としれじぇ ジャンル《都市伝説》 ⑨

 爆弾という非日常が突然飛び込んで来たために、彼は正しい判断力を失っていたのだ。

 ただ──彼は、自分から望んでこの非日常に飛び込んで来たのだが。

 ──落ち着け……僕はこのまま息をひそめているだけでいいんだ。

 ──それで全ては解決するんだ。

 ──僕は無傷のままで、この部屋から逃げられるんだ。


 自分にポジティブな事を言い聞かせ続ける彼は、くらやみの中から一つのかんに気が付いた。

 ──あれ。

 ベッドの下、自分の足元の方の暗がりに、何か小さな明かりが見える。

 ──明かり?

 そんな馬鹿なと思いつつ、少年は音を立てないように首を動かして、せんじよじよに自分の足元へと向けていく。

 そして、その小さな光点の正体に気付いた時──彼は、自分の運命を完全にのろう。

 そして、その呪いはそくに効果を表した。

 赤い光点が、小さな煙を上げながら──

 爆弾の入ったダンボールの横へ、コロコロと勢い良く転がり始めたのだ。


 

 小さな小さな、だねだった。

 冷房の風で転がってきた、長さ5センチにも満たないタバコのすいがら

 誰が吸っていたのか、少年には想像のしようもないし、意味の無い事であった。

 彼にとって重要なのは──

 その吸殻には、まだせんたんに赤くくすぶる火が残っていたという事だ。

 ──そんな。

 自らのどうが激しくなるのがわかる。このままでは心臓の方が先に爆発してしまいそうな勢いだ。

 ──なんで……ッ! こんな……!

 自分が何をしたのかと思いながら、彼は自分の全身から滝のような汗が流れている事に気が付いた。

 ──落ち着け! 落ち着け! たかがタバコのすいがらだ! そう簡単にダンボールが燃えるとは思えない! 何とか足を伸ばして、火傷やけどかくで吸殻をすりつぶせば────

 そんな事を考えながら、少年はくらやみの中で静かに足を動かし始め──気付く。

 ──ダンボールと床の間に!

 どうやらそのポイントは、エアコンの風の吹きまりとなっているようだ。だからこそタバコの吸殻もそこに転がりこもうとしているのだろう。

 赤いだねの行き着く先に見た物は──ダンボールと床の角に溜まる、ハウスダストの固まった灰色の綿の集合体だった。

 ────ッ!

 気付いた時には既に遅く、吸殻はその綿の一つにまで辿たどり着き──


 数秒の間をけること無く、その火種をほのおへと進化させた。


 煙が出たと思った瞬間には、既に赤い輝きは広がっていた。

 ──まままままま、まずい! まずいよ!

 煙がもっと大量に出れば、ほうもの達の誰かが爆発を食い止めるかもしれない。

 だが、それは同時に自分が発見される事を意味している。

 もしも気付かれなかった場合は、このままばくする事になる。

 無法者達が全員死ぬかどうかはわからないが、少なくとも自分は確実に死ぬハメになるだろう。

 彼が助かるには、誰にも気付かれる事無く、ダンボールに燃え移り始めた火を消しとめなければならない。

 時間は無い。

 既にダンボールの角が茶色く変色を始めている。あと数十秒のうちに何かの手を考えなければ、自分の命は確実に終わりを迎えてしまう。

 ──こんなところで──こんなところで死んでたまるか! 考えろ、考えろ! もう足で踏むだけじゃ……いや、強くたたけば消えるだろうが、そしたら音で気付かれてしまう!

 水をかけるしかない。

 それがそくに思いついた解答だったが、当然ながらそんなものは手元には無い。

 だが──彼は、気付いていた。

 どうにかする方法が一つある事を。

 しかし、それを実行するには一つのかくを決めなければならないし、リスクも大きい。あくまでその場をしのげるだけで、その後は新たな問題が起こる事も明らかだ。

 しかし、迷っているひまはもう無かった。

 ──僕は──僕は、生きるんだ!

