としれじぇ ジャンル《都市伝説》 ③

 ならば、殺人鬼にられないようにムーを外に連れ出さなければならない。

 何とか彼と共に外に出る事さえできれば、後はいくらでも事情の説明ができる。そうすれば、ゆっくりと警察にでもなんでも連絡ができるではないか。

 ルルは静かに息を吸い込むと、自分自身に暗示をかける。

 ──冷静に、冷静に、いつも通りの声を出せ。裏返っても上ずっても駄目。いつも通りの、冷静な時の自分の声を。


「あのさ、ムー」

「なに?」


 ──笑え、笑え、笑え。恐怖におびえたら駄目。


「私さ、アイス食べたくなっちゃった」


 わがままなフリをして、コンビニまで一緒にアイスを買いに行かせる。それが一番楽に外に連れ出す方法だろう。彼女はそう考えたのだが────


「ああ、アイスなら冷蔵庫にあるよ」


 半分は予想されていたムーの答え。しかしルルはあきらめない。


「嫌、私ね、ハーゲンダッツのすごい高いアイスが食べたいの!」


 嫌な女と思われるだろうが、この際そんな事を言っている場合ではない。彼女はソッポを向きながら、ころがっていた体を起こして胡坐あぐらをかいた。

 そっとせんをベッドの下に向けるが、この高さからは殺人鬼の体を確認することはできない。ルルはその事に安心しながらも、ムーに対して外に出るように呼びかける。


「ね、いいでしょムー。お金は私が出すからさ、コンビニまで買いに行こうよ!」


 ──よし、いいぞ私! いつもどおりの声で話せてる! あとは、ムーを連れて外に──


「あるよー」

「え?」


 ムーはスックと立ち上がると、ダイニングの方にある冷蔵庫へと足を向ける。

 突然立ち上がったムーに、ルルはすじに嫌な汗をかいてベッドの下に意識を向けるが、幸いな事に何の反応も無いようだ。

 その間に、ムーは冷蔵庫の上段にある冷凍室から高級なアイスのカップを取り出してきた。


「はい」

「あ……、あ、ありがとう」


 ──なんであるのよ! こんな高級なアイスをじようしておくなんて、ブルジョワだとは思ってたけど……!

 じんいきどおりを感じながら、ルルはアイスとスプーンを受け取った。

 ヒンヤリとしたかんしよくてのひらに伝わってくるが、ルルのすじの冷たさには遠く及ばない。

 とてもアイスを食べられる気分ではないのだが、食べなければベッドの下の存在に怪しまれてしまうだろう。

 この時点で出てこないという事は、二人がしずまるまで出てくるつもりはないのだろう。だが、それはこちらが気付かずにいればの話だ。

 彼女はベッドの下のようなど欠片かけらも気付いていないというように振る舞い、アイスを口に運び込んだ。

 とろけるような甘さが口の中に広がる。しい事が逆にくやしい気分だった。こんな状況でなければ、本当にすこやかな気分になれただろうに──

 そこまで考えて、ルルはハッと息を吞んだ。

 ──いけない。ちんもくは、沈黙はだ。

 部屋の中にせいじやくが訪れれば、ムーも気付くかもしれない。部屋の中に、三人目のいきづかいが聞こえる事に。

 だが、それは同時におのおとこも『自分の存在が気付かれた』という事に気付く事になる。

 ムーも自分も、現在はアイスをもくもくと食べている状態だ。殺人も息を殺しているようだが、何かのはずみで殺人鬼が息を荒くしたら?

 そして、それを気にしたムーがベッドの下をのぞき込んでしまったら?

