○一章 ①



 朝、いつものようにアラームが鳴る三十秒前に目覚まし時計そのものを頭にぶち当てられて僕は目を覚ました。ふらふらと学習机の上に戻っていく置き時計を視界の端でとらえながら起き上がる。

 もう何年も目覚まし時計が本来の役目をまっとうしたためしがない。確実に目を覚ましてくれるのはいい、はるが自らの存在をアピールしたいのもわかる。だがしかし、もう少しおだやかな目覚めのしきはないものか、このままでは時計か僕の頭のどちらかが機能不全を起こす日もそう遠くないことであろう、と以前、はっきりと言ってやったことがある。翌朝、僕はまくらで窒息死しかかった。

 おくに眠る愛らしかった双子の様子を思い起こしてため息吐き吐き制服にそでを通しているとエンジ色のネクタイが飛来して僕のえりに絡まった。かがみを見るまでもなくくそな結び目は相変わらず。文句を言うと首を絞められかねないので、だからいつも僕のネクタイは曲がりっぱなしだ。

 同室だったやつがカーテンまで持っていってしまったため(もともとそいつの私物だったが)、イヤミなまでにさわやかな朝日がし込んでいる。そのほこりが舞い散る光の中にきやしやれいたいがゆらりと現れた。肩の上で毛先のそろっていない髪が揺れ、柔和なカーブを描くほおゆるめてあかい唇をほころばせる。

 な笑顔を浮かべてはるは片足のつま先を軸にして一回転して見せた。

 ちゃんと足があるもののその足が地に着いていることは当然ながらない。いつもふわふわと漂っているからわかりにくいが身長は百五十半ば、なぜ解るかと言うと春奈そっくりの双子のわかがそのくらいで、ついでに体重とスリーサイズも聞こうとしたら若菜はうわづかいで僕をマジマジと見つめ、あきれたような声で、


「そんなの聞いてどうするの?」


 と聞き返された。

《おはよ》


 短い思念が届き、春奈は無邪気に笑った。その無邪気ゆえに様々な事件を引き起こしており、たとえば去年の四月、中庭で満開だった桜が一夜にして散り去ったのは春奈の仕業であり決して、

《さくらとあたしとどっちがきれい?》


 とかれ、いつしゆん口ごもった僕の責任ではないと思われる。

 春奈の白いセーラー服は僕らの自宅近所の中学のものだ。生きていれば彼女もそこに通っていただろう。まあ生きてても第三EMPに来てた可能性が強いとは思うが。

 僕なんかにひようせず事故死した現場でばくれいでもやっていてくれたら、今ごろ美少女幽霊出現スポットとして観光名所にでもなったかもしれないのに惜しいことである。


「なあ、春奈。せめて実家の自分のぶつだんに取りかないか? けっこう高かったらしいぞ、あれ」


 春奈は僕の鼻先に透き通った小作りの顔を近づけてこたえた。

《いや》




 土足げんきんりようから出るには玄関で靴にき替える必要がある。男子寮B棟で寝起きする生徒はおよそ百五十名前後、そのため一階はばこが立ち並び、眠そうな顔をした寮生たちが押し合いへし合いをしているのもいつもの光景、急がないと朝飯を食いっぱぐれる恐れがある。

 外に出ると森林特有のそうかいな空気が肺を満たした。ほとんど山を一つ削って作られたこの学校のしきは呆れるほどに広い。おそらく工事はんを拡大すればするほどだれかのふところうるおう仕組みにでもなっていたのだろう。

 三つある男子寮を横目に五月さつき晴れの下をぞろぞろと歩く生徒たちに混じって、敷地の一番北を目指した。途中で校舎を挟んで反対側にある女子りようからの流れも合流、朝昼晩の食事時は時間が決められているためちょっとした渋滞を引き起こす。中等部と大学部と比べて高等部の人数が一番多いせいもある。EMP能力の発現ねんれいは十四歳、消失年齢は十八歳時というのが平均で、ようは高校生が最も多い。

