○一章 ④

 空になった食器を返却コーナーのベルトコンベアに置いたとき、一時限目の予鈴が鳴り始めた。



 さて、この学校に朝夕のホームルームの時間はない。担任はおろか教師自体が数えるほどしかいない。わけのわからない能力を持っている生徒たちを相手にきようべんを振るおうとするような奇特な考えの一般人はいないかいてもごくわずかであり、よってこの学園にいる少数の教員資格保持者は全員が元・EMP能力者だった。だがしょせん生徒数に比較してあまりにも絶対数が少なすぎ、一クラス一教師どころか一時限一教師すら確保できず、もっぱら授業は生徒机に据え付けられているモニタを通す遠隔こう方式でおこなわれている。

 進路ごとにクラス分けされるというはいりよとはえんのため、同じ教室にいながら別の科目を受講している例が少なくない。

 それぞれの生徒たちはコンソールを操作して自分たちの進路にかなった講義を選択し、ヘッドフォンを装着してモニタの向こうにいる教師の声に耳を傾ける。

 もちろんサボろうと思えばいくらでもサボれる。出席はコンソールわきのスリットにIDカードを通すだけなのでいくらでもだいへんがきく。しかし数ヶ月おきに訪れる学力テストは外の学校同様に実施されるし、そこであまりにヘボな点数をたたき出し続けるとあまり有り難くないことになり、またEMP能力が消えるとこの学校での存在意義もなくなるわけで、当然元の社会に戻ることになるのだが、その場合編入試験に苦労することになる。

 ようするに将来のことを考えるならせつ的な快楽主義は放棄して勉学に打ち込め、という確固たる現実が我々の前に横たわっており、それは何もこの学園に限った話ではなかろう。


「そうは言ってもな」


 僕はいつも机が三分の二ほどしか埋まらない教室を見渡してつぶやいた。クラスメイト全員がそろって席に着いている風景など見たこともない。朝飯だけ食ってトンズラするやつのいかに多いことか。

 もちろんこんな学園からはさっさと出て行って市井しせいの学校に通いたいと思っている僕は、に授業に参加することを旨としている。

 僕は机についてヘッドフォンを頭にかぶった。メニュー画面から選択、一時限目は現代国語。しょぼくれた老教師の張りのない顔を背景に、ウィンドウにテキストを呼び出した。



 催眠術のような現国教師の授業を手の甲にペンマウスを突き刺してすいげき退たいしつつ受け終え、休み時間に大きく伸びをしていたところに、


たかさき、お客さん」


 トイレから帰って来たクラスメイトが声をかけてきた。親指で教室の戸口を指して、


「お前の実体のあるほうの妹」


 はたして廊下で待っていたのは朝会ったばかりのわかだった。滑らかなほおの上に不揃いなショートカットが柔らかくかかり、はんなりとした微笑ほほえみを浮かべて廊下にたたずんでいる。


「さっきことさんにばったり会って。兄さんに伝えとけって。ええと、生徒会長室まで来いだって。何かしたの?」


 意外に早く来たな。にしても会長でなくて、あいつか、しま真琴。偶然にも朝食中に思い浮かべた感応能力者だった。偶然? 偶然だろう、もちろん。そういや女子りようちようだけではなく生徒会で書記もやってるんだといつか聞いたことがある。

 さらに若菜は握りしめていた紙切れを開いて、


「一字一句間違えないように伝えろって言ってたからメモってきたよ。読むねー。えー、かきゅうてきすみやかに生徒会長室まで来いバカ授業そんなもんどうでもいいや、いいから来な、この……」


 と、わかはしばし口ごもり、


「へ、へんたいあほんだらげ、あたしが呼んでんだ、さっさと来やがれ。あんたみたいなやつは……お……ええと、お」


 顔を赤くする若菜の手からノートの切れ端とおぼしき紙片を取り上げて目を走らせてみた。丸まっこい文字が人柄をしのばせる。それはいいのだが、伝言のしゆは最初の数行で終わり、後は読むに耐えないわいぞうごんで埋め尽くされていた。

