としれじぇ ジャンル《都市伝説》 ⑧

 今まで『命の危機』に直面した事が無く、自分の命のを知らずに来た少年は、暗く狭い空間の中で、ひたすら自分のきようぐうのろい続けた。


 だが、少年はまだ知らなかった。

 本当の恐怖と絶望は、自分の足元にこそ存在するという事を────



「そういや兄貴」

「なんだ」

「こないだホラ、都内でげきクズレのれんたいもんちやく起こした時に、あにが回収したあれ……どこにやったんすか?」

「ああ、ハッパか?」


 ──ハッパ?

 やくか何かの事だろうか。たいの葉。ありえるな。

 おの少年は勝手に自分の中で結論づけようとするが、かくり達の会話がそれを許さなかった。

 横向きにかくれている少年の肩口に、ベッドのいたしにバンバンととんたたしようげきが伝わってくる。


「あれなら、このベッドの下に隠してあるぜ」


 ──ッ!!

 まずい事になってきた。

 斧少年は背中に汗を流しながら、手の中の斧を強く握りしめる。

 恐らく、先刻からジャマになっている足元の箱の事だろう。確認のためにスキンヘッドが下をのぞけば、その時点で自分の存在がバレてしまう。

 そうなれば──日本刀を相手に斧で勝てるのか? 恐らくだ。

 ──あ、足を──ばれた瞬間にこのベッドに腰掛けてるやつの足を切ろう。そのすきに逃げるか、それとも二人ともまつしてしまうかだ。

 問題があるとするならば、この狭いベッドの下から斧を振り回したとして、動けなくなるほどの傷を相手の足に刻み込む事ができるのだろうか?

 とうとつおそい掛かった危機に、斧少年は自分の足がガクガクと震えているのに気が付いた。

 ──怖い。怖い。怖い。だ駄目だ駄目だ。

 再び、斧少年に恐怖の波が押し寄せる。

 もしも今ベッドの下をのぞかれたならば、何も動く事ができないまま、なさけない悲鳴をあげるハメに陥ってしまうだろう。

 だが、スキンヘッドはベッドの下を覗こうともせずに、目を見開いて大声をあげる。


「なッ……だ、大丈夫なんすか!? こんな夏場にそんなとこに置いといて!」

「大丈夫だよ。だから日のあたらねえベッドの下に置いてるんじゃねえか」

「い、いや、でも、爆発するかもしれねえもんを、そんな自分の部屋に置いとかなくても……」

「組の方に置いとくわけにもいかねえだろが」


 ──……爆発?

 会話の中に出てきたぶつそうな単語を聞いて、斧少年は自分の考えが間違っていた事に気が付いた。すなわち、ハッパとは麻薬などのことではなく──

 ──ハッパ……はつ。つまり──

 その結論が導き出されると共に、彼は自分の足元にあるものから、ヤクザ以上の恐怖の衝撃を受け取った。

 ────ダイナマイト!?


 自分のおかれた状況に、危機が一つうわせされた。

 ばくだんの規模やりよくがどんなものかはわからないが、スキンヘッドの反応を見るに、かんしゃくだま程度ではない事は確かだ。

 少年はおのを握りしめたまま、自分を取り巻く世界が更にへんぼうしていくのを感じている。

 身を取り巻く全てのものが『死』にりんせつしている、冷たく重い感覚。

 自分が身をひそめるベッドの下の狭い空間が、そのままおのれかんおけとなってしまったかのようなさつかくに陥り始める。

 ──逃げなくちゃ。

 その恐怖から逃れるためには、別の恐怖を克服する必要がある。

 彼は斧を強く握り、目の前にいる二人の恐怖を排除し、この部屋から脱出する事に。

 それは、今まで味わったことの無いきんちようだった。恐怖への緊張ではない。何かをかくすることによる緊張感だ。

 ──やるぞ……やるぞ、できる、僕はできるんだ。

 せつを回避して、自分の力以下のステージで勝負することに慣れてきた少年にとって、これから行おうとしているのは明らかにの悪いけだった。

 ゲームで言うならば、常にイージーモードでプレイしてきた人間が、初プレイのゲームをいきなりハードモードで始めるようなものだ。

 そして、そのゲームには自分の命がかかっている。

 ──できる、僕はできる。こんな爆弾の下からはオサラバするんだ。

 少年が再び斧を強く握りしめた瞬間──

 ゲームのなんが、かくだんに跳ね上がる。


 チャイム音。


 単純に『ピンポン』という音で表現される、単純きわまりない電子音が鳴りひびき──


「どうも、しばざとさん」

「頼まれてた酒、持ってきましたよ」


 数人の男達──スキンヘッドとかくりほどこつではないが、やはりカタギの人間には見えない男達が、を言わさずにドヤドヤと入り込んできた。


「おお、入れ入れ」

「こっちの酒は、若頭カシラからの差し入れっす」

「いいのによ……カシラもきだな」


 そのまま男達は洋間の床に座り込み、ベッドの下から出口までの道をふさぐような形でさかりを始めてしまった。

 ──増えた。

 その単純な事実は、おの少年の初めてのかくを打ち砕くには十分すぎるりよくだった。

 そして──少年にとって、もっとも長い一日は続いていく。



 全員でタバコをふかし始めながら、ほうもの達はささやかなしゆえんを繰り広げる。

 部屋の中があっという間に煙で白くなり、ベッドの下にまでヤニのにおいが染み込んでいた。

 少年はき込みそうになるしようどうを必死に抑えながら、男達のようぜん神経を集中させる。


「で、そのガキどうしたんすか?」

「簡単なもんよ、ちょっとまぶたを切ってやっただけでワンワン泣き出してよ。そのままエンコふっ飛ばしてやろうとも思ったが……」

「あぁ、あいかわしようがこの前見たVシネで着てたみてえなスーツ、ネットで安く手に入って──」

「うちの組のシノギじゃ、クルコダイルとかはだしよ……知ってっか? 若頭カシラのつけてるベルトもほんがわじゃねえんだぜ」

「ンなこと聞かれたらぶっ殺されるぞ」

「駅前のノミ屋、トンズラしたって知ってるか」

「最近カスリの入りが悪くてよ」


 酒に酔い始めたのか、ほうもの達はだんだん会話がみ合わなくなってきている。

 話どころか男達のあやつる単語の意味さえわからず、少年は斧を握りながらただ小さく足を震わせているだけだった。

 ──なんで、なんでこんなことに。

 だが、逆に言えば、これはチャンスとも言えた。このまま男達が酔いつぶれてしまえば、自分はその後にゆうゆうとベッドから抜け出して、この危険な空間から逃げ出す事ができるのだ。

 そのためには、最後まで自分の存在が気付かれない事が絶対条件だ。

 ──息を殺せ、絶対に存在をられるな、僕。無だ、無になるんだ。

 不可能な望みを頭の中で反復しながら、少年は必死におのれの恐怖をこくふくしようとしていた。

 ──なんとしても、なんとしてもこの場を切り抜けなくては。

 絶大な恐怖の半分は、目の前にいるカタギではない者達。もう半分は、自分の足元にある死への片道きつ

 ベッドの下の一部をせんきよするダンボール箱の中には、男達が言うところのハッパ──ダイナマイトが詰め込まれているのだ。

 だが、時間がつに連れてばくだんに対する恐怖は薄まっていった。

 ──焦る事は無い、火が無きゃ爆発することはないんだ。

 先刻はとにかく一歩でも遠くへ逃げだしたかったが、考えてみれば火のない爆弾よりも目の前のヤクザ者達に危機を感じるべきなのだ。

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