだけど、」
浅羽が、ふと口を開いた。
「園原基地の近くで目撃される謎の飛行物体は、『園原基地の幽霊戦闘機』って呼ばれてて、UFOマニアの間じゃ結構有名なんだって。そっち系の雑誌なんかにはよく載ってるしね。フーファイターってのはもともとは第二次大戦中の連合軍の飛行機パイロットが目撃した謎の飛行物体のことでさ、最初はドイツや日本の秘密兵器じゃないかって思われてたんだけど、戦争が終わってみたらドイツや日本のパイロットもやっぱり同じようなものを見て『あれは連合軍の秘密兵器だ』って思ってたってことがわかってさ。結局、今では何かの自然現象か、集団幻覚みたいなものだったんじゃないかって言われてる。もちろんUFOマニアにとっては、『フーファイター』って言えばUFOの別名なんだけど」
西久保も花村も、半ば感心、半ば呆れ顔で浅羽の話を聞いている。
浅羽は二人の表情に気づいて、
「──部長の受け売りだけどね」
ばん、と西久保が浅羽の肩に手を置いた。
「素直になれ浅羽」
「な、なんだよそれ」
「いいからいいから。それで? 部長が言うには、園原基地の何とかの正体は何だって?」
「──さあ。部長って、細かいんだか大雑把なんだかよくわかんない人だしね。ちゃんと聞いてみたことないけど、案外、正体なんかどうでもいいって思ってるかも」
「じゃお前はどう思ってんだよ」
何となく追いつめられているような気がして、
「UFOマニアの間で一番有力、っていうか定番なのは、『園原基地がマン・メイドのUFOを飛ばしている』って説なんだよね。アメリカでも似たような話があるし。墜落したUFOを回収して、その技術を真似してすごい性能の飛行機が作られてるっていう噂。それかも」
花村がおかしそうに、
「じゃあさ、いよいよ戦争になったらそういうUFO戦闘機がびゅんびゅん飛び回ったりするわけえ?」
西久保も呆れたように、
「そりゃお前、ただの『すごい性能の飛行機』ってだけなんじゃねえの? なんでそこにいきなり『墜落したUFOから得た技術』が出てくんだよ」
自分がバカにされた気がして浅羽は内心むっとする。しかし、浅羽としても『マン・メイドUFO』説を頭から信じているわけではない。なんだか自虐的な気分になって、
「──そうだ、写真ならあるよ。フーファイターの。パソコンのプリンターで印刷したやつだけど。結構有名な」
そう言って、鞄から取材用のバインダーノートを引っぱり出した。ファイルの中身をごそごそとかき回し、
「んーと、あったあった。これ」
見るからにウソ臭い心霊写真の束に混じっていた、しわくちゃのプリントアウトを机の上に広げた。
西久保と花村が身を乗り出す。
モノクロでぼけぼけの、説明されなければ何が映っているかもよくわからない、UFO写真の典型のような一枚だった。
西久保がまず、
「何だこれ。どっちが上だ?」
「こう」
浅羽はプリントアウトを西久保の方から見て正しい向きに直した。
「今年のはじめごろにネットに流れてちょっと話題になったやつだよ。このへんが地面でこのへんが空で、この真ん中のぼやっとした影がフーファイター。撮影者は不明」
「で、ここにいるのが雪男でこっちのはネッシーだな」
花村がちゃちゃを入れるが、西久保は意外と真剣にプリントアウトを見つめている。「フーファイター」の影を指差し、
「これ、翼端灯の光か?」
浅羽は「さあね」と首をかしげ、
「これ、たぶん第四エプロンの西側の、ぼくと部長がいた裏山からそう離れていない場所から撮ったんだと思う。この画像ファイルと一緒にムービーもネットに流れてたんだけど、そっちはこれなんかよりもっとぐちゃぐちゃで何がなんだか全然わからない」
「──これ飛行機だろぉやっぱ。だいたいこんなボケボケ写真じゃ何も説明つかねーだろ」
「まあ確かに、UFOの技術云々は別にしてもさ、開発されたばっかりの秘密兵器のテストをやってるとかさ、そのくらいならあってもおかしくないと思うんだ。ほら、もうすぐ戦争になるって話だし」
もうすぐ戦争になる。
それは、浅羽たちの世代にとっては一種の冗談のような言葉だった。生まれる前から「もうすぐだ」と言われ続けて、そのくせテレビのニュースの中で小競り合いが繰り返されるばかりで、いつまでたっても一向に始まらない「本物の戦争」。
「ならねーだろ、戦争」と花村。
「ならないかな、戦争」と浅羽。
そこで西久保が、
「でも、北への空爆って最近また始まったんだろ。今朝のニュースでどっかの大学教授か何かが今度こそヤバいとかって言ってたぜ」
しかし花村は切って捨てる。