一.御柱ノ少女 ③

 エリオットは緊張のおもちのまま、ゆっくりとうなずいた。


「はい。薄く発光していたようにも思います。とにかく、その、見えてしまったのは確かなので……もういいでしょう、戻りましょう」


 フォルナムの教義は、幽霊を否定する。死者のたましい神の御手によって救われ、この世に残ることはないとしている。

 その教義に忠実なはずの少年しんかんは、しかしおびえの様子をかくそうともしていなかった。教義とは、おおむね建前のものである。多感な少年は、ありがたい教えを純粋には信じていないらしい。

 教義にとんちやくな自分が幽霊を信じず、教義に忠実なはずのエリオットが幽霊に怯えるという現実に、フェリオはどこかこつけいな印象を抱いた。

 フェリオは、柱の側面にそっと指をわせた。

 そこはひんやりと冷たく、たちまちにてのひらの体温を奪われる。

 柱の側面を軽くこぶしたたいてみると、岩のようにかたい感触だけが伝わってきた。神からたまわった御柱ピラーへのぞうな振る舞いに、エリオットがまゆをしかめた。

 身分の違いに考慮したのか、口では何も言わなかったが、非難の視線に気づいたフェリオはわけじみた苦笑を返した。


「何もないか。そのゆうれいおれも一度、見てみたいな。悪戯いたずらにしても本物にしても」

「私は二度と見たくありません」


 強がることもなく、エリオットははっきりと断言した。フェリオは肩をすくめるしかない。


「また深夜にでも来てみるよ、今度は一人で」

「それはやめてください。もしフェリオ様に何かがあったら、世話役の私が責任を取らされ──」


 おおなげくエリオットのが、不意に大きく見開かれた。

 そのひとみに、ランプとはまた違った淡い光が映り込む。

 とつに、フェリオは素早く柱を振りかえった。

 祭殿に接する、黒い巨大な御柱ピラー──

 その側面に、ほのかに青白く、柔らかい光がともりつつあった。大きさは人と同じほどで、じよじよにそのりんかくがはっきりとしてくる。

 エリオットが、言葉にならない悲鳴をあげた。

 フェリオの眼は、その光景にくぎけとなる。腰を抜かしてしりもちをつくエリオットをほうっておき、フェリオは淡い光のそばに駆け寄った。

 光は、外側から照射されたものではない。明らかに柱の内側からにじんでいる。火の赤いあかりとも、太陽の白い輝きとも異質のものだった。いていえば、水中から月を見上げたような、そんな淡い光である。

 フェリオは、光りつつある場所のすぐ正面に立った。

 不思議と恐怖は感じなかった。幽霊を信じていないせいもあるが、何よりもまず、今は初めての事態に心が騒いでいる。すべてを見届けたいという思いが先に立ち、逃げることも考えつかなかった。

 エリオットが背後でわめく。


「フェ、フェリオ様! 逃げましょう! はやく、はやく!」


 その声は気の毒なほどに震えていたが、フェリオは振りかえりもしない。ただ、柱の側面を観察するように見つめ続ける。

 光はごく薄いものだった。もしここがくらやみでなければ、見過ごしてしまいそうに弱い。その意味でも、それは月の光に似ていた。

 そのりんかくが人の姿に近づきつつある。

 背後でエリオットが、早口に神のを唱え始めた。

 そこにうっすらと浮かび上がってきたのは、一人の少女の姿だった。

 フェリオは、じっと彼女を見つめた。

 背を丸めてひざかかえ、眠っているように見える。服装や表情ははっきりとしないが、まるで水中にいるかのように、長くつややかな黒髪がゆったりと周囲に広がっていた。

 淡い光は、彼女の手元かられている。両腕にはめた飾り気のない白いうでが、ほのかに発光しているのだった。

 柱の内側に浮かび上がったその姿は、ちようぞうを思わせる整ったもので、少なくともゆうれいのようには見えない。

 黒いはずの柱が、その部分だけ半透明の水に転じたようなさつかくを覚えて、フェリオはつい、反射的に手を伸ばした。しかし触れた側面は、氷のように冷たくかたいままで、さきほどまでと何も変わっていない。

 体を丸めたその少女の姿に、エリオットが震える声をあげた。


「……あ、あれ……? さっき、見たのと違うような……」


 その言葉を聞き流して、フェリオは両手を柱にえ、中に向けて声を張った。


「おい! 君!」


 間近で見ると、彼女は生きた人間としか見えなかった。呼びかけながら、フェリオは片手でに柱をたたいた。手にこぶしをつくり、とびらを叩くようにして中に呼びかける。

 腰を抜かしていたエリオットがあわてて立ち上がり、その背に飛びついた。


「フェ、フェリオ様! 御柱ピラーに対して、そのような──!」


 軽く叩く程度とはわけが違う。かつてあった戦乱の折には、争いの原因ともなった御柱ピラーこわそうと、剣やつちで激しい攻撃を加えた者達もいた。それらの攻撃は、しかし強固な御柱ピラーにはかすり傷さえもつけられなかったが、ぼうとくてきな行為には違いない。

 しかし、幼いころから剣術で鍛えたフェリオに対して、制止する側のエリオットは非力に過ぎた。背中から押さえはしたものの、その動きを止めるには至らない。

 フェリオは構わず、巨大な柱の側面を叩き続ける。

 フェリオのにはその時、その少女が、まるで柱にとらわれているかのように見えていた。

 何故なぜそんなふうに思ったのかは、フェリオ自身にもよくわからない。しかし、目の前にいる彼女がおそらくは生きていて、そして自由とはいえない環境にあることは明らかだった。


「よく見ろ、エリオット。この子、ゆうれいじゃなくて人間だ。この中にいるんだよ」

「そんな鹿な! 御柱ピラーの中に、人などいるはずが──だいたい、入り口もないのに──」


 エリオットは否定したが、その視線は動揺のために揺れていた。

 フェリオは、ひときわに強く柱を叩いた。


「聞こえていたら、返事をしてくれ。君は何者だ。何故、そんなところにいる?」


 少女は反応を示さない。フェリオの肩口から、エリオットもおそおそると彼女をのぞいていた。


「フェリオ様、聞こえていませんよ。こ、ここはあきらめて──」

「エリオットは、この状況が気にならないのか? こんなにはっきりと見えているのに」


 フェリオは心持ちきびしい声を張った。エリオットは、苦しげにまゆをしかめる。


「しかし、これではどうにも──それに、もし何か危険があったら──」


 こんわくのために歯切れの悪い口調で、エリオットはそうつぶやいた。

 そんな彼の制止を振りきり、フェリオは柱の中に向け、重ねて声を張った。


「おい! 聞こえないのか!」


 かかえたひざに顔をうずめた少女は、やはり少しも反応しない。

 淡く光る彼女のうでは、壁一枚をへだてたすぐ目の前にあった。ぼんやりとした光は、だんだんと強さを増しつつあり、姿をよりあざやかに浮かび上がらせる。

 そしてフェリオは、彼女が身に着けた衣服の奇抜さに気づいた。

 細いながらも柔らかい曲線の目立つ体型は、明らかに娘のそれだった。しかし、彼女は男がはくような長ズボンに、飾り気のないながそでのシャツを着ていた。すそにも袖にもまるでだぶつきがなく、きつく仕立てたように体にんでいる。シルエットだけを見れば、はだかかとさつかくしてしまいそうな姿だったが、実際にはだしゆつしているのは、わずかに顔と手の部分だけだった。

 どんな布でどんな仕立て方をすればそんな服になるのか、フェリオには想像がつかない。

刊行シリーズ

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