 だから高等部校舎が最も大きく、上から見れば巨大なH型をしている鉄筋四階建てのすべてが高等部の学舎だ。Hの真ん中の横棒は渡り廊下と特別教室になっている。

 大食堂まで歩く間、はるは僕の後ろを滑空しながらついてきてこの学園に来て日の浅い生徒たちの腰を引かせていた。

 明灰色の校舎を通り過ぎ、渡り廊下をくぐり抜けた所にあるこうどうわき、男女共同の大食堂は例によって混雑を極めていた。体育館より広い構内には見渡す限りテーブルが続いているのにこの有様だ。建築当初の予定人数より生徒数が増えているというのは本当らしい。

 第四EMPができるのも時間の問題だなと考えながら僕がトレイ片手に歩くと、背後に春奈を張りつかせてるおかげで人混みのほうが勝手にけてくれた。

 紺色ブレザーでごった返す人の波間を通り正面のはいぜんカウンターまで到達する。奥のちゆうぼうでは調理係の女子生徒たちがブラウン運動する粒子のように動き回っている様にはいつ見ても感嘆させられる。

 その一方で配膳係の一員が手際よくプラスチック容器に料理を盛りつけていて、そのかつぽう姿の中の一人が僕を見つけてにっこりと微笑ほほえんだ。


「はよー、兄さん」


 僕の肩口に浮かんでいる半透明のものと同じ顔、ただしこちらは春奈より髪が短く、なにより実体がある。七分咲きの桜みたいな笑み。割烹着姿が異様に似合うのは表情とぐさが子供っぽいせいだろう。

 細めると三日月型になる両目を僕の背後に向けながら、わかはしゃもじを振った。


「春奈も」


 肩上で切りそろえられている髪の毛先が実は全然そろっていないのは理容クラスの女子生徒の練習台になっているからだそうで、彼女の髪型はいつも床屋代をケチった親に刈られた幼児のような具合になっている。もしこれが春奈だったら、その髪切り師のけんにカーラーの一つくらいは飛んで行くのではないだろうか。

 カウンターの上に飯をよそったちやわんの列を築きながら若菜が呼びかけた。


みやさんが捜してたよ。ちょっと前にご飯取りに来てたんだけど、兄さんがもう来てなかったかって。後で来るようなら言っといてくれって、ほらあそこ」


 若菜が米粒まみれのしゃもじで指した先、長いテーブルの端っこにたいはん班長のぐせ頭が見えた。


「何の用だって?」


 するとわかはどうやらみやの顔らしき表情を作り、やたらな大声で、


「若菜くん! キミはいつ見ても可愛かわいいな! そろそろ兄離れしてもいいのではないかねっ! ……とか言ってたけど、あの人、何か勘違いしてるんじゃないかなあ。兄さんにくっついてるのははるでしょ」


 いかにも心外そうに口元をアヒルみたいにして言ってるが顔のほかのパーツはずっと笑っており、いつでもどこでも相手がだれでもスマイル終日営業が若菜のデフォルトだ。最後に若菜の笑顔以外の表情を見たのは、六年前の春奈のお通夜以来、僕のおくにない。

 まりで和んでいる猫のような雰囲気を発散させつつ、若菜はにこにこと、


「今日は春奈機嫌がいいみたいねえ。どうして? あそっか、おとついから兄さん一人部屋なんだっけ。春奈と二人っきりなんだー。ふーん」


 誤解を招くような発言は慎んでもらいたいものだ。

 若菜の横のしる担当の女の子が、おっかなびっくりという感じで容器を僕に差し出した。

 すいっと春奈が背後から移動して、カウンターに半分身体からだをめり込ませながらその手元を見つめている。昨日もはいぜん当番をしていたその少女は、うっかり僕と指先を触れさせてしまったばかりに、宙を舞ったオタマで頭をポコポコ殴られていた。可哀かわいそうに。

 春奈のれいてつな視線が気の毒な娘のぶるぶるふるえる手元に注がれる。

《……》


「ひぃ」

刊行シリーズ

学校を出よう!(6) VAMPIRE SYNDROMEの書影
学校を出よう!(5) NOT DEAD OR NOT ALIVEの書影
学校を出よう!(4) Final Destinationの書影
学校を出よう!(3) The Laughing Bootlegの書影
学校を出よう!(2) I-My-Meの書影
学校を出よう!Escape from The Schoolの書影