分析1 ラブレターを分析する ⑤

 この学校のどこか、で十分だろ!

 なんでそこまで範囲を広げないと俺を愛してくれる人が見つからないと思ってんだよ!


「でもおかしいな。私は放課後になってからずっと屋上にいるが……君に告白するような物好きは見かけなかったぞ」


 痛いところをするどく突かれたがそんな様子はじんも表に出さない。

 テルを調子に乗せるとどこまでつけあがられるかわからない。


「これから来るかもしれないな!」

「告白しようとしているのに遅刻なんてするか? 印象を悪くするだけなのに」


 バッサリ。ロジカルに俺の恋愛事情を切り捨てるのはやめていただきたい。


「やめろ、もう触れるな、みなまで言うな……」

「ん? んん? つまり、まとめるとこういうことか? 『妹連れで告白されに来てやったらラブレターの送り主にまさかのすっぽかしをくらった』と」

「要約しなくていい。理解を促さなくていい」


 めいりようになればなるほど俺の立場があわれになるからあやふやなまま時の彼方かなたに流されていってしまうくらいでいい。


「かわいそうに。ここは分析部の部長として、私が一肌脱ごうじゃないか。ねぇトミノちゃん」

「部活の存在をいちいち妹にアピールするのやめろよ!」


 テルの強引な語り口に妹が若干引いている。元々口数の多い方ではないけれど、こうも閉口するのは珍しい。


「現れない告白者、ラブレターの差出人はいったいだれなのか? そもそもこれは本当にラブレターなのか? 君の兄は果たして女性に人気があるのか?」

「な、なんだよ。この手紙がいったいなんだっていうんだ? ただの手紙……じゃないのか?」

「面白いね。こいつはなかなか興味深い分析対象だ。


 自分の世界に入り込み熱っぽくなったテルに直接聞くのはためらわれたのか、妹が俺に耳打ちしてきた。


「トキオ。ヴィルヘルムって?」

「さぁな。もうひとりの自分──みたいなもんじゃねーの?」


 もうひとりの自分、って表現はあながち間違いでもないと思う。

 ヴィルヘルムはネットの世界にしか現れない不思議な誰か。

 ヴィルヘルムはチャットの向こうにしか姿を見せない不思議な誰か。

 つまりは、ハンドルネームなんだ。なぜかテルはチャットの向こうだとキャラを変える。人格を変える。そして別人になりきって俺と会話してる。リアルでもネットでもいちいち何かしら他人と違うアクセントをつけないとテルは我慢できないのだろう。

 だけど、チャットルームでの話はできるだけ人に話さないようにしてる。そう約束したわけじゃないけど、あんもくの了解としてそういうことになってる。だから俺も、深くは説明しないのがれいだと思う。というわけで、妹にはナイショにしておこう。ヴィルヘルムがテルのハンドルネームだってことは。ま、説明するのめんどくさいしな。


「本名があかむらさきあおいで、あだ名がテルで、もう一人の自分がヴィルヘルム?」

「そういうことだな」

「トキオ、この人ちょっと、お…………面白いね」

「おかしいと言っていいんだぞ、優しく礼儀正しい妹よ」


 俺はいつも言ってるぞ。大丈夫、こいつは自覚的に狂っているから、おかしいと言われても傷つかないぞ。


「分析開始だ。さぁ、目には見えない涙と勇気を探し出すぞ」

「ただのラブレターだろ。これ以上何を調べるというんだ。これ以上俺をみじめにしてくれるな。妹の前で恥をかかせてくれるな」

「いいじゃないか、どうせ断るんだろ? 君には私がいるんだからフフフフフ」


 気持ち悪い笑い方をしながらテルがしなだれかかってきた。

 表情は憎たらしいが、仕草はいちいち愛くるしい。俺がどう感じるか計算した上でやっていることなのだろうけど、間近に顔が迫ってくるといつしゆん反応できなくなってしまう。


「お前は俺のなんなんだよ。もしかしたら、もしかしたら絶世の美女が俺に首ったけで、俺もついついでれーっと誘いにのっちゃったりする事態が起こるかもしれないだろ」

「ああ、もしかしたらね」


 軽く流された。俺の言葉など歯牙にもかけず、抵抗する間もなくラブレターをさっと奪い取ると、テルはためらうことなく本文を読みはじめた。


「まずは内容の確認だな。うわ、びっしり二枚もあるのか、愛が重いな。えーと『はじめまして。あなたは私のことをよく知らないと思いますが私はあなたのことをよく知っています』。ふむ。カモトキくんと面識がなく、会話する機会も乏しい、そのうえ話しかけるのが苦手な子だな。なるほど、この時点で相手は二十人に絞られた」

「そんなに絞られていいの!?」


 俺ってそんなにこの学校で顔広かったっけ!?


