分析1 ラブレターを分析する ④

 テルが手をはなす。するとボールはゆっくりと、だが確実に屋上のふちに向かって転がり出した。そして俺の目線もスカートの縁に向かって滑り出した。隠すつもりのなさそうなテルの太ももをじっくり堪能していたところだったのに、テルはまた姿勢を戻して、スカートも定位置に戻ってしまった。


「トミノちゃん。君ならこの現象をどう分析する?」

「ボールが屋上の端に向かって転がる……ということは、床が傾いている?」

「そうだ。ではなぜ屋上の床が傾いているのか? グラウンドを含め学校のしきないはすべて水平にならされているはず。校舎だって水平に建てられている。床が傾いているのは自然なことではない」

「あれ……そうですよね。なんでだろう?」


 まーたどうでもいいことを分析対象にしているのか。

 テルはいつもこうだ。目の前で起こるどうでもいい事象に適当な理屈を込めて分析したがる。

 もっと社会に役立つ分析をすれば他人からの評価もまた違っただろうに、普段からこんなことばかりしているから変人の域を出ない。友達がいないわけでもなかろうが、たぶん俺より仲の良い相手はいないと思う。


「私ならこう考えるね。この校舎、またはばんそのものが傾いているんだ。この傾斜が大きくなればいずれこの学校は物理的に学級ほうかいするであろう!」

「えええええええええええっ!? この学校がぁっ!? 私今月入学したばっかりなのに!?」


 んなわけねーだろ…………。

 純真な俺の妹をだまくらかすんじゃねーよ…………。


「これが分析部の活動だよ。どうだいトミノちゃん」

「すっ──すごい! 分析っぽい! 本格っぽい!」


 妹は目をかがやかせ、いかにも何でも信じ込んでしまいそうな純朴な笑顔でテルに詰め寄った。


「すごいですテルさん!」

「ハハハハ、もっとめていいぞ」

「すごすごすごすごーい!」

「もう少し言葉巧みに褒めてくれていいんだぞトミノちゃん、ハハハハ」

「生前は学者か何かだったんですか?」

「まだその設定生きてるの!? カモトキくん! 君の妹からみづらいな!」


 だまされてる…………! うちの妹がテルのアホに騙されてる…………!

 恐ろしく気に入らない方向に話が進みつつある……!


「それでっ! 原因は何だったんですか!? 地盤沈下!? それとも!?」

「ん……そういうのはほら、地学研究者とか建築関係者の仕事だから」

「あ、そうなんですか」


 調べるのがめんどくさいと他の専門家に仕事を押しつけるのはやめなさい。


「なんだねカモトキくん、その顔は。文句があるなら三秒以内にドーゾ。さーん。にーい」

「傾いてるのはさ、ここが屋上だから、雨水がたまらないようにしてるんじゃないの?」

「え?」

「だから、屋上の床を中心部から端に向かって傾斜をかけておくと自然と雨水が端に流れていくだろ。雨水が排水溝まで勝手に流れる。水たまりができなくなる。はじめからそういう造りになっている。それだけのことじゃないの」

「……………………む」


 にやにやしていたテルがにわかに真顔になる。自分の分析と俺の思いつき、どちらがより妥当か脳内で比較しているらしい。そしてすぐに答えを出したらしく、スーパーボールを拾い上げて俺に向かって投げつけた。拾い上げる際にスカートの端からなんか白いものが見えてしまった気がする。


「話を変えよう! それで、カモトキくんとトミノちゃんはどうして仲良く屋上に来たのかな?」


 ぐ。

 こいつにラブレターうんぬんとか知られたくないな。トミノ、空気を読んでだまっていてくれないかな…………


「兄がラブレターをもらったんです」


 言うと思ったよ!


