トランスポンダーというのは、要するに発信機だ。女性用の腕時計くらいの大きさしかないくせに、強力に迷彩された指示電波を出している。一見、この信号はどんなセンサーにとってもただのノイズだが、家にある端末のデコーダーで解読すれば、半径30キロ以内の範囲なら10メートル以下の誤差で電波の出所を特定することができる。
というのが、リーブスの説明だった。
仕組みを解説されたところで半分も理解できなかったが、つまりはこちらの居場所を知らせるための緊急用の装備なのだ、ということは理解している。
そして、それさえ理解していれば充分だった。
このトランスポンダーをいつも通り身につけたままでは、行ってはいけない場所に行ったことがバレてしまうかもしれないわけだ。
そこで、「分身の術」の出番となる。コツは、指示電波の反応が長時間移動しなくても怪しまれないような場所に隠すこと。
「いい子にしているのよ」
そう言い聞かせて、横倒しになったジュースの自動販売機の取り出し口の中にトランスポンダーを隠した。
ハルカは勢いよく立ち上がる。放り出してあったバックパックを拾い上げて走る。電動バイクを起こし、サドルに飛び乗るよりも早く無造作にアクセルを開け、前輪が浮き上がりそうな勢いでバスケットコートから飛び出した。あのちっぽけな輪っかが手首に巻きついていないというだけで、身が軽くなったような解放感に満たされる。身体中にエネルギーがあふれかえって、何か楽しいことに突撃しなければおさまりのつかないような感じ。
大通りをまっすぐ南下する。目指すはベイエリア。
絶対に近づいてはいけないと、いつもいつも言われているあの地下道。
今日こそ、あの中を探検するのだ。
バレたらきっと叱られる。外出禁止を言い渡されて、家にいる間はずっとオヤツ抜きに居残り勉強にバツ当番かもしれない。
しかし、ハルカの決意は揺るがない。獰猛な笑顔にはヒビひとつだって入らない。準備にも作戦にも抜かりはない。どう考えたってバレっこない。今日は家にはトリガー君しかいない。他のみんながカンヅメ鉱山から戻ってくるのは夕方ごろになるはず。それまでに家に帰っちゃえばかんぺき。
無人の廃虚の、穴ぼこだらけの大通り。逃げ水を追って全速力。
もうすぐ夏で、おまけに午後で、しかもめちゃくちゃにいい天気。
似たようなことは前にもやった。実のところ、「やるな」と言われたことはすでにひと通り試していた。まだ動きそうな車に燃料を入れてみたり、倒れたビルの壁面をローラーブレードで滑り降りたり。バレたときには叱られたし、ケガのひとつやふたつはしたこともある。それでも、やめておけばよかったと後悔したことはまだ一度もない。
無理もない話。
無人の廃虚で自給自足の生活をしていれば、常に何かとやることがある。スパイクもアンジェラもクレリックもリーブスもトリガーも、いつもハルカの相手をしていられるわけではない。この一年というもの、ハルカひとりで過ごさなければならない時間は山のようにあったし、推定年齢十三歳の女の子は、二十四時間三百六十五日ずっとよい子ではいられない。
一応のフォローをすれば、それでも、ハルカはずっとマシな方である。歳のわりには分別もあり、聞き分けもいい。普段は言いつけをきちんと守っているし、ひとりで外を出歩くときも危険な場所は自分から避ける。しかし、ときには無茶をしたくもなるし、秘密の隠れ家が欲しくなったりもするし、みんなを困らせてやろうと思ったりすることもある。何かきっかけがあったりすればなおさらだ。
今日もそうだった。
今日のきっかけは、スパイクとアンジェラとクレリックとリーブスの四人が、ハルカと掃除当番のトリガーを留守番に残して、カンヅメ鉱山に宝探しに出かけてしまったことだった。
べつに遊びに出かけたわけではない。早い話が、食料の調達である。
この街の北には、かつて軍が管理していたとおぼしき地下施設がある。その奥深く、崩れかけた地下道や閉鎖された隔壁の向こうには、いくつもの階層に分かれた大規模な地下シェルター群があって、そこにはクリプトビオシス処理された永久賞味期限の保存食料コンテナが大量に眠っている。つまり、「カンヅメ鉱山」というのは地下シェルター群の食料保管庫のことで、「宝探し」というのは、その中にもぐり込んで食料を掘り出してくることだ。
ハルカは、以前からこの「カンヅメ鉱山で宝探し」というやつをやってみたかった。
のだが。
あの手この手でどんなに頼んでみても、今度もやっぱり連れていってはもらえなかった。
理由はわかりきっている。ハルカだって、理屈では理解しているのだ。廃虚の街に残された地下施設の危険性については、何度説明されたかわからない。
まず、真っ暗であるというだけで充分に危ない。
構造がもろくなっていて、ちょっとしたことが落盤につながるかもしれない。
三十年以上も空調されていなかったために、空気より重いガスが充満しているかもしれない。
そんな場所から食料コンテナを運び出すという大仕事は、ロボットだからこそできることなのだ。十三歳の自分がくっついていって、一体何ができるというのか。
カンヅメ鉱山に限った話ではないし、地下施設全般に限った話でもない。崩落の可能性がある建物。陥没するかもしれない道路。ひとりで出歩くときも、そういう場所には絶対に近づいてはいけないと言われていた。
わかってはいるのだ。
わかってはいるのだが、理屈で好奇心が満たされるものなら苦労はないのだった。
それでも、やっぱり行ってみたいのだった。
──つまんないの。
未練たっぷり文句たらたらでトリガーの掃除を手伝い、洗濯まで済ませると、昼前にはもう何もすることがなくなった。何もすることがなくなると、今ごろ宝探しの真っ最中の四人のことがますますうらやましくなった。家の屋上に上がり、衛星通信用のレーザードラムが落とす枕の形の日陰の中に寝転がって、青空にはためく洗濯物をぼんやりと眺めた。
突然思いついた。
カンヅメ鉱山でなくても宝探しはできる。
連れていってもらえないのなら、自分ひとりで行けばいい。
どの場所が安全でどの場所が安全でないかについては、ハルカにはハルカの見解がある。宝探しに出かけた四人が戻るのは、どんなに早くても夕方ごろになるはずだ。必要な物はすぐに用意できる。トランスポンダーはいつものやり方で始末をつければいい。ルートと目的地は一秒で決まった。
──いいですか、絶っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ対にダメですからね。
スパイクは、いつもそう言うのだ。
──でもでも、ちょっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっとならいいよね。
ハルカは今、そう思うのだ。
飛び起きて、わくわくする気持ちを抑えきれないような足取りでハルカは屋上を後にした。
再度フォローしておこう。無理もない話である、と。
ロボットと違って、人間は「行くな」と言われると行きたくなるのである。
風の中に潮の気配が混じり始めた。背の高いビルがまばらになり、大通りは海へと続く下り坂になった。
ベイエリアに入った。