 ニヤニヤニヤと笑いながら放送禁止用語を口にして若菜に書き取らせて喜んでいることの姿が容易に想像できる。


「なぜお前にことづけるんだ。直接僕に言いに来ればいいのに」

「知らない。教室の前で会って、兄さんにそう伝えるようにって」

「そりゃご苦労なことだな」


 真琴もそれから若菜も。一年の教室は中庭を挟んで対面の校舎にある。こいつのクラスは一階で、そしてここは三階だ。一限目を教室で受けていたのだとしたら真琴はわざわざ一階まで降りて若菜にメモを取らせに行ったことになる。

《ばかみたい》


「まあな」


 若菜はびっくり中の猫のごとき丸いひとみをくるくると動かして、


「うーん、真琴さんていつも何考えてるかわからないことばかりするよ。この前はね、お庭のイチョウにお説教してた。年二回くらい実を付けろ気合いだ気合い、とか言って。ちやわんしにギンナンが入ってなかったのが気に入らなかったのかなあ。ふしぎふしぎ」


 その時、二限目の予鈴が鳴る──と見せかけて突然チャイムの音色がれた。放送室によるインターラプト、全館の全スピーカーから耳通りのいい女子の声が早口を奏でる。

 きんきゆう放送。


『ピポパポン、こちらEBC。高等部南校舎三階通路、二年六組前で想念体発生、予想脅威レベルD─4。付近の生徒はただちに退たいするなりなんなりしてたいはん員は現地に急行して下さい、以上、パポピポン』


 そっけなく放送終了。朝出たばっかりだってのにまたお出ましか。何もそんなに張り切らなくてもいいだろう。出物とれ物が所構わないのは今に始まった事じゃないにしろ、だ。

 そんなことを考えていたせいか、気付くのが遅れた。

 立ちつくす若菜の頭の向こうで、廊下を歩いていた生徒たちがギョッとしたように立ち止まるのを僕は見た。

 高等部南校舎三階と言えば、ここだ。我が二年一組はその校舎の一番端で、六組は反対側の端っこにある。

 廊下のはるか遠く、灰色の天井に黒い影が張り付いていた。


「なあに?」


 振り返ったわかが、それに目を止めて和やかに言う。

 やみ色の二次元平面、暗黒の影法師。そいつはゆらりとふるえると、準備運動は済んだとばかりに天井をすーっとこちらに向かって来た。

 速い。

 頭上を越された生徒たちが目をしばたたかせて上を見上げる。

 接近されてそいつの形状が理解できた。人型のシルエットだ。すそながのインバネスをまとい、長大なかまをかついだ厚みのない人影。

 天井のおうとつをものともせずに移動するそれは、黒い画用紙を使った切り絵をり付けたようでもある。

 色んなものが出てくる。本当に。飽きなくていいという意見もあるようだが、僕は飽きないことにすでに飽きているのだ。

 パチン、と僕のえりあしで静電気がはじけ、はるはいが背後でくなっていくのを感じる。


「わあ、へんなの」


 若菜は珍しい生き物を道ばたで見つけたかのような顔をして、にっこりと微笑ほほえむ。

 そのまま僕らの頭の上も通り過ぎて校舎の外にでも行ってくれたらよかったのに、どういうわけだか影法師はピタリと止まると再びゆらりとぜんどうし、その数秒後、ぼこりという感じで立体化して、ぼとりという感じで廊下に降り立った。

 若菜がのんな声で春先のタンポポのような感想を漏らした。


「気持ち悪いー」


 どうやらそいつは、わかりやすく表現するに死神のイメージがけんざい化したものらしい。フードをぶかかぶった長身の影とデスサイズ。立体化していても何しろ真っ黒なのでまるで平面に見える。

 そいつはゆっくりと大鎌を振りかぶり、半口を開けてぼんやりしている若菜の首をめがけて振り下ろした。

 何の音もしなかった。

 ただ青白い火花だけがさんして、若菜の体表面十数センチに迫った黒い影絵のような鎌は、若菜に到達することなく跳ね返った。

刊行シリーズ

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