 それだけは避けなければならない。ルルは自分から話を切り出しながら、何とかして二人で外に出る方法を考え続けた。


「ねえ……夕飯さ、外に食べにいかない?」


 言ってから、ルルはしまったと思う。

 夕飯ではしばらく戻ってこない。そうとわかれば、殺人鬼は今のうちに殺してしまおうと考えるかもしれなかった。

 考えてみれば、『寝静まってから殺す』などというのはルルが頭の中で考えた勝手なルールであり、殺人鬼にそのげんしゆを期待する方がじんな話なのだ。

 思わずベッドの下にせんを向けてしまうが、やはり何かがうごめくような反応はない。


「んー、でも、この辺には店無いし、駅の方まで行くのはめんどうだよ」

「そ、そうだね」


 ルルは安心と失望が入り混じった声でつぶやきながら、次の手を考える。

 ──どうしよう、この家に無い物で、すぐに買いに行けるような……。

 考えを整理して、彼女は次の手段を思いつく。


「そうだ、私まだ今週の漫画雑誌いろいろ読んでなくてさ、コンビニまで買いにいかない?」

「今週はどの雑誌も休刊だよ」


 ──くぅっ!


「じゃあ……あのさ、お酒でも飲まない?」

「? どうしたの急に。俺らまだせいねんだよ?」

「そんな気分なの! ねぇ、いいでしょ?」

「うーん、しょうがないなあ」


 ──やった! これで近所の酒屋さんまで行けば────


「よいしょっと」

「え?」


 次の瞬間、ルルの目に映ったものは──

 押入れから外国のものと思われるさかびんを取り出した。

 何本かをテーブルの上に並べながら、ムーは心底うれしそうな表情で笑いかける。


「ウォッカとウィスキーとテキーラ、どれがいいかな?」

「何でお酒が!? 未成年だよとか言っておいてどうして!?」

「いや、親父おやじとかが遊びにくる時、色々持ってきて一人で飲んで、余った分を置いて帰っちゃうんだよねー」

「……」


 あまりの事にぜつしているルルの前で、ムーは酒瓶をながめながら独り言のようにつぶやいた。


「……いや、、お酒があって」

「……?」


 ルルには、今のムーの言い回しが少し気になった。『本当に良かった』とは、一体どういう事なのだろうか?

 だが、そんな事を気にしている場合ではない。

 今はとにかく、自然な態度で外に出る事だ。


「あ、あのさ、私もっと弱いお酒を飲みたいな」

「割れば大丈夫だよ。水も氷もあるし」

「そうじゃなくて! ほら、ワインとか!」


 ──ああもう! どうしてこうなるの!


「ね、酒屋さんにしそうなカクテルでも買いにいこうよ!」

「酒屋さん、もう閉まってるよ」

「まだ開いてるかもしれないでしょ! ほら、行くだけ行ってみようよ!」


 こうなったら多少ごういんになるが仕方がないと、ルルはムーの手を取って立ち上がらせようとする。

 怪しまれるかもしれないが、不自然ではないはずだ。現に、ベッドの下にまだ動きはない。

 ところが──

 ムーはルルの手を逆につかみ返し、外に行くのを引き止めるような形で強く引っ張った。


「え……?」


 全く予測していなかった行動に、ルルは思わずその場に座り直してしまう。


「もう……閉まってるから」


 そこで、ルルは気が付いた。

 口を開いた時は既にいつもの笑顔を取り戻していたが、手を強く引いた瞬間、確かに彼の目は笑っていなかった。

 それまで日常の中に溶け込んでいたムーが、一瞬だけ現在のルルの側──非日常の世界へと足を踏み入れたかのように。

 ──……何? 何なの……今の。

 それは、強いかんだった。

 目の前にいるのは本当にムーなのか?

 普段なら鼻で笑うような疑問だったが、今のルルは非日常の住人なのだ。

 目の前で笑う『友達以上』に対して、様々なおくそくが頭の中を駆け巡る。

 この『恋人まん』は、どうして今のように──急に私を引き止めたのか?

 一つの可能性に辿たどり着き、彼女はそれを確認するために口を開く。


「あのさ、ちょっと外の空気吸ってきていい?」


 そして、相手の言葉を待たずに立ち上がろうとする。

 すると──


「やめた方がいいよ」


 ムーはルルよりもわずかに早く立ち上がり、彼女の進行をさえぎるように、ダイニングへと続く入口に立ちふさがった。

 そして、言い訳がましく言葉を付け加える。


「えっと……ほら、外はが多いから」


 その言葉は、既にルルの耳には入っていなかった。

 ほんの僅かなねんが、今のムーの態度で確信へと変わったからだ。

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