緊急事態《メイデイ》 ⑥

 最初の二つはともかく、最後のひとつはだれの目にも明らかな事実である。トリガーの白くて丸まっちいボディはいつも、音もなく宙に浮いている。タネも仕掛けも無論ある。「リフレクションドライブ」というやつで、三十年前までは特にめずらしいものではなかった。プロセッサーのはいねつをエネルギーとして利用し、特定の質量中に方向性をもった分子運動のフィールドを作って、いかなる重力場の中にあっても見かけ上の重量をゼロ、あるいはマイナスにするシステムだ。クレリックも同じ機構を持っているし、宙に浮けばエラいというものでもないし、りようりきがくづかいと言われてしまえばそれまでであったが、少なくともトリガー本人は、宙に浮くことができる自分を気に入っている。

 そのトリガーは今、家の屋上でせんたくものを取り込んでいる。

 白くて丸まっちいボディが夕日をバックにぷかっと宙に浮かび、スペシャルメイドのスリングにゴツいスナイパーライフルをぶら下げて、頭の上にのっけたカゴに洗濯物をぽんぽん投げ込んでいる。トリガーはふと、その手を止めた。

 そう言えば、ハルカはどこへ行ったのだろう。

 昼過ぎごろに、だんがんのように飛び出していったきりもどってきていない。

 早く帰ってきてほしいとトリガーは思った。別に、ハルカのことが心配なわけではない。どうせ、そこいらで時間も忘れて遊んでいるのだろう。ただ、カンヅメ鉱山に出かけた四人がハルカよりも先に戻ってきてしまったらめんどうなことになる。心配しようのスパイクが、またごちゃごちゃぬかすに決まっているのだ。

 洗濯物がやまりのカゴをすとんとゆかろし、夕日に染まったはいきよの街をなんとなくながめた。

 もうすぐ日が暮れる。

 ちょっといやなことを思い出す。

 以前、軍用の対人ロボットの一団がしゆうを仕掛けてきたことがある。三十年前の戦争で大量投入されたたいじん機械歩兵の残党であり、戦時中のミッションプログラムに従うことしかできないぼうれいのようないだ。ただの偶然か、それともなけなしの知恵をしぼった成果か、やつらはこっちのけいかいもうもうてんいて、となりのビルからこの屋上へと飛び移り、「上」からしんにゆうしてきた。

 あのときは、ちょっとヤバかった。

 あの事件以来、屋上からの見晴らしはばつぐんによくなった。あのすぐあとに、侵入の足がかりになりそうな周囲の建物を全部ばくしてつぶしてしまったからだ。天気のいい日には、彼方かなたのビルのすきに海が見えることもある。

 そして、見晴らしがいいはずのその屋上からも、ハルカの姿を見つけることはできなかった。

 トリガーはその場でよう高度を2メートルばかり上げ、くるりとたてに一回転した。ぶら下げていたスナイパーライフルをほうり上げるようにり回し、器用にグリップをつかむ。しがみつくようなかつこうでライフルを構え、スコープを望遠鏡代わりにして廃虚の街を見回してみた。

 ──ったく、早く帰ってこいよなー。オレ様がおこられっちまうじゃねーかよー。

 目につく限りの道路や広場、ハルカのいそうな場所をひとつひとつ確認しつつ、トリガーは右回りに一回転、左回りに一回転、もう一度右回りに一回転した。

 ハルカの姿はなかった。

 トランスポンダーの反応を確認してみるか──そう思ったとき、大通りの彼方かなたすなけむりに気づいた。ライフルを向け、スコープをのぞく。

 四つ目のそうこうトレーラーが、まっすぐこっちにやってくる。

 ──ちっ、やっぱりそっちが先に帰ってきちまったか。

 宝探し部隊のお帰りだった。


 スパイクと顔を合わせるのがうっとうしくて、せんたくものの残りを片づけるのに必要以上の時間をかけた。

 トリガーが地下のガレージにりてみると、リーブスとクレリックとアンジェラがいた。スパイクの姿だけが見当たらない。トリガーは少しだけほっとして、


「スパイクは? めてきちまったのか?」

「一階の倉庫に機材を取りに行ってもらってるわ。降りてくるときに会わなかった?」


 リーブスがぽつりと答えた。黒々としたにデカい感じの身体からだ、そのてっぺんのどくを思わせる顔。トレーラーに背中をあずけ、うでみをして、コンテナの山をじっと見つめている。そのとなりにはクレリックの胸像のようなボディが浮かんでおり、そのとなりではアンジェラがゆかに座り込み、トレーラーのタイヤに寄りかかっている。

 それっきり、無言。

 何やら、みようふんだった。


「機材って、何の機材だよ? 何かあったのか?」


 落ち着かない気分で、トリガーは周囲を見回した。保存食料のコンテナをトレーラーから降ろす作業はすでに終わったらしく、中身別に、三つの山に分けて積み上げられていた。

 全部合わせて15ケース。

 たったの。

 あまりにもとぼしいしゆうかくにトリガーはあきれた。


「おいおいおい、これで全部かよ!? これじゃいつもの半分もねえぞ!? お前ら丸一日かけて何やってたんだよ!?」

「予想外の事態に対応してたのよ」

「なんだそれ」

「周辺の調査とか、せつしておいたけいかいもうの強化とか、BC兵器せんのチェックとか、ほかにも色々」


 いきなりぶつそうな単語が飛び出したことでますます話が見えなくなり、トリガーは混乱して、


「BC兵器だぁ!? おい──」

「──BCせんのチェックというのは、あくまでもねんのためです」


 クレリックが説明を引き継いだ。またいつもの長々とした前置きが始まると思いきや、クレリックは胸像のようなボディを空中でくるりとり向かせ、その場にいるだれにとってもかくばくだんに等しい事実をごろりとぞうに口にした。


「カンヅメ鉱山に、何者かがしんにゆうしたけいせきがありました。侵入者の数や正体についてはまだ不明です」


 聞きてならなかった。

 しかし、簡単におどろいてしまうのもなんだかしゃくだった。トリガーはあくまで冷静をよそおった。


「──。ふてえろうだな。どこのどいつだよ? あれか? いつぞやここをおそってきた対人ロボットみたいな」

「いえ、その可能性は極めて低いと言わざるを得ませんね」


 そくに否定して、講義をしているときのような口調でクレリックは続けた。


「ご存知の通り、我々がカンヅメ鉱山にせつしておいたけいかいシステムは、各種のセンサーと母機で構成されています。何者かが侵入してきた場合、映像、音、熱、動きといった多面的なデータが、母機のはつメモリーに記録されるわけです。ブービートラップ的な、侵入者をこうげきする機能はありません。ここまではよろしいか?」


 クレリックの口調にイラつき、トリガーは空中でじたばたしながら、


「だー!! わかってらぁんなこたあ!!」

「では、結論から言いましょう。母機には、映像、音、熱、動き、それ以外をもふくめて、侵入者のちようこうを示すようなデータは一切記録されてはいませんでした」

「? だったらよお、」

刊行シリーズ

鉄コミュニケイション(2)チェスゲームの書影
鉄コミュニケイション(1)ハルカとイーヴァの書影