分析1 ラブレターを分析する ③

 印象的な流し目で、テルはからかうような視線を送ってくる。

 小さな口は、イタズラ好きを象徴するかのようにゆがんでいる。

 だまっていれば美人なのに、黙っていないから憎たらしい。


「カモトキくんが私以外の女子と二人っきりであいびきなんて高校生活で一度あるかないかだと思って必死にレンズをにらんでいたのに! ごめん! 許して!」

「許そう」


 ほとばしるほど許したくないけど、これ以上話が長引くのもそれはそれで嫌だ。


「で、屋上で何やってたんだ?」

「馬鹿と煙と天才は、高いところに昇りたがるものだよカモトキくん」

「自分の都合に合わせて格言を改変するのはやめなさい」

「真面目な話、分析調査だよ。私がどこで部活動をしようが勝手だろ」

「勝手だけどさ……その床にまで届くもっさもっさした髪は?」


 普段のテルの後ろ髪はどうにかうなじを隠せるかどうか、という長さでしかない。それなのにいまはどう好意的に表現しても妖怪じみているとしか言いようのない長さをしている。四十年間一度も切ったことがありません、みたいな。まだ十六歳なのに、みたいな。


「これ? カツラ」

「なんでそんなもんを」

「もちろん、分析結果の検証をするためだ」


 いったいどんな分析をすればそんなカツラを用意する必要性が生まれるんだよ。馬鹿馬鹿しくてそれ以上のことを聞く気になれない。俺があきれてうなだれていると、南側から妹が寄ってきた。


「どうしたの、トキオ。鳥でもいたの」


 俺は鳥に話しかけるような人間だと思われているのか!? 尊敬する兄に告白しようとする女子がいるとはかけらも考えていないのが浮き彫りになったな、妹よ。


「独り言とはいくらなんでも──うわぁ! お化けだ!」


 兄の後を追いトミノが発見したのは長い黒髪を振り回した恐ろしく肌の白い学生服姿の女であった。その異様な出で立ちから死人の雰囲気を感じた我が妹はきようがくするあまり腰を抜かして尻もちをついた。


「お、お、お兄ちゃん! 逃げて! そいつはきっとあくりようだ!」


 トミノは目を見開き唇をふるわせ、テルを指し示しては涙目でわなないている。なるほど言われてみると悪霊のたぐいにしか見えないこの奇怪な女、実はお前の兄の親しい友人である。

 幽霊や妖怪の存在を心から信じている妹よ、お前の美しい心にはこの女がたたりをもたらす悪鬼に見えてしまうのもなることであろう。だってこいつ頭おかしいもんな、ごめん、こんなんでも兄ちゃんの一番の女友達なんだわ。


「うわぁ! こっちを見た! エクソシストを呼んで!」


 金切り声を上げてわいい妹が発狂している。

 でも、いくらテルでも自分を見て悪霊だとさわぐ失礼な子がいれば普通そっちを見るよ。


「落ち着けトミノ。うちは神道だろう、エクソシストじゃなくて神主さんに──痛ぇ!」


 兄として適切な行動をとったはずがなぜか悪霊に尻をり飛ばされた。友人としては不適切であったのが原因であろうがそんなのは知ったことじゃない。


「カモトキくん。他に言うべきことがあるだろ」

「ごめん。ふざけすぎた……」

「まずは私の死因を説明しろ」

「悪霊の設定で押し通すの!?」


 どう考えても無理があるだろ! ボケをかぶせんじゃねーよ!

 ──ハッ。

 危ない、恥ずかしながらいつしゆん冷静さを欠くところだった。怒らない、怒らない、人の痛みに敏感で相手の気持ちを考えるを失ってはならない。

 深呼吸をして平静を取り戻そうとする俺のとなりで、テルはカツラを外して代わりにいつものニット帽をかぶり直していた。矢に貫かれたリンゴのマークがやたらと目立つ、テルのお気に入りの帽子。正直言うと似合ってないぞ、それ。


