緊急事態《メイデイ》 ③

 バイクの前輪を持ち上げて歩道に乗り上げ、大聖堂前の広場をっ切って、ひとつ東の通りへとワープする。はいきよの街のとくちようは、特徴があり過ぎて特徴をつかみづらいこと。ある意味、ジャングルの中を歩いているようなもので、頭を切りえておかないと大人おとなでも簡単にまいになる。

 しかしその点、ハルカは慣れたものだ。もうスピードで坂道を下り、交差点の数を数え、四つ目で目指す目印を見つけた。

 交差点のなかに置き去りにされた戦車のざんがい

 ハルカは自信たっぷりに右に折れる。三十年前、ばくふうの通り道になったらしいその道路は、吹き飛ばされた車がかたに積み重なり、両側の建物がそろって同じ方向にゆがんでいた。れきの散らばった路面はそれまで以上にでこぼこのほうだいで、ハルカはすぐにバイクをりた。モーターを止め、バイクをそっと倒してその場に残し、早足にぐんぐん歩いていく。

 目的地は、2ブロックほど行った先にあった。

 右側の歩道。ひっくり返ったケーブルカーのすぐそばに、屋根をもぎ取られた地下道の入り口がぽっかりと口をけていた。

 け寄って、らんぐいのように歪んだ下りの階段をちようせんてきな目つきでろした。階段の先にあるシャッターは大きなコンクリートのかたまりんでいて、どうにかもぐり込めそうなすきを残している。シャッターにはさらに、赤いバツ印がスプレーで大書きされていた。心配しようのスパイクが、街の危険なしよをひとつひとつ回って書き残していった、「立ち入り禁止」を示す標識である。

 ハルカは、ここには何度も来ている。

 ここに来るたびに、「ちょっとだけ中をのぞいてみようかな」と思い、階段をり、バツ印の書かれたシャッターを前にしてさんざん迷った、結局は勇気がくじけてすごすごと引き返す──そんなことをり返していた。

 しかし、今日きようのハルカはひと味違う。

 服装だって気合入りまくりである。“ALIEN DEFENSE FORCE”の黒いTシャツと、ペンキりのときに使ったカーキ色のパンツと、じよう一点張りのトレッキングシューズ。こしまであるかみうしろでまとめて、こんのキャップをぐいとかぶっている。背中のバックパックはきんきゆうに備えていつもまくらもとに置いてあるやつで、秘密兵器がいっぱい入っているのだ。

 バックパックを下ろし、いきおいよくファスナーをけた。

 キャップをいでベルトにはさみ、使い方もよくわからないあんゴーグルを首にげ、工事現場用のぶかぶかのヘルメットをかぶった。歩兵用のサスペンダーにうでを通し、さまざまそうを次々と取り付けていく。ナイフ、通信機、こうりようのスプレー、ディスポーサブルトーチを1ダース。通信機のストローマイクをのどりつけて電源をON。「味方の基地」の周波数に合わせ、セレクターを「受信のみ」にセット。こちらからの不用意な通信は、「わるもの」に聞かれてしまうおそれがあるからだ。最後に、二本のチビたエンピツを十字の形に輪ゴムでとめて、調味料のガーリックパウダーのビンと一緒に、いつでも取り出せるようにポケットに収めた。ドラキュラに出くわしたときには、この二つが絶対に必要になるはずだ。



 バックパックをい、マグライトを片手に、ハルカはかんぜんと立ち上がった。

 ゆっくりと階段をり、シャッターに大書きされたバツ印の前に立った。すべての準備は完了した。あとはかくを決めるだけ。ハルカは目をじる。ひとりで遊ぶとき、ハルカはいつもほうを使う。

 今、自分は、「悪のどうくつ」の前にいる。

 何がどう「悪」なのかよくわからないが、とにかくそうなのである。ものすごいざいほうかくされた悪の洞窟なのである。この洞窟から生きて帰ってきた者はひとりもいないのである。生きて帰ってきた者がひとりもいないのに、「悪である」とか「財宝が隠されている」とか、そんなことがなぜわかるのだという気はするけれどだまれだまれ、だれが何と言おうがとにかくそうなのだ。コウモリがバサバサ毒ヘビがウヨウヨがけがガラガラようがんがブクブクわながゴロゴロばんじんがウホウホなのだ。

 もちろんドラキュラもいる。

 そして自分の任務は、たったひとりでこの中にしのび込み、知恵と勇気で財宝をかっさらってくること。

 深呼吸をひとつ。

 ──よし。

 目をけた。身をかがめ、シャッターのすきをのぞいた。

 50センチ先はもう、すみを流したようなやみがあるだけ。

 ディスポーサブルトーチをひとつ、ホルダーから引っぱって外した。サスペンダーに固定されているセフティリングが外れてトーチが点火され、透明なカバーの中の燃料が音を立てて燃え始める。シャッターの隙間にトーチを投げ込む。バックパックを押し込み、身体からだを横たえて地下道の中へところがり込んだ。

 素早く立ち上がる。マグライトをり回して油断なく周囲に視線を走らせる。

 砂っぽいゆかの上でトーチが燃えて、薄黄色が闇をたよりなく押しのけている。タイルのはがれた壁とベコベコにへこんでいるコインロッカー、頭上には今にも落ちてきそうな街路標識。そこは、地下の要所要所をつなぐ連絡通路のようなところらしかった。

 右は防火かくへきで行き止まり。左は光がとどく限りにまっすぐに続いている。

 だいじよう。コウモリも毒へビもいない。ばんじんやドラキュラの姿もない。

 今のところは。

 バックパックをひろい上げてった。シャッターの裏側にこうりようのスプレーで、ミもフタもなく「出口」と書いた。マグライトをけ、左へと向かってゆっくりと歩き出す。トーチの光が背後に遠ざかるにつれて、少しずつ心細くなってくる。とつぜん、めまいのようなものを感じて足がもつれ、何もない所でころびそうになった。壁に手をついて、周囲のあちこちをライトで照らしているうちに原因がわかった。水平だと思っていたゆかが、かすかにかたむいたりねじれたりしているせいだ。

 最初の十字路に出た。

 わるものに見つからないようにかどに身をかくす。てんじようの街路標識を確認しようと思ってライトを向けたが、矢印が四方を指しているということがわかるだけ。三十年かけて色せた文字は、そう簡単には読み取ることはできない。

 今なら引き返せる。一本道を、ただまっすぐにもどるだけで。

 分かれ道を前にして決断をせまられたためか、不意にそんなことを考えてしまった。心細さにほうの効力がぐらつき始めている。

 ──こわくなんかないもん。

 気合を入れ直す。せっかくの分かれ道なんだから曲がらなければソンであるような気がして、ハルカはたいした理由もなく右に曲がることに決めた。ポケットから方位しやくとメモ帳を取り出し、十字エンピツで書きにくそうに地図を書く。角にこうりようの矢印を残して右へ。

 次の十字路に出た。

 少し考えて、今度は左に曲がることに決める。十字架エンピツで地図を書き、夜光塗料の矢印をスプレーし、左へ。

 その次の十字路に出た。今度はまっすぐ。地図。矢印。

 さらにその次。右。地図。矢印。

 くらやみの中でひとつ角を曲がるごとに歩調が速まっていく。力を取り戻した魔法に心細さがけていき、無敵の笑顔が戻ってきた。ざいほうめがけておくへ奥へとき進む。

刊行シリーズ

鉄コミュニケイション(2)チェスゲームの書影
鉄コミュニケイション(1)ハルカとイーヴァの書影