1 日常a ③

「なんであやまる?」

「だって、君、こわい顔をしてた」


 由紀はぐっと唇をんでいる。


「怒ってないさ、別に。さいなことだから」


 ふくはらは笑い顔を作った。


「……本当に?」

「ああ、気にしなくていいよ」

しんこくに考え込まない方がいいよ。福原は物事を複雑に考えるタイプなんだから」

「はあ?」

「物事は意外にシンプルにできているんだよ。福原はすべての情報を取り込んで考えようとするから」

「……由紀のくせに、えらそうにせつきようするなよな」

「痛い痛い、ごめんなさい」

「あはは、ふうげん


 女子生徒が小学生のようなことを言った。近くの席で教科書を見ていた生徒も、予習をやめてキャーキャー言いだした。そんな彼女たちに、顔を赤くして由紀が怒っている。由紀の単純な反応はからかいがいがあるのだろう。


「今日はもういいや」


 由紀周辺がさわがしくなったので、福原はにがわらいをしながらチェスばんまどぎわたなの上の安全な場所へと運んだ。

 そんな時、教室のけんそうが不自然に静まった。生徒たちの視線は教室のドアに向いている。


「朝から来るのめずらしいね」


 由紀がつぶやき、教室に入ってきた女子生徒を見つめている。

 彼女は周囲の視線など気にするりを見せずに、無言で窓際の最前列の自分の席に向かった。すらりとした体のラインに、ウエーブがかった髪を揺らしながら歩く姿は、ゆうに泳ぐ熱帯魚のようにしなやかに見えた。

 たちばな飛鳥あすかは、自分の座席の周囲で雑談をしていた女子生徒たちをいちべつしてどかすと、机のフックにかばんを掛けた。周囲にいた女子たちは無言で飛鳥から距離を取っている。

 教室の中で、彼女の周囲だけ温度が下がったような、そんな感覚があった。冷えた空間。冷気の伝染。

 飛鳥は椅子に座るすんぜんたなの上にチェスばんを運んでいたふくはらに不自然に視線を向けた。

 福原はかんを感じて振り向いたが、飛鳥はすでに椅子に座り、机の上に両手を投げだすようにして窓の外を見ていた。こちらを見たような気がしたが、気のせいだろうか。


「来なきゃいいのにな」


 近くにいた男子生徒はめいわくそうな視線を向けている。

 飛鳥は勉強はできるのだが、学校を無断で休んだり遅刻したりと、いろいろと問題のある生徒だった。学校に来ても、ほかの生徒とコミュニケーションを取ることもせず、ただ椅子に座っているだけなのだ。身動みじろぎしない飛鳥はマネキン女とされている。

 福原は飛鳥を横目でうかがった。静かに座っている姿は絵になっている。ゆるやかにウエーブして肩の下まで垂れているこうたくのある髪、スマートなボディーラインに白いはだのない方程式のようなしつな美しさ。マネキンと例えられるのもわかる気がする。


「ねえ」


 席に戻った福原に、が不満げな視線を向けていた。


「どうした?」

「立花さんをじっと見てたねえ」

「相変わらず、あいそうだなって思ってさ」


 そんな態度を貫く飛鳥は、最初は周囲の女子も気をつかい声をかけていたのだが、今は周囲にこわがられ距離を置かれている。飛鳥に近づくのは、彼女の態度に文句を言ったりする男子生徒程度だった。