「いやぁ、おどろかせて悪かったね、トミノちゃん。私は生きている人間だよ、こう見えて」

「死体に見える自覚があったのかよ……」

「長い黒髪と白い肌の組み合わせが最も人に好かれやすい外見的シンボルだと分析したんだけど……どうやら分析を間違えていたみたいだ」

「どう見ても実践の仕方が間違ってるだろ!」


 スカートまで届く長い髪と白骨みたいな肌をしてたらだれが見たってしんに思うわ。

 テルの意味不明なセリフに逐一ツッコミを入れていたらついににらまれた。


「何か不満があるのかカモトキくん。出るとこに出てもいいんだぞ」

「まず正しい名前で呼んでもらえないことに不満がある」

「このカツラはけっこう値が張ったんだが」


 そらそうだ。その量なら値も張るわ。それどころか地面に根を張りそう。


「カツラにしたって長すぎるよ。妖怪にしか見えないぜ」

「そうかな?」

「それにその肌。いくらなんでも白すぎだ。どんな化粧を施したんだ、まったく生気を感じないぞ」

「これは地肌だよバカヤロー」


 太ももをられた。あくりようらしからぬ質量を持った重い蹴りだった。


「さて、いじわるなお兄さんは放っておいて、トミノちゃん、はじめましてだね。私は二年のあかむらさきあおい。よろしくどーぞ末永く」

「え? テルっていうのは……?」

「ニックネームだね! 由来は不明」

「え?」

「ん?」


 お前がわかってねーのかよ!? 一年生のとき、「テルと呼んでほしい」ってクラスで自己紹介したのはお前だろ!?


「君のお兄さんの所属する分析部の部長だよ。君もよかったらぜひ」

「ぶんせきぶ?」

「そう。逆から読んでも分析部」


 逆から読んでも……ぶきせ……


「全然ちげーじゃねーか!」

「とにかくいろんなことを分析して楽しむ部活さ。普段は図書室のとなりにある第二会議室で将棋を指している」


 トミノが目を丸くする。正常な反応のできる子で良かった。


「え。じゃあ将棋部なんじゃないですか?」

「まぁ、公式には将棋部と呼ばれているね」

「え。じゃあ分析部というのは?」

「私たちの心のつながりを示す言葉──と受け取ってくれても構わないね。ねぇカモトキくん」

「違うと思う」


 恥ずかしながら俺も分析部所属である。正式には将棋部所属だが、俺は生まれてこのかた将棋のこまにも触ったことがない。


「仮の姿に身を隠しながらも崇高な目的のために私たちは日々戦っているんだよ、妹ちゃん」

「堂々ともんの教師と生徒会をだましながら部として公認を受けて怪しい活動を行ってるんだよ」


 テルが笑顔で俺のとなりにすり寄ってきた。

 そして妹の目から隠れて俺の背後に手を伸ばし、背中をつねってきた。

 痛みで友人を支配しようとは不届きなやつだ。その程度で俺が屈するものか。


「それで……屋上で何を分析していたんですか?」

「良い質問だねトミノちゃん。良い質問ができるということは問題点を見抜く技術にけているということ、君のその才能は分析部にあってこそ開花するに違いないね」

「えっ、本当ですか!」

「というわけでどうだろう、部活に所属していないのならぜひ」

「質問を勧誘にすり替えるんじゃねーよ!」


 俺の妹が純真な目で質問しているときは一切の誤解の交らぬよう真実だけを話してほしい。なんでも信じちゃうんだから。皮肉やジョークなんて通じないんだから。


「こほん。では多少真面目に答えよう」

「一切の不足なく真面目に答えろ!」


 妹の目を見てにやりと笑うと、テルはポケットからスーパーボールをひとつ取り出した。ガキかお前は、なんでそんなもん持ってるんだ。


「球体なら何でも良かったんだが、手元にこれしかなくてね」

「なんで手元にスーパーボールがあったんですか」

「そのツッコミ……お兄さんそっくりだな……なぜかというと分析部では毎年文化祭でスーパーボールすくいをするからだね!」

「金魚すくいじゃないんですか?」

「分析の結果、金魚は次の年に持ち越せないからコストがかかると気づいたんだね!」

「生々しいですね」


 テルは屋上の北端あたりに移動すると、腰をかがめボールを床に置いた。テルのスカートは少々短すぎるので、そういう体勢をすると非常にきわどいアングルが後方の人間の目に映る。見える、おお、見えるぞ……何がとは言わないけれど、男子高校生が喜びそうな何かが見えそうになってるぞ。目をらしてやるのが優しさだろうとわかってはいるが、それができずに苦しむのもまた人生というものである。

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赤村崎葵子の分析はデタラメ 続の書影
赤村崎葵子の分析はデタラメの書影