第1話 …俺ぇ!? ①


「くそー、課題全然終わんねえ……」


 自室の勉強机に向かいながら。

 ノートにゴリゴリ文字を書きまくりつつ、俺は思わずそうつぶやいた。


「多すぎだろ、テスト前でもないのに……」


 フランス革命、ナポレオン戦争、ウィーン体制……。

 やり忘れに気付いてあわててとりかかったこの課題だけど……どれだけ進めても終わりが見えてこなかった。

 というか、教科書の残りの分量から考えて……これ、あと一、二時間はかかるんじゃねえか? まだ、全体のちゆうばんにさしかかったくらいじゃねえか……?

 時計を見れば、時刻は午前〇時を回るころ。

 このままだと、明日はすいみんそくで学校に向かうことになりそうだなあ……。


「……はぁ」


 思わずため息がれた。

 急ぎの課題に限って、みように手間がかかるのってなんでなんだろうな。

 これは大仕事だぞ……って思ったらもう終わった! みたいなことってほぼなくないか?

 楽勝でしょ? ……あれ、意外とボリュームある。てかこれ終わんねえ! みたいなパターンしかなくね?

 なんでだよ。神様意地悪かよ……。


「……はぁ。配信でも聞きながらやるかあ」


 ひとりごちながら、俺はスマホを手に取った。

 こういうときは、ぶんてんかんに限る。一人でやっててもなんかへこむし。

 動画サイトのアプリを起動。今やってる配信の一覧に飛んだ。

 ずらっと表示されている、俺におすすめの配信たち。今日もたくさんの配信者が、それぞれのチャンネルでそれぞれの放送をひろげているようだった。


「YouTuber、VTuber、芸人……。お、このネットラジオ、高校生がやってるのか……」


 見たことのない配信者だった。

 ちよう有名YouTuber、ってほどではないけど、そこそこ人気のある放送らしい。

 サムネイルはフリー素材っぽい、そっけない風景画像……。


ちようしや百五十人。始まったばっかりっぽいし、これかな」


 何の気なしに、俺はその配信のサムネをクリック。

 再生が始まったのをかくにんして、スマホを机に置いた。

 どんな放送かはわからないけれど、まあ耳がさびしくなければOKだ。


『……えー、音量、だいじようかな? だいじようそうですね』


 スピーカーから、BGMとともにそんな声が流れる。


『それでは……こいはわからないものですね。こんばんは、サキです』

「へえ。配信主、女の子か……」


 ノートにシャーペンを走らせながら、思わずそうつぶやいた。

 チルな感じのビートによく合う、落ち着いた声。けれど、声質はむしろかわいらしくて、耳にここいい転がるような高音で、冷静そうな口調とのギャップがおもしろい。

 サムネのシンプルさから、なんとなく男子の配信なのかと思ってたな。

 まあ、俺としてはどっちでも構わないんだけど。


『今週も始まりました。ラジオ番組「こいは夜空をわたって」。今夜も、一時間くらいかな。お話できればと思ってます。最後までお付き合いください。……さて、この一週間、みなさんいかがお過ごしでしたでしょうか? だいぶすずしくなって、どくしよ日和びよりでしたね。天気もよかったですし』

「……ん?」


 そこまでいて──俺はふとこぼした。


「なんか、この声……」


 おぼえが、ある気がした。

 かなり最近、こんな声の女子と話したような気が……、


『わたしはね、帰ってからさっきまでずっと本を読んでいました。久々に、当たりの小説見つけちゃって、あの、ご飯中まで読んだりしてね。あはは、もちろんおこられました』

「え……?」


 ──すぐに思い当たった。

 文字を書く手を止め、思わずスマホをじっと見てしまう。


「この声……じゃないか!?」


 ──

 ──さき

 高校のこうはいだ。いつしよに図書委員をやっている、一年生女子。

 この配信者の声は、あいつとそっくりに聞こえる。

 というか、口調もふくめて完全に本人にしか……。

 そんな俺のこんわくも知らず、「サキ」は話を続けている。


『みなさんも、しゆはほどほどにしましょうね。ここまでだらしないのは、わたしだけかもしれませんけど。あ、ちなみにこいの方は……うーん、わたしは特に、わりえなしですね』

こい!?」


 ──さけんでしまった。

 シャーペンを取り落としつつ、大声を上げてしまった。


『むしろあの、ちょっと失敗したこともあって。このあとまた、メールを交えつつその話もできればと思っています』

「マジで……!? あのこいバナ!?」


 反射的に、スマホをつかんでしまった。

 こい……、そんな話をするようなやつじゃないだろ!?

 だってあいつは……いつもつんつんして……。

 難しい性格で、本にしか興味がなくて……。


「……いや待てよ、落ち着け。本当に本人か?」


 一度スマホを置き、大きく深呼吸する。

 そうだ、めちゃくちゃドキドキしてるけど。変にどうようしてわけわかんなくなってるけど……まずは落ち着こう。


「冷静に思い出そう。の声……今日、あいつと話したこと……」


 そして俺は頭の中で、学校での彼女とのやりとりをかえる──。


       *


「こちら二冊、へんきやくは来週水曜日です」


 放課後の図書室。下校時間直前。

 カウンターで、が今日最後の貸し出し対応をしていた。


「祝日をはさむので、忘れないよう気をつけてください」


 へんきやくぼんたなもどしながら、俺はちらりとそちらの様子をうかがう。

 短めのくろかみねこみたいに切れ長の目。

 低めの身長の割に、よくよく見れば大人びて整った顔──。

 のない手つきで本を生徒にわたす彼女は、一年生のくせに早くも『熟練図書委員』的なオーラをかもしている。

 そのたのもしさになんだか笑ってしまいながら、俺は文庫本をたなの所定の位置にもどしていく。

 ──さき

 俺と同じ、図書委員の水曜担当である一年生だ。

 四月に同じ曜日担当になって以来、俺たちはこうして毎週放課後の図書室で顔を合わせ、貸し出しやたなもどしなど委員会業務にいそしんでいた。

 タイプでいえば──はサブカル系文学少女、という感じだろうか。

 純文学が好きでいつも本を読んでいるけれど、しゆはばはそれだけに収まらない。

 最新の文化や芸術、エンタメ。おしやなんかにも興味があるらしい。

 今も彼女は制服の下にフーディを着込んでいて、はたから見ていてもそのセンスのよさはいちもくりようぜんだ。

 対する俺。長谷川はせがわそういちは……まあつうだ。

 センスも文学的素養もいつさいなし。だから二年生のくせにに助けられる場面もちょこちょこあって、なんだか彼女には頭が上がらないのだった。


「ふぃー、おつか、こっちはへんきやく全部終わったよ」


 最後の生徒が出て行ったところで、言いながら彼女の元に近づいた。

 はこちらを見上げると、にこりともせずフラットな声で、


「おつかさまです、せんぱい。でも、声大きいです。図書室ではお静かに」

「えー。もう俺ら以外帰ったし、よくないか? だれにもめいわくかかんないだろ」

「そういう問題じゃないです。ルールなんですよ」

「……まあそっか。ごめんな、気をつけるよ」

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恋は夜空をわたって2の書影
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