「ですが、母機のメモリーの何箇所かに、外的な操作を加えてデータを消去したような痕跡があったのです。恐らく、侵入者は当初──無論推測にすぎませんが──カンヅメ鉱山を何の変哲もないシェルターの跡だと考えていたのでしょう。警戒システムの存在を予想していなかったのだと思います。当然センサーに探知されたはずですが、驚くべきことに、この侵入者は探知されたことに気づいて、母機を探し出して、実に巧妙にデータを消去して、今度はセンサーにまったく探知されることなく姿を消したというわけです。あの警戒システムのデザインを引いたのは私です。自分で言うのもなんですが、あれを出し抜くというからには相当な実力の持ち主ですよ。以前ここを襲撃してきたようなあんなチャチな連中には、とてもそんなマネはできない。もちろん──」
そこでクレリックは言いよどみ、リーブスとアンジェラにちらりと視線を走らせた。
リーブスは、軽く肩をすくめた。
アンジェラは、無言、無反応。
トリガーに視線を戻し、クレリックは、こう結んだ。
「ハルカ様のイタズラでもあり得ない」
「──おい、ちょっと待てよ。なんでそこでハルカが出てくるんだよ?」
しばらくはトリガーの問いに答える者もなく、宙ぶらりんな沈黙が続き、
「──トリガー、そもそも、私たちが、なぜ侵入者がいたことに気づいたのかっていうとね」
リーブスが沈黙を破った。
「保管庫の中の保存食料が、大量に食い散らかされていたからなの」
ここに至って、トリガーは、事の重大さを理解した。
ロボットは、物を食わない。
野犬は、母機のデータを消去したりしない。
「──勘弁しろよ、おい、冗談ごとじゃねえぞ、それじゃ、その侵入者っていうのは、」
人間なのか?
生き残りの?
ハルカ以外の?
その瞬間、年代物のエレベータがやかましい音を立てて動き出し、トリガーの言葉は途中で叩き潰された。誰かが降りてくる。箱が到着し、格子状の扉が開き、BC汚染分析のための機材を山と積んだでっかいワゴンがゆっくりとガレージに入ってきた。ワゴンを押しているのはスパイクだ。スパイクの少年型のボディにこの大荷物は、かなりつらい感じである。「ご苦労さま」とつぶやいて、リーブスがワゴンを引き取った。保存食料コンテナの前まで片手で押していき、機材を軽々と降ろし始める。
「あ、トリガー、ハルカ様は?」
トリガーの姿に気づいたスパイクが尋ねた。が、衝撃いまださめやらぬトリガーは、ぽろっとミもフタもない答えを返してしまった。
「知らねえよ。昼頃にどっか行った。そろそろ晩メシの時間だし、じきに帰ってくんだろ」
トリガーが予想した通りであった。スパイクはあっという間におろおろし始めて、
「し、知らないって、お前なー! どこへ行くとかいつごろ戻るとか、そういうことはちゃんと聞いとけって今朝あれほど言っといたのに!」
「うるせえな! そういうこたぁオレより先にハルカに言っとけ!」
「言われたことちゃんとやれない奴がエラそうなこと言うな! 大体なあ、これだけ帰りが遅いのにどうして探しに行かないんだよ!? あああああどうしようどうしよう、もうすぐ日が暮れるのに!」
そのとき、それまでのすべてのやりとりに無関心な態度を決め込んでいたアンジェラが、ふいに顔を上げた。
戦闘用ロボットであるにも関わらず──いや、戦闘用ロボットだからこそ、であるのか──アンジェラの外見はかなり人間に近い。軍刀を肩にあずけ、トレーラーのタイヤに寄りかかって床に座り込み、両目をおおうiシールドごしにあさっての方向を見つめたまま、そのへんに落ちていた小さなコンクリートの塊二つを拾い上げ、
無造作に、片手でいっぺんに投げた。
ひとつはスパイクの頭に、ひとつはトリガーの頭に、見事に命中した。すかーん、というバカっぽい音がした。痛くはなかったはずだが二人は猛然と振り向いて、まったく同時に、
「何しやがる!!」
「何すんだよ!!」
音の方向に視線を向けたまま、アンジェラがつぶやいた。
「お姫様のお帰りだよ」
その他四人は、言われてはじめて気づいた。聞き覚えのある電動バイクのモーター音が、かなりの速度で近づいてくる。ハルカのバイクの音だった。
バイクの音が止まった。続いて、バイクを乱暴に倒す音。
続いて、正面ドアの開閉音。
続いて、廊下を走る足音。
続いて、「メイデイメイデイめいで──い!! 大事件大々々じけ──ん!!」と、力の限りに叫ぶ声。
色々ある日だ、とアンジェラは思う。
今日の夕食は「社会主義カレー」である。
ハルカが考案し、ハルカが命名したメニューである。
作り方は簡単。まず、当たり前なカレーの材料を用意する。次に、材料をすべてみじん切りにする。最後に、みじん切りにした材料を使って当たり前にカレーを作る。たったこれだけで、この崇高なる思想を持つカレーは完成する。
このカレーの革命的な点は、ナベの中のどこをどうすくっても、全員に対して具が見事なまでに均等に分配されることである。肉の割合の不均衡に端を発する骨肉の争いは、ついに過去の物となったのだ。ああ人民よ永遠なれ。称えよ社会主義カレー。
とはいえ。
スパイクもアンジェラもクレリックもリーブスもトリガーも、物を食べる機能を持っているわけではないのだけれど。
結局は、ハルカひとりで、二日がかりで、ひとナベ全部食べる以外にないのだけれど。
「──それでね、その階段を上ったところにその女の子がいたの! この目で見たんだから! わたしだってびっくりしたし、向こうもきっとびっくりしたんだと思うな、その子はすぐに逃げ出しちゃって、話もなんにもできなかったんだけど、でも絶対見たんだもん!」
ベイエリアで目撃した女の子の話だ。
やっぱり叱られるかもしれないと思ったので、地下道の中を探検したことは伏せて、「バイクでツーリングに出掛けてベイエリアの公園でひと休みしていたときに女の子を見かけた」ということにしている。話すことで興奮が増幅されているのか、せっかくのカレーにもろくに手をつけず、ハルカは椅子から半ば腰を浮かせ、夢中になって喋っている。さっきから「見たんだもん」を何度繰り返したか知れない。
ハルカを落ち着かせようと、リーブスがことさらゆっくりとした口調で、
「どんな子だった? 服装とか、年齢とか」
「ええと、待って、ちょっと待って──ええとね、歳はわたしと同じくらいで、服装は、上も下もグレーと黒の迷彩模様で、髪の毛もわたしくらいの長さで、顔は、」
と言ってしまってから、一瞬の間があって、
「わたしと同じような、普通の感じ。──そう、ヘルメット! ヘルメットかぶってた!」
「それで、話はまるっきりしなかったのね? その子の話す言葉がわからなかったとか、そういうことじゃないのね?」
それを聞いて「あ!」とハルカは顔を輝かせ、
「そうそう! 階段を上がる前に、その子の声だと思うんだけど、何か話してたのが聞こえてきて、はっきりとは憶えてないけど、確か──『どうしたの』とか、そんな雰囲気の、何かそんなふうなそんなこと!」
スパイクがそこで口をはさむ。
「え、でも、階段を上ってみたときには、その子ひとりしかいなかったんでしょ?」