緊急事態《メイデイ》 ②

 トランスポンダーというのは、要するに発信機だ。女性用のうで時計くらいの大きさしかないくせに、強力にめいさいされた指示電波ビーコンを出している。一見、この信号はどんなセンサーにとってもただのノイズだが、家にあるたんまつのデコーダーで解読すれば、半径30キロ以内のはんなら10メートル以下の誤差で電波の出所を特定することができる。

 というのが、リーブスの説明だった。

 仕組みを解説されたところで半分も理解できなかったが、つまりはこちらの居場所を知らせるためのきんきゆう用のそうなのだ、ということは理解している。

 そして、それさえ理解していればじゆうぶんだった。

 このトランスポンダーをいつも通り身につけたままでは、行ってはいけない場所に行ったことがバレてしまうかもしれないわけだ。

 そこで、「分身の術」の出番となる。コツは、指示電波ビーコンの反応が長時間移動しなくてもあやしまれないような場所にかくすこと。


「いい子にしているのよ」


 そう言い聞かせて、よこだおしになったジュースの自動販売機の取り出し口の中にトランスポンダーを隠した。

 ハルカはいきおいよく立ち上がる。ほうり出してあったバックパックをひろい上げて走る。電動バイクを起こし、サドルに飛び乗るよりも早くぞうにアクセルをけ、前輪が浮き上がりそうな勢いでバスケットコートから飛び出した。あのちっぽけな輪っかが手首に巻きついていないというだけで、身が軽くなったような解放感に満たされる。身体からだじゆうにエネルギーがあふれかえって、何か楽しいことにとつげきしなければおさまりのつかないような感じ。

 大通りをまっすぐなんする。目指すはベイエリア。

 絶対に近づいてはいけないと、いつもいつも言われているあの地下道。

 今日きようこそ、あの中を探検するのだ。

 バレたらきっとしかられる。外出禁止を言い渡されて、家にいる間はずっとオヤツきにのこり勉強にバツ当番かもしれない。

 しかし、ハルカの決意はるがない。どうもうな笑顔にはヒビひとつだって入らない。準備にも作戦にもかりはない。どう考えたってバレっこない。今日は家にはトリガー君しかいない。ほかのみんながカンヅメこうざんからもどってくるのは夕方ごろになるはず。それまでに家に帰っちゃえばかんぺき。

 無人のはいきよの、あなぼこだらけの大通り。逃げ水を追って全速力。

 もうすぐ夏で、おまけに午後で、しかもめちゃくちゃにいい天気。


 たようなことは前にもやった。実のところ、「やるな」と言われたことはすでにひと通りためしていた。まだ動きそうな車に燃料を入れてみたり、倒れたビルの壁面をローラーブレードですべりたり。バレたときには叱られたし、ケガのひとつやふたつはしたこともある。それでも、やめておけばよかったとこうかいしたことはまだ一度もない。

 無理もない話。

 無人の廃虚で自給自足の生活をしていれば、常に何かとやることがある。スパイクもアンジェラもクレリックもリーブスもトリガーも、いつもハルカの相手をしていられるわけではない。この一年というもの、ハルカひとりで過ごさなければならない時間は山のようにあったし、推定ねんれい十三さいの女の子は、二十四時間三百六十五日ずっとよい子ではいられない。

 一応のフォローをすれば、それでも、ハルカはずっとマシな方である。としのわりにはふんべつもあり、聞き分けもいい。だんは言いつけをきちんと守っているし、ひとりで外を出歩くときも危険な場所は自分からける。しかし、ときにはちやをしたくもなるし、秘密の隠れが欲しくなったりもするし、みんなを困らせてやろうと思ったりすることもある。何かきっかけがあったりすればなおさらだ。

 今日きようもそうだった。

 今日のきっかけは、スパイクとアンジェラとクレリックとリーブスの四人が、ハルカとそう当番のトリガーをばんに残して、カンヅメ鉱山に宝探しに出かけてしまったことだった。

 べつに遊びに出かけたわけではない。早い話が、食料の調達である。

 この街の北には、かつて軍が管理していたとおぼしき地下施設がある。そのおく深く、くずれかけた地下道やへいされたかくへきの向こうには、いくつもの階層に分かれた大規模な地下シェルター群があって、そこにはクリプトビオシス処理された永久しよう期限の保存食料コンテナが大量にねむっている。つまり、「カンヅメ鉱山」というのは地下シェルター群の食料保管庫のことで、「宝探し」というのは、その中にもぐり込んで食料をり出してくることだ。

 ハルカは、以前からこの「カンヅメ鉱山で宝探し」というやつをやってみたかった。

 のだが。

 あの手この手でどんなにたのんでみても、今度もやっぱり連れていってはもらえなかった。

 理由はわかりきっている。ハルカだって、くつでは理解しているのだ。はいきよの街に残された地下施設の危険性については、何度説明されたかわからない。

 まず、くらであるというだけでじゆうぶんあぶない。

 構造がもろくなっていて、ちょっとしたことがらくばんにつながるかもしれない。

 三十年以上も空調されていなかったために、空気より重いガスがじゆうまんしているかもしれない。

 そんな場所から食料コンテナを運び出すという大仕事は、ロボットだからこそできることなのだ。十三さいの自分がくっついていって、いつたい何ができるというのか。

 カンヅメ鉱山に限った話ではないし、地下せつ全般に限った話でもない。ほうらくの可能性がある建物。かんぼつするかもしれない道路。ひとりで出歩くときも、そういう場所には絶対に近づいてはいけないと言われていた。

 わかってはいるのだ。

 わかってはいるのだが、理屈でこうしんが満たされるものなら苦労はないのだった。

 それでも、やっぱり行ってみたいのだった。

 ──つまんないの。

 れんたっぷり文句たらたらでトリガーの掃除を手伝い、せんたくまで済ませると、昼前にはもう何もすることがなくなった。何もすることがなくなると、今ごろ宝探しのさいちゆうの四人のことがますますうらやましくなった。家の屋上に上がり、衛星通信用のレーザードラムが落とすまくらの形の日陰の中にころがって、青空にはためく洗濯物をぼんやりとながめた。

 とつぜん思いついた。

 カンヅメ鉱山でなくても宝探しはできる。

 連れていってもらえないのなら、自分ひとりで行けばいい。

 どの場所が安全でどの場所が安全でないかについては、ハルカにはハルカの見解がある。宝探しに出かけた四人がもどるのは、どんなに早くても夕方ごろになるはずだ。必要な物はすぐに用意できる。トランスポンダーはいつものやり方でまつをつければいい。ルートと目的地は一秒で決まった。

 ──いいですか、絶っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ対にダメですからね。

 スパイクは、いつもそう言うのだ。

 ──でもでも、ちょっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっとならいいよね。

 ハルカは今、そう思うのだ。

 飛び起きて、わくわくする気持ちをおさえきれないような足取りでハルカは屋上をあとにした。

 再度フォローしておこう。無理もない話である、と。

 ロボットと違って、人間は「行くな」と言われると行きたくなるのである。


 風の中に潮のはいが混じり始めた。背の高いビルがまばらになり、大通りは海へと続くくだり坂になった。

 ベイエリアに入った。

刊行シリーズ

鉄コミュニケイション(2)チェスゲームの書影
鉄コミュニケイション(1)ハルカとイーヴァの書影