 先刻ち砕かれた『かく』のほのおが、再び彼の中にともり始めた。

 ──死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない!

 恐怖に追い立てられて生み出された、いつわりの覚悟。だが、覚悟には違いがない。


 彼は生まれて初めて、自分が痛みを負う事を覚悟した。自分の見知らぬステージにちようせんする覚悟をし、自分が痛みを──リスクを負う覚悟を決めたのだ。

 覚悟をする事から逃げ続けた結果、たった一度のせつで彼は壊れた。

 だが、その結果として、少年は今までに自分ができなかった事を実行しようとしている。

 ──僕は、僕は、僕は────

 はたから見ればかつこうこの上ない理由かもしれないが、彼はその本能的な恐怖から逃れるためだけに────


 


 鈍いやいばが、彼の足に、背骨に、のうずいげきつうを走らせる。

 だが、ここで悲鳴を上げるわけにはいかない。

 彼は足に強く力を込め──自分の傷口から、大量の血をふんしゆつさせる。

 脈がどうするたびに、激痛が全身におそい掛かる。傷を負っているのは足なのに、体中に同じ傷を負っているようなさつかくに陥った。

 しかし、彼は悲鳴を上げなかった。

 全ては、恐怖から逃れる為に──

 ひとしきり痛みに耐えると、少年は血まみれになった足を、ゆっくりとダンボールの方に近づけ──

 血という名の大量の液体で、燃え上がりかけていた炎をついにきれいに消しさったのだ。


 ただし──

 彼は、一つの問題を忘れていた。


 ジュゥウゥゥウゥ


 たとえ血液であろうが──蒸発する時の音は、水と何の変わりも無いものだった。

 音質も──音量も。


 ──……あ。


「……なんだ? 今の音ぁよ」

「ベッドの下から聞こえたっすよ」


 ──しまいだ。

 チンピラ達の動きが止まり、全員の注目がベッドの方へとそそがれる。

 ──もう、御終いだ。

 チンピラ達は座ったままのせんだ。そのままでは少年の姿は見えないはずだ。だが、のぞかれるのはもう時間の問題だ。

 ──御終いなら、最初と同じじゃないか。

 少年の体に力がみなぎる。全てを失った人間がヤケになった時のような力が……彼が最初におのを購入し、この部屋に忍び込んだ時のような力がき上がってきた。

 ──でも、でもだ、僕は、死にたくない。

 ただ、最初と違っているのは──今の彼の目的は、生へのしゆうちやくにのみしぼられているという事だった。

 ──死なない。死にたくない。


「ん? ベッドの下がどうしたって……?」


 ──生きるためなら、なんだってやってやる!

 彼が斧を大きく振りかぶったのと、かくりの男がベッドの下を覗き込んだのは、ちよう同時だった。


 ザクリ


「あ」


「あ?」


 少年と角刈りの声が被る。

 ベッドの下から飛び出そうとした少年の斧が、角刈りの男の顔を切り裂いたのだ。


「ぐぁッ!」

「あ、あに!?」

しばざとさん!?」


 ──もう戻れない。

 大きくった角刈りの足をくぐるように、ベッドの下から少年が飛び出した。


「わあぁぁぁああぁぁぁぁぁあ───ッ!」


 ちゆうで、おのを振り回しながら玄関へと走る少年。

 部屋の中の男達は、突然飛び出したおのおとこに驚き、そのやいばを避けようとしてとっさに身をかがめる。

 その男達の上を跳び越すようにして、少年は一気に玄関まで走り、内側からドアを開いて外に飛び出した。


 外はもう真っ暗になっているものと思っていたが、まだ日の暮れ始めといったところだ。

 だが、助けを求める事は期待できない。血のしたたる斧を持った今の状況では、助けを呼ぶそばから逃げ出されてしまうだろう。

刊行シリーズ

世界の中心、針山さん(3)の書影
世界の中心、針山さん(2)の書影
世界の中心、針山さんの書影