「それでどーでもいい文が続いて……『学校ではいつもあなたを目で追っていました』とあるな。目で追うことができるってことはクラスが一緒なのかもしれない。クラスメイトか、もしくは同じ委員会にでも所属しているのだろう。交友は浅いが行動はともにすることが多い。この時点で二十人に絞られた」

「変わんねーのかよ!?」

「お、見ろこれ、『私の生活の中にはいつも不思議とさんの存在がありました』。何が不思議なんだ、自分から探し出して目で追ってたんだから当たり前だろ。ハハハこいつ文才あるな」


 む。むむむ。

 なんというか、これ、ものすごく失礼なことをしてはいないだろうか?

 俺だったら、自分の書いたラブレターを片恋相手以外に読まれるのは耐え難い辱めのように感じてしまうかもしれない。書いたことがないから確かなことは言えないけど。


「もういいだろ、笑うなら返せよ」

「ん? ああ返そう。文面の分析はほとんど終わった」


 俺の手にラブレターを押しつけると、テルは腕を組んで目を閉じて、うーんとひとつうなりをあげた。


「しかしこれだけではなんとも言えないな。文面以外についても分析が必要だ」

「文面以外ってなんだ」

「カモトキくん。君がこの手紙を受け取ったのはいつ? どんな方法で?」

「放課後、帰ろうとしたら下駄箱の中に入っていたんだ。靴の上に置かれてた」

「ふむ。放課後……か。ただのラブレターなら、君が登校したときに気づけるよう朝に仕掛けるのがじようとうだ。なぜ気づかせるタイミングに放課後を選んだ? 今日の放課後に会おうと書いてあるのにこれはおかしいと思わないか」

「ん? おかしい……かな?」


 いや、そうでもないような?


「朝から置かれていたなら夜のうちに忍び込んだ学外の人間かもしれないが、放課後になるまで気づかなかったんだから手紙を置いた人物は校内を自然にはいかいできる人物……まぁ、生徒だろうな」

「なんで朝じゃないとおかしいんだよ」

だれにも見られないよう手紙を入れるなら人のいない早朝がベストだから」

「それだけのことで?」

「それに、朝のうちに伝えておかないとカモトキくんが別の用事を入れてしまうかもしれないだろう。カモトキくん、今日このあとの予定は?」

「何もないよ、帰るだけ」

「やっぱり部活はサボる気だったのか。あとでお仕置きだぞ」


 ぬ。わなであったか。

 テルとにらみ合っていると、トミノが参戦してきた。


「単純に、兄の方が早く学校に来たということはありませんか?」

「どういうことだいトミトミちゃん」

「呼び方を統一しろよ」

「ですから、まず兄が学校に来て、そのあとに告白者がラブレターを置いた……というのは? タイミングが逆になったから、兄が気づいたのは朝でなくて放課後になったのでは?」

「素晴らしい分析力だトミノちゃん! 分析部の在席部員が誰一人気づかなかった部分に目を向けるとは! ぜひとも分析部に入ってほしいな!」

「なんでさっきからうちの妹を十年に一人の逸材みたいな設定にして無理矢理入部させようとしてんだよ」

「妹を囲っておけば兄も部活に対して真面目になるかと思って」

「人質にする気なのか!?」

「しかしトミノちゃん。靴の有無を見れば相手が自分より先に登校しているかどうかはわかるんだよ。すでに相手が学校にいると知って、長時間下駄箱に放置されると知ってラブレターをそこに置いていくものかな……? 私なら、次の機会を待ちたいね」

「むむむ……」


 テルに触発されたか、妹が真剣に悩んでいる。

 議題が俺宛てのラブレターというのはどうにもむずがゆいが。


「手紙がカモトキくんの下駄箱の中に置かれたのは登校時刻から下校時刻までの間。その前提のもとでもう少し掘り下げてみよう。ふむ。そもそもこの文面はいつ書いたのか、という点も分析対象にしてみたい」

「いつ?」

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赤村崎葵子の分析はデタラメ 続の書影
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