「ラブレター!? カモトキくんが!? アハハハハハハハハハハハハマジで!?」

「何がツボに入ったんだよ」

「いいねぇラブレター! ラブレターという文化はプラトニックラブを促進する素晴らしい風習だと思うね!」

「思い切り笑い飛ばしたくせに」

「ラブレターを笑ったわけじゃないやい」

「俺を笑い飛ばしたことが確定したぞ!」


 こいつめ、人の恋路を笑うとは何事か。俺が成敗してくれるわ。

 笑われた腹いせにテルのニット帽を奪おうとしたら猛烈に抵抗された。身長差を活かして上から帽子をつかむも、テルが頭を振りつつきようぼうな手の動きでそれを阻止してくる。


「やめろっ! 帽子に触るなっ!」

「大人しくせい、再びカツラをかぶせちゃるぞこいつめ」

「嫌だっ! だれがあんなものかぶるか!」

「お前、自発的にかぶってただろ!? こいつめっ!」

「ぬーっ!」


 争いがみるみる幼稚になっていく。そして帽子が伸びちゃうとか伸びちゃわないとか言い合っているうちに、不思議そうな顔をしてトミノが話に加わってきた。


「テルさん。プラトニックラブを促進するって、どういう意味ですか?」

「あっ聞くな!」


 疑問符は火種、論理は導火線。

 そしてテルという名のばくだんは、信じられないほどに着火しやすい危険物である。

 海に沈めるのが最善だと思われるが、提唱したことはない。


「そうかそうか! 聞きたいか! いいだろう、わいいトミノちゃんのために聞かせてあげよう、私の分析結果を!」


 テルはピンと背筋を伸ばし、まるできようだんに立つ教授のような態度で語り始める。


「ラブレターというのは他のコミュニケーションツールと比して大きな違いがある。私の分析によると大きな差異は二つだ。まず一つは、相手の反応を『待つ』というより『想像する』という面が強くなるということだ。対話、メール、電話。それらとラブレターの違いはどんなものがあると思う、トミノちゃん」

「え。返事のスピード……ですか?」

「優秀だな。兄とはえらい違いだ」


 余計なお世話だ。兄の優秀さは他人の目にはわかりにくいのだ。きっとそうだ。


「手紙は相手の返事が遅い。そうなると何が変わるか? 対話と比較してみよう。君が好きな人と会話をするとき、発声する前に自分の言葉が相手にどう思われるかを深く考えるか? 一般的にはできないね。もちろん時間的限界があるからだ。ゆえにまず思ったことを発声し、そこから相手がどんな反応をするか待つという形になりやすい。逆に手紙だと、とりあえず送って反応を待つ、という大雑把なやり方はあまりスタンダードじゃないね。文章と向き合う時間が長いから、自分の言葉をすいこうすることができる。並行して、相手に与える印象を考える時間が長くなる。そいつはつまり、相手の気持ち、反応を想像する時間が長くなるってことだ。この性質は対話、メール、電話に比べて手紙はかなりけんちよだよ。次に」


 なげーよ。説明が長い。

 まだ一つめを説明しただけなのにこちらの精神的疲労がヤバい。

 トミノもなんだか目がうつろになってきている。

 のほほんともきりっともしていない兄妹になってしまった。


「二つ、文面に自らの心を反映させることで、自分の気持ちをきちんと形にして自覚することができるようになる。自分のおもいを言葉にするということ、形にするということ。それは自分の心と向き合わなければできないことだろう。自分の中にある気持ちを整理し、形成し、覚悟をもって具現することでラブレターは出来上がる」


 へぇ。そうか。

 すげぇな。うん。


「これらの特徴を総合するに、ラブレターは相手との関係を形成する以上に自分の恋心を育成する役割を担ってくれるのではないか、というのが私の分析ってわけだ。ラブレターを中心に据えた恋は相手との実質的な関係よりも自分の中にある相手の存在の大きさを確認するという面が大きくなるのさ。ゆえに、そうした恋はプラトニックラブの性質が強くなると思われる。何をしたかではなく互いにどう思っているか、それが一番大事なんだね。古き良き、なんて言い回しはまったく好まないが、技術的に交信スピードの出ない時代はこういう性質に自然と触れていたんだね。だからトミノちゃん。告白してきた男に興味はあるけどどうにも相手は私の体にしか目がいっていない気がする! とそう思ったらこう言いなさい。『ラブレターをください』とね。そうして相手の中に自分への確かな恋が芽生えるのを待ちなさい。ラブレターの効力は受け取り手よりもむしろ送り手、書き手の方に作用すると私なら考えるね」

「はぁ……」


 トミノの目が完全に死んでいる。

 怒らせたら怖い人という印象は跡形もなく消え去っている。


「つまり! この手紙の存在が証明している! この世のどこかに、カモトキくんを心底愛している人間がいるってことを!」

「なんでこの世レベルまではんを広げたんだよ!」

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赤村崎葵子の分析はデタラメ 続の書影
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