バイクの前輪を持ち上げて歩道に乗り上げ、大聖堂前の広場を突っ切って、ひとつ東の通りへとワープする。廃虚の街の特徴は、特徴があり過ぎて特徴をつかみづらいこと。ある意味、ジャングルの中を歩いているようなもので、頭を切り替えておかないと大人でも簡単に迷子になる。
しかしその点、ハルカは慣れたものだ。猛スピードで坂道を下り、交差点の数を数え、四つ目で目指す目印を見つけた。
交差点の真ん中に置き去りにされた戦車の残骸。
ハルカは自信たっぷりに右に折れる。三十年前、爆風の通り道になったらしいその道路は、吹き飛ばされた車が路肩に積み重なり、両側の建物がそろって同じ方向に歪んでいた。瓦礫の散らばった路面はそれまで以上にでこぼこの荒れ放題で、ハルカはすぐにバイクを降りた。モーターを止め、バイクをそっと倒してその場に残し、早足にぐんぐん歩いていく。
目的地は、2ブロックほど行った先にあった。
右側の歩道。ひっくり返ったケーブルカーのすぐそばに、屋根をもぎ取られた地下道の入り口がぽっかりと口を開けていた。
駆け寄って、乱杭歯のように歪んだ下りの階段を挑戦的な目つきで見下ろした。階段の先にあるシャッターは大きなコンクリートの塊を嚙んでいて、どうにかもぐり込めそうな隙間を残している。シャッターにはさらに、赤いバツ印がスプレーで大書きされていた。心配症のスパイクが、街の危険な箇所をひとつひとつ回って書き残していった、「立ち入り禁止」を示す標識である。
ハルカは、ここには何度も来ている。
ここに来るたびに、「ちょっとだけ中をのぞいてみようかな」と思い、階段を降り、バツ印の書かれたシャッターを前にしてさんざん迷った挙げ句、結局は勇気がくじけてすごすごと引き返す──そんなことを繰り返していた。
しかし、今日のハルカはひと味違う。
服装だって気合入りまくりである。“ALIEN DEFENSE FORCE”の黒いTシャツと、ペンキ塗りのときに使ったカーキ色のパンツと、丈夫一点張りのトレッキングシューズ。腰まである髪を後ろでまとめて、紺のキャップをぐいとかぶっている。背中のバックパックは緊急時に備えていつも枕元に置いてあるやつで、秘密兵器がいっぱい入っているのだ。
バックパックを下ろし、勢いよくファスナーを開けた。
キャップを脱いでベルトにはさみ、使い方もよくわからない暗視ゴーグルを首に下げ、工事現場用のぶかぶかのヘルメットをかぶった。歩兵用のサスペンダーに腕を通し、様々な装備を次々と取り付けていく。ナイフ、通信機、夜光塗料のスプレー、ディスポーサブルトーチを1ダース。通信機のストローマイクを喉に貼りつけて電源をON。「味方の基地」の周波数に合わせ、セレクターを「受信のみ」にセット。こちらからの不用意な通信は、「悪者」に聞かれてしまう恐れがあるからだ。最後に、二本のチビたエンピツを十字架の形に輪ゴムでとめて、調味料のガーリックパウダーのビンと一緒に、いつでも取り出せるようにポケットに収めた。ドラキュラに出くわしたときには、この二つが絶対に必要になるはずだ。
バックパックを背負い、マグライトを片手に、ハルカは敢然と立ち上がった。
ゆっくりと階段を降り、シャッターに大書きされたバツ印の前に立った。すべての準備は完了した。あとは覚悟を決めるだけ。ハルカは目を閉じる。ひとりで遊ぶとき、ハルカはいつも魔法を使う。
今、自分は、「悪の洞窟」の前にいる。
何がどう「悪」なのかよくわからないが、とにかくそうなのである。ものすごい財宝が隠された悪の洞窟なのである。この洞窟から生きて帰ってきた者はひとりもいないのである。生きて帰ってきた者がひとりもいないのに、「悪である」とか「財宝が隠されている」とか、そんなことがなぜわかるのだという気はするけれどだまれだまれ、誰が何と言おうがとにかくそうなのだ。コウモリがバサバサ毒ヘビがウヨウヨ崖がガラガラ溶岩がブクブク罠がゴロゴロ野蛮人がウホウホなのだ。
もちろんドラキュラもいる。
そして自分の任務は、たったひとりでこの中に忍び込み、知恵と勇気で財宝をかっさらってくること。
深呼吸をひとつ。
──よし。
目を開けた。身をかがめ、シャッターの隙間をのぞいた。
50センチ先はもう、墨を流したような闇があるだけ。
ディスポーサブルトーチをひとつ、ホルダーから引っぱって外した。サスペンダーに固定されているセフティリングが外れてトーチが点火され、透明なカバーの中の燃料が音を立てて燃え始める。シャッターの隙間にトーチを投げ込む。バックパックを押し込み、身体を横たえて地下道の中へと転がり込んだ。
素早く立ち上がる。マグライトを振り回して油断なく周囲に視線を走らせる。
砂っぽい床の上でトーチが燃えて、薄黄色が闇を頼りなく押しのけている。タイルのはがれた壁とベコベコにへこんでいるコインロッカー、頭上には今にも落ちてきそうな街路標識。そこは、地下の要所要所をつなぐ連絡通路のようなところらしかった。
右は防火隔壁で行き止まり。左は光が届く限りにまっすぐに続いている。
大丈夫。コウモリも毒へビもいない。野蛮人やドラキュラの姿もない。
今のところは。
バックパックを拾い上げて背負った。シャッターの裏側に夜光塗料のスプレーで、ミもフタもなく「出口」と書いた。マグライトを点け、左へと向かってゆっくりと歩き出す。トーチの光が背後に遠ざかるにつれて、少しずつ心細くなってくる。突然、めまいのようなものを感じて足がもつれ、何もない所で転びそうになった。壁に手をついて、周囲のあちこちをライトで照らしているうちに原因がわかった。水平だと思っていた床が、微かに傾いたりねじれたりしているせいだ。
最初の十字路に出た。
悪者に見つからないように角に身を隠す。天井の街路標識を確認しようと思ってライトを向けたが、矢印が四方を指しているということがわかるだけ。三十年かけて色褪せた文字は、そう簡単には読み取ることはできない。
今なら引き返せる。一本道を、ただまっすぐに戻るだけで。
分かれ道を前にして決断を迫られたためか、不意にそんなことを考えてしまった。心細さに魔法の効力がぐらつき始めている。
──恐くなんかないもん。
気合を入れ直す。せっかくの分かれ道なんだから曲がらなければソンであるような気がして、ハルカは大した理由もなく右に曲がることに決めた。ポケットから方位磁石とメモ帳を取り出し、十字架エンピツで書きにくそうに地図を書く。角に夜光塗料の矢印を残して右へ。
次の十字路に出た。
少し考えて、今度は左に曲がることに決める。十字架エンピツで地図を書き、夜光塗料の矢印をスプレーし、左へ。
その次の十字路に出た。今度はまっすぐ。地図。矢印。
さらにその次。右。地図。矢印。
暗闇の中でひとつ角を曲がるごとに歩調が速まっていく。力を取り戻した魔法に心細さが溶けていき、無敵の笑顔が戻ってきた。財宝めがけて奥へ奥へと突き進む。