最初の二つはともかく、最後のひとつは誰の目にも明らかな事実である。トリガーの白くて丸まっちいボディはいつも、音もなく宙に浮いている。タネも仕掛けも無論ある。「リフレクションドライブ」というやつで、三十年前までは特に珍しいものではなかった。プロセッサーの廃熱をエネルギーとして利用し、特定の質量中に方向性をもった分子運動のフィールドを作って、いかなる重力場の中にあっても見かけ上の重量をゼロ、あるいはマイナスにするシステムだ。クレリックも同じ機構を持っているし、宙に浮けばエラいというものでもないし、量子力学の無駄遣いと言われてしまえばそれまでであったが、少なくともトリガー本人は、宙に浮くことができる自分を気に入っている。
そのトリガーは今、家の屋上で洗濯物を取り込んでいる。
白くて丸まっちいボディが夕日をバックにぷかっと宙に浮かび、スペシャルメイドのスリングにゴツいスナイパーライフルをぶら下げて、頭の上にのっけたカゴに洗濯物をぽんぽん投げ込んでいる。トリガーはふと、その手を止めた。
そう言えば、ハルカはどこへ行ったのだろう。
昼過ぎ頃に、弾丸のように飛び出していったきり戻ってきていない。
早く帰ってきてほしいとトリガーは思った。別に、ハルカのことが心配なわけではない。どうせ、そこいらで時間も忘れて遊んでいるのだろう。ただ、カンヅメ鉱山に出かけた四人がハルカよりも先に戻ってきてしまったら面倒なことになる。心配症のスパイクが、またごちゃごちゃぬかすに決まっているのだ。
洗濯物が山盛りのカゴをすとんと床に下ろし、夕日に染まった廃虚の街をなんとなく眺めた。
もうすぐ日が暮れる。
ちょっといやなことを思い出す。
以前、軍用の対人ロボットの一団が夜襲を仕掛けてきたことがある。三十年前の戦争で大量投入された対人機械歩兵の残党であり、戦時中のミッションプログラムに従うことしかできない亡霊のような手合いだ。ただの偶然か、それともなけなしの知恵をしぼった成果か、奴らはこっちの警戒網の盲点を突いて、隣のビルからこの屋上へと飛び移り、「上」から侵入してきた。
あのときは、ちょっとヤバかった。
あの事件以来、屋上からの見晴らしは抜群によくなった。あのすぐ後に、侵入の足がかりになりそうな周囲の建物を全部爆破して潰してしまったからだ。天気のいい日には、彼方のビルの隙間に海が見えることもある。
そして、見晴らしがいいはずのその屋上からも、ハルカの姿を見つけることはできなかった。
トリガーはその場で浮揚高度を2メートルばかり上げ、くるりと縦に一回転した。ぶら下げていたスナイパーライフルを放り上げるように振り回し、器用にグリップをつかむ。しがみつくような格好でライフルを構え、スコープを望遠鏡代わりにして廃虚の街を見回してみた。
──ったく、早く帰ってこいよなー。オレ様が怒られっちまうじゃねーかよー。
目につく限りの道路や広場、ハルカのいそうな場所をひとつひとつ確認しつつ、トリガーは右回りに一回転、左回りに一回転、もう一度右回りに一回転した。
ハルカの姿はなかった。
トランスポンダーの反応を確認してみるか──そう思ったとき、大通りの彼方の砂煙に気づいた。ライフルを向け、スコープをのぞく。
四つ目の装甲トレーラーが、まっすぐこっちにやってくる。
──ちっ、やっぱりそっちが先に帰ってきちまったか。
宝探し部隊のお帰りだった。
スパイクと顔を合わせるのがうっとうしくて、洗濯物の残りを片づけるのに必要以上の時間をかけた。
トリガーが地下のガレージに降りてみると、リーブスとクレリックとアンジェラがいた。スパイクの姿だけが見当たらない。トリガーは少しだけほっとして、
「スパイクは? 埋めてきちまったのか?」
「一階の倉庫に機材を取りに行ってもらってるわ。降りてくるときに会わなかった?」
リーブスがぽつりと答えた。黒々とした無駄にデカい感じの身体、そのてっぺんの髑髏を思わせる顔。トレーラーに背中をあずけ、腕組みをして、コンテナの山をじっと見つめている。そのとなりにはクレリックの胸像のようなボディが浮かんでおり、そのとなりではアンジェラが床に座り込み、トレーラーのタイヤに寄りかかっている。
それっきり、無言。
何やら、妙な雰囲気だった。
「機材って、何の機材だよ? 何かあったのか?」
落ち着かない気分で、トリガーは周囲を見回した。保存食料のコンテナをトレーラーから降ろす作業はすでに終わったらしく、中身別に、三つの山に分けて積み上げられていた。
全部合わせて15ケース。
たったの。
あまりにも乏しい収穫にトリガーは呆れた。
「おいおいおい、これで全部かよ!? これじゃいつもの半分もねえぞ!? お前ら丸一日かけて何やってたんだよ!?」
「予想外の事態に対応してたのよ」
「なんだそれ」
「周辺の調査とか、敷設しておいた警戒網の強化とか、BC兵器汚染のチェックとか、他にも色々」
いきなり物騒な単語が飛び出したことでますます話が見えなくなり、トリガーは混乱して、
「BC兵器だぁ!? おい──」
「──BC汚染のチェックというのは、あくまでも念のためです」
クレリックが説明を引き継いだ。またいつもの長々とした前置きが始まると思いきや、クレリックは胸像のようなボディを空中でくるりと振り向かせ、その場にいる誰にとっても核爆弾に等しい事実をごろりと無造作に口にした。
「カンヅメ鉱山に、何者かが侵入した形跡がありました。侵入者の数や正体についてはまだ不明です」
聞き捨てならなかった。
しかし、簡単に驚いてしまうのもなんだかしゃくだった。トリガーはあくまで冷静を装った。
「──。ふてえ野郎だな。どこのどいつだよ? あれか? いつぞやここを襲ってきた対人ロボットみたいな」
「いえ、その可能性は極めて低いと言わざるを得ませんね」
即座に否定して、講義をしているときのような口調でクレリックは続けた。
「ご存知の通り、我々がカンヅメ鉱山に敷設しておいた警戒システムは、各種のセンサーと母機で構成されています。何者かが侵入してきた場合、映像、音、熱、動きといった多面的なデータが、母機の不揮発メモリーに記録されるわけです。ブービートラップ的な、侵入者を攻撃する機能はありません。ここまではよろしいか?」
クレリックの口調にイラつき、トリガーは空中でじたばたしながら、
「だー!! わかってらぁんなこたあ!!」
「では、結論から言いましょう。母機には、映像、音、熱、動き、それ以外をも含めて、侵入者の兆候を示すようなデータは一切記録されてはいませんでした」
「? だったらよお、」