○一章 ③

 僕はついはしを止めてしまった。やつにしては珍しくストライクゾーンのストレートである。想念体はEMP能力者がごろごろしている場所にしか現れない。奴らがこの世で形状を保っていられるのは、能力者が放射している余剰エネルギーのざんが元になっているからだ──そうだ。普通、各EMP学園のように能力者がまとまって生活しているような所で初めて、想念体は実体化するのである。

 僕の横にいる白衣のじゆつ結社首領みたいな迷惑な奴が意図的に想念体を呼び出しているのなら話は別だが。


「それで?」

「ふむ」


 みやは見ているだけで食欲のせるちやわんの中身をずるずる吸い、まずに飲み込んでから、


PSYサイネットワークというものに聞き覚えはあるかね?」


 また話が脈絡なく飛んでいく。


「何ネットワークだって?」

「サイキック・ネットワーク。通称PSYネットと呼ばれることが多い。詳細は私もよく知らん。何でも、感応能力を持っている連中の間ではけっこう有名らしい」


 感応能力者、テレパスか。よく顔を合わせる女子りようの寮長の一人が、顔とスタイルだけ良くて性格とタチの悪いテレパスだ。会うたびに僕の心の中を読んでは嫌な笑みを浮かべやがる、最悪性悪女。僕も寮長会議に出なければならないという理由さえなければ、できるだけ会わずに済ませたい、友達の少なそうな女だった。


「それで?」


 と僕はみたび尋ねた。宮野は答えて、


「いや、今何となくその言葉が脳裏をよぎっただけだ。別に意味はない」


 見ているだけで舌の感覚がしそうな食物を摂取する最中、僕の精神を汚染する悪えいきようの元は箸の先で人を指すというテーブルマナー皆無な行為をして、


「一つだけな話がある」


 では今までのは何だったんだとか思う。

 本人はいたって真面目な顔を作っているつもりなのだろうが、せいぜい虫歯痛をこらえるような顔にしか見えない。もったいぶった口調で、


「気をつけたまえ」


 それだけですべてを言い終えたつもりか、再び狂った味付けの茶碗の中身とのかくとうを再開した。


「何に気をつけろって言うんだ?」

「様々なものにだ」

「その様々なものとは、だから何なんだ」

「すでに言ったはずだが。人の話を聞いていなかったのかね」


 聞いていないのはお前だ。

 何と言って突っ込むべきかと僕が頭をひねっていると、背後から鼓膜にひびくソプラノ声がかかった。


たかさきさま」


 振り向くと、カラスと仲良くなれそうなほど黒ずくめの少女がトレイを持ってたたずんでいた。おどろくほど長いまつふちられた二つのひとみが、意志の強そうな光を宿してみやにらみつけている。は小鳥の生き血を塗ったみたいにあかい唇を開いた。


「このウスラトンカチ頭の班長が言うことに耳を貸すなど愚の骨頂、時間の無駄、海馬組織の無為な消費ですわ。どうぞ安心して耳を素通りさせていただきますよう、わたくしの保証書付ですわ」


 そのたいはん班長は身の毛もよだつ食い物をぐっちゃぐっちゃとしやくしながら、こうはいをみやってかたまゆだけを器用に上げた。


「さて茉衣子くん、そのウスラトンカチ頭がだれを指すのかが理解不能であるのは傍らに置いておくことにして、私が口に出して話す言葉に今まで間違いがあったためしがあったかね。不肖、宮野しゆうさく、勘違いやおく違いやすれ違いをしたことはあっても間違いを話した心当たりは絶無であると私は確信している」

「それは班長の存在自体が大いなるミステイクであるので、そもそもが間違っている人間が妥当なことを言えば言うほどそれは間違いにほかならず、また本質が間違っているというまさにその理由によって、本人だけはその事実に気付きようがないからですわ。ある問題にびゆうが含まれているならば必ず結果も誤謬を含んだものになると偉大なるマーフィー博士もおっしゃっております。班長の場合、一から十まで誤謬でできた脳をお持ちなのですから発言の一切が誤謬に満ちているのは理の当然なのです。ただ今の班長の発言で正しかった部分があるとしたら、不肖、という単語だけですわ。それからわたくしをお呼びになる際はどうか名字をご使用くださいと何回言えばわかるのです?」

