「誰かれ構わずぶち殺したい気分すね、兄貴」
──ヘ?
少年は、本日二度目の挫折を味わう事となった。
☆
「ったく、てこずらせやがってあのガキャぁ」
「お疲れっした、兄貴!」
玄関から顔を出したのは、全く見覚えの無い二人の男だった。
一人は大柄な男で、分度器で計ったようにキッチリとした角刈りにサングラスをかけ、その上で黒いスーツに身を包んでいるという出で立ちだった。
その男に付き従うように入ってきたのは、トラックの前面を無理矢理擬人化したようなスキンヘッドの男で、顔を斜めに横切るような刀傷が走り、耳が半分かけている。その上で紫色のスーツを着ているので、似合うともアンバランスとも言えないセンスを醸し出している。
早い話が──その部屋に現れたのは、これでもかという程に典型的な、頰に傷を持つ類の人間達だった。
「前歯だけじゃねえ、奥歯も全部へし折ってやったぜ」
「あの年で総入れ歯は悲惨ですね」
「違えねぇ。いや、それ以前に顎が開かなくなっからよぉー、しばらくは流動食生活だな」
「ハハハ」
──ナニコレ。
ベッドの下の少年は、自分の置かれている立場が即座に理解できなかった。
混乱する彼の眼前で、二人の無頼漢がズカズカと部屋の中に入り込んでくる。
「本当なら多摩川に沈めてアザラシのえさにしとるところだが」
「まあまあ、後は若頭に任せておきましょうや」
「いちいち言われんでも解っとる。おい、テレビとエアコンをつけろ」
「うす」
スキンヘッドの足がそそくさと動き、テレビのスイッチが入る音がする。それと同時に、自分の隠れるベッドにズシリとした衝撃が走る。
角刈りの男が、自分の真上に腰をかけたのだ。
二人はテレビを見ながら、上着も脱がずに部屋の中に座り込んだ。
ベッドの下からではもう顔は見えないが、スキンヘッドは床に座り込んでいる為、胸の下あたりまでを見る事ができる。
角刈りの男の足は目の前にある。息を荒くすれば音を聞かれるまでもなく気付かれてしまうであろう距離だ。
──ナニコレ!? ナニコレ!?
斧少年は混乱から抜け出せない。
もしかしたら、ムーという男はサラ金から借金でもしていて、彼らはその取立人か何かだろうか?
だが、彼らの態度や鍵を持っていたという事実を考えると、それはどうやら間違いのようだ。
もっと単純な結論が推測できるのだが、斧少年はそれに気付かないフリをしていた。
──ありえない、ありえないよ。
──部屋を間違えたなんてありえない!
入る前に部屋を確認した筈だ。第一、ここがこのチンピラ達の部屋なら、あのアイドルのポスターはなんなんだ。
斧少年がそんな事を考えていると、彼の心と連動するかのように、スキンヘッドが格上の男に声をかける。
「それにしても兄貴、前から気になってたんすけど……このポスターは兄貴の趣味っすか?」
──ナイス質問だハゲ。お前を僕の心の代弁係に任命したい気分だ。
スキンヘッドが遠慮がちに尋ねると、角刈りは静かに答えを返す。
「趣味なわけねえだろ。手前俺を舐めてんのか」
「す、すいません! じゃ、じゃあ何で……」
慌てて頭を下げるスキンヘッドに対し、角刈りは暫く考えてから、ゆっくりと言葉を紡ぎだした。
「こいつぁな……俺の妹だ」
「妹!?」
──妹!?
スキンヘッドの声にあわせるように、斧少年もベッドの下で驚愕に目を見開く。
言われてみれば、壁に貼られているポスターは全て同じ女性の物だ。確か箕原キマリとかいう名前の新人アイドルの筈だ。
「あぁ……芸能界はあいつの昔からの夢でな……だが、俺はこの通りのヤクザもんだ。あいつに迷惑はかけられねえから、こっちから縁は切ってある」
「兄貴……」
「だがな、俺は心まであいつと縁を切ったつもりはねえ。だからせめて、ここにこうしてあいつのポスターを貼って自分の気を紛らわせようと思っただけだ」
──そんな。
角刈りの話を聞いて、斧少年は手を僅かに震わせる。
──そんな理由で、ポスターなんか貼るなよ! おかげで部屋を間違えたじゃないか!
逆ギレ丸出しの怒りを覚えると同時に、そこでようやく認める事ができた。
自分が、部屋を間違えてしまったのだということに。
──なんてことだ。あんな中途半端な理由でフられたと思ったら、今度はこんな中途半端な理由で部屋を間違えるハメになるなんて!
混乱のせいで、一度は消えかけていた怒り。それが今、斧少年の中で再び燃え上がり始める。
──クソ、こうなったらこいつらから先に殺してやる! こっちは斧を持ってるんだ! それに、このままここに隠れて、奴らが寝た瞬間とかを狙えば────
そんな事を考えていると、無法者達のつけたテレビが夕方のニュースを伝え始める。
【斧が凶器と見られる一連の殺人事件は──】
斧少年が先刻聞いたニュースの内容を、別のチャンネルが流している。語り口は違うが、どうやら内容に変わりは無いようだ。
「物騒な世の中っすね、兄貴」
「全くだ」
──お前らが言うな。
思いきりツッコミたかったが、ここで声を出してはこちらが不利だ。なんとか隙さえ摑めば、素手の人間の一人や二人────
斧少年が打算的に状況を分析していると、角刈りの男が低い声を上げる。
「若頭もこの事件には腹ぁ立ててたからな。俺らのシマで好き勝手やってくれてんだ。もしも俺達がとっ捕まえたら……」
ドスリ
嫌な音が響き、ベッドの脇──斧少年の目の丁度正面に、銀色の光が突き立った。
「……死んだ方がマシだと思わせてやらぁな」
「兄貴ー、部屋の中でポン刀振り回すのはやめてくださいよ」
弟分の言葉に、角刈りは一旦床に突き立てた日本刀の刃を引きぬき──
「俺の部屋だ。どこに刀を突き立てようが──」
ズスリ
刹那、日本刀の刃がベッドに差し込まれ、薄い板を貫いた刃がそのまま床に突き立った。
斧少年の鼻先僅か数センチの所に現れた刃が、恐怖に満ちた少年の目を映し出す。
「俺の勝手だろうが」
──ここはアパートの大家のものでおまえのものあじょあじゃじゃwせdrf……
心の中の突っ込みは、恐怖によって最後まで言葉にならなかった。
──死ぬ。
そこで初めて、彼は明確な『死』というものを意識した。
全てが御終いだなどと言いつつも、彼は結局一方的に殺すことしか考えていなかったのだが──ここに来て、明確な死が目の前に突き立つ事によって、彼の心に死への恐怖が唐突に湧きあがってきたのだ。
──ヤバイ。ヤバイよ。
──死にたくない。死にたくないよ。
心が徐々に強く震えだすが、体まで震わせるわけにはいかなかった。
自分の上には今、角刈りの男が日本刀を持って座っているのだ。妙な振動を立てたら、その時点で自分の人生どころではない、命そのものが終わってしまう事になる。
完全なる絶望。
それが少年を蝕み始めた時、彼は自分の行いを心底後悔した。
自分の命に比べれば、あんな小さな挫折などなんと些細な出来事だったのだろう。