 福原自身、飛鳥との会話の最新れきは、一ヶ月前に彼女の席の前で立ち話していた時に、どいて、と言われた程度だった。


「彼女はなんで学校に来てるんだろう」


 だれかがつぶやいた。飛鳥はじっと空に視線を向けていた。ホームルームの始まりを知らせるチャイムが鳴った。


       *


 校庭からは運動部の掛け声が響いている。フェンスの向こうにはように並んだ住宅街の屋根が見える。福原が立っている校舎の屋上には湿しめっぽい風が吹いていた。


「よお、待たせたな」


 声に振り向き、ふくはらは投げられた缶コーヒーをキャッチした。こちらに歩いてきたのははやだった。


「時間どおりだろ」


 福原は再び校庭に視線を向けながらコーヒーを開けた。


「この暑い中、しようとは思えねえな」


 速水もフェンスに寄りかかり、校庭で活動する運動部の姿を目にしている。


「また福原も参加するか? この前の陸上部の大会で少しはもうけたんだろ。来週はバスケットボール部の大会がある。八割がたうちの学校が勝つから、けのしようてんは点差と、だれが何点入れるかとかになるだろうな。チケットだけでも買うか?」


 福原は首を振った。


「この前のは、一日つぶしたわりには大したことなかった。どのコースの選手が勝つかなんて、ベストタイムでほとんどわかる。賭けは成立していなかった」

「まあ、遊びだからな。休日に本格的にやるんなら、競馬場にでも行けばいい」


 校庭のトラックで陸上部がリレーの練習をしているのが見えた。トラックの中ではラグビー部とサッカー部が活動している。ごっちゃぜの放課後の校庭だ。


「最新のランキングが決まったぜ。福原は総合七位だな。たまにしか参加をしないわりには落ちてない。三年が受験で抜けてるから、上位ランクはほとんど二年だ」

「そっか。七位か」

「前のポーカーでかせいだポイントがいたな。その時の賞金がもう出てる」


 速水がポケットから茶色い封筒を出し、福原に差しだした。


「次は何があんの?」


 福原は封筒を受け取らずに聞いた。


「次はでかいぜ。花形の麻雀マージヤンだ。あいつも参加する。総合、麻雀部門、共にランキング一位のブルーアイ。もしかしたら、麻雀部門四強がそろうかもしれねえ。そうしたら夏休み前にでかい金が動く。この学校のやつら、月のづかい十万単位でもらうような金持ち連中ばかりだからな」


 学校サイドへの情報ろうえいを防ぐためにコードネームのようなつうしようがある。また、通称で呼ばれるのは総合ランキング十位以内のプレイヤーだけだ。

 総合一位のブルーアイは、本名から取った通称だが、他のプレイヤーはゲームの性格や打ち筋などで自然に通称が決まることが多い。

 麻雀の四強のブルーアイ以外の三人は、ドラを呼び込むドラゴン、トリッキーな打ち筋のじゆつ、スピード重視のスピードスターだったはずだ。

 プレイヤーどうがゲームで金を賭けるほか、競馬のようにプレイヤーに周囲の生徒が金を賭ける。そんなシステムが高等部から中等部をも巻き込みできあがっている。速水はシステムの管理サイドをうグループに所属している。


麻雀マージヤンならはやもやるんだろ。参加しないのか?」

「コーディネーターは参加できねえよ。それに、しよせんおれの腕じゃあだ。遊びでやる程度だよ。特にあの四強は格が違う」


 速水は低い声で笑った。巨大なギャンブルシステムがこうちくされているため、この学校の生徒には相当に腕のたつ人間がいる。特に麻雀の上位四人は半年以上ランキングに変動がない。それほど別格だった。ふくはらから見ても、天才と認めざるを得ない生徒も数人いる。


「福原は、麻雀部門ランキングは五位だ。精密機械の福原。なあ、それより受け取れよ」


 速水は茶封筒を福原に押しつけた。


「いらない」


 福原は首を振った。


「これはルールだぜ」


 速水がギロリとするどい目つきでにらんだ。


「次のゲームの参加料と、残りは俺自身にける」

「やる気か?」


 速水が意外そうに声を上げた。


「最近参加してねえから抜けたいのかと思ったぜ。だが、やる気でてきたな。麻雀であの四強をくずせるのは福原だけだ」

「そろそろ、ブルーアイも王座からかんらくすべきだからな。いつまでも好きにやらせておくわけにはいかない」


 福原は宣言した。

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