「何回言われたのだろう」

「数えておりません。班長の脳のシワの数よりは多いかと思いますが」

「その計算で行くとキミと出会ってから最低一秒に一回言われていないとおかしくなるな。私は自分の頭の中を開けてのぞいたことはないが、それでもその数たるや故アインシュタイン師とタメ口をきける程度にはシワシワであることもまた確信しているのだ。私が将来死を迎えたときには先人にならって我が脳をホルマリンにて保存するよう遺言状を書いておくつもりだ」

「博士もさぞ天国で苦笑いをなさっておられることでしょう」

「そう言われると照れる」

「皮肉です」


 たいはんコンビの夫婦めおと漫才を聞き流していると、食堂の天井からぶら下がる拡声器が唐突にハウリングの一歩手前の雑音を発し、雑な放送委員の声が投げやりなけだるさを包含するひびきで、


『ピポバポ(口で言ってた)、ああーこちら第三EMPブロードキャスティングセンター。毎度おなじみエマージェンシー放送です。えーとどこだっけ? おーい、ありさかー、書いた紙あったろ、保安部からのやつ。……ああ、これこれ。……ええとだな、旧部室棟一階の『最終定理解読研究会』の部室前でコード・ザキ、想念体発生確認。周囲の対魔班は現在のいっさいの作業を放棄し第一次特例に従って行動せよ。以上放送終わり。パポビポ』


 聞くが早いかみやひざをテーブルの裏に痛そうな音を立ててぶつけて立ち上がり、


こうみようくん、これは事件だ! ことは一刻を争う! 行くぞ、今すぐだ!」

「さあ、わたくしたちが行かなくともほかの優秀な方々がとっくに急行中なのではありませんでしょうか。それにわたくしはまだ食事を終えていないのです。一日三度の適度な食物摂取は美容と健康及び活発な脳細胞の働きに重要な必要条件ですわ。どうぞ、いってらっしゃいませ」

「光明寺くん、たまにはキミもそれなりに笑える意味無しジョークを飛ばせるようになってきたではないか。朱に交わって赤くなりつつあるところだと私は分析する」


 宮野はの持っていたトレイを横から強奪すると僕の目の前に乱暴に置いて、


えんりよなさるなりようちよう殿。光明寺くんからのおごりだ。食ってくれたまえ。私たちはたった今用事ができた。行かねばならぬ。では、また会おう。さらばである! よかったら私の残りの分も提供する。食ってくれ」


 がっと茉衣子の黒いながそでをわしづかみ、宮野は混雑する食堂のとテーブルに足をガンガンぶつけながら出口へと向かう。


「あなたが好きなように振る舞うのは自由を保証するけんぽうの拡大解釈として大目に見ますが、あなたの主観的自由をわたくしの自由に交差させるのはおよしください!」

「はっはっはっ、敵が出たらすなわち倒す、世の中の行動原理は、かくもこの簡単な真理によって動いているのだ。いざ行くのだ」

「ああわたくしの炭水化物とアミノ酸、たかさきさま、いったいそれはどこに行くことになるのでしょうか」


 金切り声がフェードアウトしていく。むりやり宮野に引っ張って行かれる長い髪の魔女を見送って、僕はわきに置かれた朝食のメニューを観察した。鉢に三分の一ほどの白米と、黄身だけ卵、しやけの切り身は半分だけ。最大の問題は宮野が置いてったちやわんなぞ状物体である。こんなものを食うのは罰ゲームでもない限りごめんこうむりたい。



 ともあれうるさいやつらは二人とも姿を消し、なによりこれで普通に飯を食うことができるのは今日目覚めて以来の幸福だ。

 ついでに僕は生徒会長のことはすっぱり忘れることにした。よっぽどの用ならそのうちまた向こうから何か言ってくるだろう。

刊行シリーズ

学校を出よう!(6) VAMPIRE SYNDROMEの書影
学校を出よう!(5) NOT DEAD OR NOT ALIVEの書影
学校を出よう!(4) Final Destinationの書影
学校を出よう!(3) The Laughing Bootlegの書影
学校を出よう!(2) I-My-Meの書影
学校を出よう!Escape from The Schoolの書影