一.御柱ノ少女 ②

「それはフェリオ様の誤解です。フォルナムの教義では、死者のたましいはすべてめいかいき、この世には決して残らぬことになっています。ゆうれいきよようするのは、西のキャルニエ神殿の教義ですよ。それに幽霊退たいなどというのは伝承の中のお話で、実際には──」


 そのわけに、フェリオはあきれた。


「だったらなおさらだ。幽霊じゃなくて、しかも君の見間違いじゃないとなれば、だれかの悪戯いたずらって可能性が高い。神殿でそんな悪戯をはたらく不心得者を、君はほうっておくのか?」


 エリオットのが、動揺でわずかに揺れた。


「そ、それは──しかし……」


 少年しんかんを言い負かしたフェリオは、剣のつかに触れながら、小声につぶやいた。


おれ達で調べてみよう。それで原因がわからなかったら、上の人達に任せればいい。どうせ何もしないだろうけど」


 幽霊を認めない神殿での幽霊騒動に、上層部は反応を示していない。〝ふうの乱れる妙なうわさ〟には腹を立てているだろうが、これといって実害があったわけでもないのだ。

 石造りの廊下を、フェリオは足早に歩いていった。柱に面したくだんの祭殿は、ここからいくつかの階段を登った上の階にある。

 エリオットはようやく観念したように、フェリオと歩幅を合わせた。


       +


 フェリオ・アルセイフにとって、フォルナム神殿での生活は、へいおんで満足のいくものだった。とりたてて楽しみこそないものの、王宮よりは居心地がよく、またここには妙なぼうりやくにおいも少ない。

 この神殿内におけるフェリオの仕事は、ただ〝いること〟だけである。その立場も、ほかしんさい達とは異なり、あくまで「王家の人間」としてのもので、そのために教義の決まりや礼拝を強要されることもない。

 アルセイフの王家と、その領内において独立と自治を保障されたフォルナム神殿──

 この両者が友好関係にあるあかしとして、神殿内には王家のけつえんしやが、長期にわたって滞在する慣例があった。過去には、神殿内の動きを警戒し監視するという目的もあったのだが、長い友好の歴史によって、その目的は有名無実のものとなっている。

 一ヶ月前、フェリオはくなったえんせきに代わってこの親善特使に就任し、それにともなって、神殿側からは世話役にとエリオットが付けられた。

 王族とはいえ、フェリオはしようふくの第四王子という身の上で、その社会的な地位は兄達よりも低い。神殿に滞在する親善特使の任は、それゆえにあてがわれたかんしよくだったが、どうせ王宮にいてもすることのない身である。不満に思う理由もない。

 人はこの任を〝せん〟と見るが、フェリオにしてみれば、王宮というひとやから、一時的にせよ逃れられた解放感を感じていた。

 そしてこの一ヶ月、フェリオはたまに神殿内での会議に招かれつつも、王宮にいたころとさして変わらない、退たいくつへいおんな毎日を過ごしている。違うのは、王宮よりも、フェリオに対して友好的な人間が多いことくらいだった。

 そんな日々に舞いこんできたゆうれいうわさと、それを裏付けた今夜のエリオットは、平穏な日常にちょっとしたかんをもたらした。

 二人は今、神殿の居住区画を抜けて、〝御柱ピラー〟に通じる祭殿前に立っていた。

 目の前には、てつごしらえのがんきようとびらがある。てつは固く閉ざされていたが、わきには日頃の出入りに使う小さなくぐも設けられており、こちらはかぎもかかっていない。

 一般人がこの祭殿に立ち入ることはまずないが、神殿に属する者であれば、たとえ見習いしんかんでも自由に出入りができる場所である。ひまを見てはここに来て、個人的ないのりをささげる者も多いと聞く。

 今回の幽霊騒ぎは、深夜に祈りに来た、そうした者達の間から生まれたものだった。

 三つ年下の世話役に向けて、フェリオはくばせをした。その手は早くも、腰に差した細剣レイピアつかにかかっている。もし幽霊騒ぎがだれかの悪戯いたずらとすれば、中にまだ何者かがひそんでいてもおかしくはない。

 エリオットはこつに嫌そうな顔を見せつつ、一応はうなずいて、鉄扉の脇の潜り戸をあけた。


「──先に行ったほうがいいですか?」


 エリオットがおびえた声で問う。フェリオは首を横に振った。


「いや、おれの後から来い。背中側に気を配っていてくれ」


 怯える彼に先を歩かせるのは、さすがに良心がとがめた。エリオットは神妙に無言で頷いたが、その顔は明らかにほっとしている。

 フェリオは先に身をかがめ、ほとんどつんいに近い状態となって、せますぎる扉を抜けた。

 祭殿は、神殿の四階に位置していた。

 石造りの壁とゆかねんこそ入っていたが、特別な部屋だけに清潔に磨き上げられている。

 廊下と違って窓はなく、室内はしつこくやみに閉ざされていた。祭殿として使用する際には、至るところにあるしよくだいあかりがともされるが、今は無人ゆえにその火もない。

 フェリオはランプを片手に、その奥へと踏み込んでいった。

 こつこつとかんだかい靴音が反響し、二人以上の人間がそこにいるかのようなさつかくをもたらす。

 エリオットはぴたりとフェリオの背後につき、きようきようと周囲の様子に神経をとがらせていた。

 祭殿の先には、〝御柱ピラー〟がある。

 神殿の中核をすそれは、神がもたらしたといわれる品だった。

 ランプをかかげたフェリオの視界に、その一部が入る。

 祭殿の正面をめる、なめらかな曲線を描いた黒い壁──それは、柱の側面のごく一部分だった。

 フォルナム神殿のしようちようたる御柱ピラーとは、およそ百メートルの直径をもちながらちゆうに浮く、巨大な円柱だった。フォルナム神殿はその柱を囲んでぞうえいされており、そしてこの祭殿は、そのしんせいな柱に手を触れるためだけに造られた部屋である。

 フェリオは祭殿から、そのようの一部を横目に眺めた。

 柱に近づいてランプを掲げると、黒光りするそのはだには、フェリオの顔が薄く映りこんだ。

 神殿の伝承によれば、その柱は人が現れる以前から、この地に存在していたらしい。

 人々の手がこの柱に触れられたのは、建築技術が発展し、建物がこの高さに及んだ数世紀前のことである。それまで御柱ピラーは、ずっとこの地に浮いてどうだにせず、下に住む人々を見下ろしていた。

 この柱がいつできたのか。何者かの手による建築物なのか、自然の一部として成り立ったものなのか、あるいはそれこそ、神のわざなのか──だれしんそうを知る者はいない。

 大陸には、これと似た柱が、合わせて五本あった。東西南北と中央にそれぞれ一本ずつが浮いており、その周囲にはこうした神殿が同じように建てられている。

 有史以来、人々のけいを集めつつ、時にらんの原因ともなってきた〝御柱ピラー〟──

 フェリオはその柱の一部を指差しながら、エリオットを振りかえった。


ゆうれいを見たのは、このあたりか?」


 エリオットは、大きく首を縦に振った。


「はい。ちょうどそのあたりです。私はこの祭殿の中央付近にいたのですが、そこから柱を振り返ったところ、そこに女の姿が……」


 語るエリオットの表情は、恐怖のためかこうちよくしていた。

 フェリオには、まだ信じられない。


「こんな真っ暗なところで、本当にそんなものが見えたのか?」


 かりにランプのがなければ、そこはしつこくやみである。

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