としれじぇ ジャンル《都市伝説》 ⑤

「ねえ、お願い。いつものムーに戻ってよ」

「いつもの俺って言われても……俺は、いつも通りだって」


 その言葉には、やはりどこか不自然な含みがあった。


「それを証明したいなら──お願い、一緒に来て欲しいところがあるの」


 言うが早いか、ルルは足早に玄関へと向かって歩み始めた。

 だが、台所にいたムーがすばやく立ちふさがり、


「もうすぐ飯作れるから、明日にしようぜ、な?」


 顔には笑顔を浮かべているが、そのひたいにはじわりと汗がにじんでいるのがわかる。


「あのね、ムー」


 そのようを見て、ルルは無表情な顔で一つの事実を告げる。


「どうして、私を外に出さないの?」

「……」


 ギリギリの発言だった。もしもベッドの下にいるのが殺人だった場合は、この言葉はしんかんを与えるには十分な言葉だった。

 だが、ルルは言葉を止めようとしない。


「お願い、私と一緒に部屋の外に出て」

「お前こそ変だぞルル! どうしてそんな……さっきから部屋の外に出たがるんだよ!」


 を荒げるムーに対して、ルルは感情の無い笑顔を浮かべて言葉をつむぐ。冷静だと思っていた自分の心が、既に壊れかけているのだという事を自覚しながら────


「平行線だね、ムー」


 それでも、彼女は話し続けた。

 まるで、言葉だけで自分自身の存在を埋め尽くすかのように。


「ルル……」

「だけどね、ムー。私はね、外に出るよ。あなたと一緒に。私にはそれができるんだよ?」


 彼女は静かに足を踏み出すと、ムーの方に向かって一歩近づいた。


「あのね、ムー。私ね、ムーの部屋の事はなんでもわかってるんだよ。もう何回も来てるからね……」


 そう言いながら、彼女は洋間の入口にある棚の一つに手を伸ばす。

 そこには携帯用のマッチとライターがいくつか置かれており、ルルは静かにマッチを一つ手に取った。


「おい、ルル、何を──」


 言いかけて、ムーは部屋の中のへんに気が付いた。

 部屋の中が、ようさけくさいのだ。

 通常のアルコールののうではない、においだけで酔いが回りそうな濃い空気に満ちていた。

 見ると──ベッドの上と床の一部にれた跡がある。

 その手前のテーブルの上では、先刻したさかびんの一つ──ウォッカの瓶がからになっていた。


「ルル!」


 彼が叫ぶのと同時に──

 ルルは、火をつけたマッチをベッドの上へと投げ放った。


 そして──ベッドを包み込むように、青白いほのおが燃え上がった。



「ごめんね……ムー。もしもあなたが無実だったら、私が全部責任をとるから……」


 ルルの目は完全に狂気に満ちており、ムーは自分の言葉が相手に届くかどうか心配だった。


「ルル……」

「これなら……これなら、?」


 彼女の行いは、まさしくほんまつてんとうだった。これではベッドの下の男が殺人で、自分達の事を追いかけてきた場合大変な事になるのだが、彼女の目的は既に『殺人に気付かれないように二人で部屋を出る事』から『どんな手を使ってでも、自分を閉じ込めようとするムーの部屋から外に出る事』に入れ替わってしまっていた。

 言うが早いか、彼女は外へと逃げようとする。


「ムーも、早く逃げた方が──」


 玄関の扉を開けようとしたせつ──ルルは、背後から強く抱きしめられた。


「え……?」


 抱きしめたのは、ムーだった。

 彼女を力強くほうようして、まるで火から彼女を守るように──


! 消火器があるから、それで火を消そう!」


 まだほのおは酒をばいかいとして燃えているだけで、カーテンや壁には燃え移っていない。今から適切な消火を行えば、以前で消し止める事が可能であろう。


「どうして、どうしてなの!?」


 ルルの声に感情が戻り、ムーに対して疑問の叫びを投げつける。ムーも真剣な顔になって、片手で玄関にある消火器を取りながら、片手で必死にピンを抜こうとふんとうしている。


!」

「えっ……?」


 その言葉の意味がわからずに、ルルがムーの顔を見つめたその瞬間────



 ぐぉおぉあぁおおあぁおあゎあぁおあぁおあ



 かいな叫びが部屋の中にひびき──ベッドの下から、おのを持った男が達磨だるまで飛び出した。

 ウォッカびたしになったベッドと床の間に挟まれて、ひそめていた体に次々と火が燃え移ったのだ。


「ひぃっ!?」

「おわぁぁっ!? なんだなんだ!?」


 ルルとムーは同時に悲鳴を上げ──そして、ルルは驚いたような顔をしているムーを見た。

 ──殺人鬼は──やっぱり殺人鬼だった。じゃあ……ムーは、ムーはどうして私をこの部屋に……?

 彼女がそう考えている間に、斧を持った男がこちらに迫る。


「うわあああああ!」


 それと同時に、ムーの持っていた消火器が勢い良く泡をいた。


 ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁあああぁ


 勢い良くふんしゆつされた消火ざいが顔面をちよくげきし、おのおとこは片手で目をおおいながら斧を力強く振り下ろした。

 激しい音がひびき、斧はルルとムーの横を通りすぎて、玄関のドアを勢い良くたたき壊した。

 服のところどころに火をまとった男は、ルルとムーという『もの』をあきらめ、道路へと向かっていちもくさんに駆け去って行ってしまった。


 後に残されたのは──その場にへたり込んでちんもくするルルと、我に返って消火器で必死に火を消し止めるムーの二人だけだった。


「どうなってるの……」


 放心した顔で、ルルはムーにたずねかける。


「何が、どうなってたの……?」


 かろうじて火を消し止めたムーが、何かを言おうとして口を開いたそのせつ──


 ギャアァァアァァァァァアアァァァァァぁアアァァァァァアアアァああぁぁっぁぁぁあああぁぁぁぁっぁアァァアアアァァアぁぁぁぁぁぁあぁあぁぁぁぁぁぁ


 やみを切り裂く激しいぜつきようが、ルルとムーの部屋の周囲にこだまする。

 あまりにせいさんな絶叫に、二人はしばらく動く事ができずにいた。

 それから何分が経過したであろうか。ムーはルルの手をとって立ち上がらせると、玄関からそっと外のようのぞき込む。

 そして、彼らがそこで見た物は────


「なに……これ……」


 彼らの部屋の扉から十数メートル先、アパートの敷地への入口で、がいとうに照らされていたものは──

 アパートに入る時には無かった、大きな大きなみずまり。

 周囲には何も存在せず、ただ、セミとかえるの鳴き声だけがどこか遠くからひびき続けるのみだ。

 二人は周囲をけいかいしながら恐る恐るその水溜まりに近づいて────気が付いた。

 その水溜まりが、黒くにごったような赤い色をしている事に──


「ああ、ああ、本当だった、本当だったんだ」


 その事実を確認すると同時に、ムーは独り言のように言葉をつむぎだす。


「俺の見た物は本物だったんだ……。こ、こ、こんな事、君に言っても信じてもらえないって思ってたから言わなかったけど────言わなかったけど……ッ! 見た、俺、見たんだよ!」


 ムーのひざは激しく震えている。普段ルルに見せた事のないような表情で、彼は自分が見たものだけを静かに語り──

 それを聞いて、ルルは全てを理解した。


「見たんだ……俺! 見たんだよ!」


──────すごぎようそうで……ッ! 誰かを殺すような勢いで駆け回ってるのを……!」



Bサイド『おのおとこの喜劇』へ続く

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