一.御柱ノ少女 ④

 エリオットは、フェリオの背にしがみついたまま固まっていた。その彼が、不意に耳元でうらがえった声をあげる。


「フェリオ様! それは……?」


 頭の後ろから現れたエリオットの指が、フェリオの衣服の胸元を差していた。指摘されて視線を転じたフェリオは、そこに白い輝きを見つけ、あわててそのしようたいを確かめる。

 発光していたのは、幼いころにある友人からもらった、ペンダントの石だった。

 初めてにする現象に、フェリオも、そしてエリオットも、そろって息をんだ。

 フェリオが手につかんだ〝生命の輝石セレナイト〟は、小さな太陽に似た白い輝きを宿していた。しかしそれでいて、特に熱を発するということもない。

 輝石セレナイトの輝きを受けてか、柱の中の少女が、不意にその身を震わせた。

 ひざから顔をあげた少女は、フェリオと視線が合うや、その眼を大きく見開かせる。

 フェリオも、その顔をはっきりと見た。

 まぎれもなく、彼女は生きた人間だった。見たことのない娘だったが、としの頃はフェリオに近く、神や悪魔とおぼしき要素は何もない。身につけた奇妙な衣服が、やや不思議な印象を漂わせていたが、それとて一見して服とわかる品である。

 フェリオは、背に震えを感じた。恐れたわけでも、驚いたわけでもない。ただ未知の事態に心が震え、それが体にもでんした。

 フェリオは彼女をじっと見つめた。少女のほうも、大きなひとみでフェリオを注視している。

 少女はひどく疲れているようで、そのそうぼうはどこかうつろな色をたたえていた。驚きに見開かれたのはほんの一瞬で、今はぼんやりと、フェリオを見つめている。

 柱の壁をへだてた二人の間で、〝生命の輝石セレナイト〟が強く輝いた。

 その光を求めるようにして、少女が奥からゆっくりと手を伸ばした。つられてフェリオも、柱の壁に手をえる。

 壁のしよつかんが変わっていた。

 少女が手を伸ばしたことに反応したのか、かたくフェリオを拒絶していた壁が、ぬるりとフェリオの手を飲み込んだ。よどんだ水に似た感触が、腕の中ほどまでを包みこむ。

 フェリオは驚きながらも、そのまま少女に向けて手を伸ばした。

 一瞬の間を置いて、そのてのひらに少女の手が重なった。

 背後のエリオットが、うろたえてまた悲鳴をあげたが、フェリオはそれを無視して、少女の手を強く摑んだ。柔らかい肌は少し冷たかったが、確かに人の体温を備えている。ゆうれいなどではない。

 摑んだ彼女の手を引っ張ると、少女は抵抗もせずに、そのまま柱の外へと抜け出してきた。壁面はあっさりと彼女の身を解放する。

 出てきた少女の足取りはひどくふらついており、フェリオはとつに彼女を支えるとなった。

 倒れかかってくる彼女を、体全体で抱きとめた瞬間に──少女のくちびるが、かすかに動いた。


「──殺さないで──みんなを──」


 少女は確かに、消え入りそうな小声でそう言った。

 フェリオはわけがわからずに、抱きとめた彼女を揺さぶる。


「おい! 大丈夫か!? しっかり……」


 少女は、もうを閉じていた。どうやら気絶したらしく、起きる気配はない。

 輝石セレナイトの光は消え、少女のうでも光を失い、柱は元の通りの黒くかたい壁面に転じていた。

 辺りがせいじやくに包まれる。祭殿はあくまで暗く、すうしゆん前に起きた異変の名残なごりをたちまちに消し去っていた。

 少女をかかえて揺すったフェリオの腕に、ぬるりと嫌な感触が流れてきた。

 そのしようたいに気づいたフェリオは、たちまちにけわしくまゆをひそめる。


「エリオット! りようを呼んでこい! この子はおれの部屋に運ぶ」

「……え? えぇ!?」


 いつのまにかまたへたりこんでいたエリオットは、とんきような声をあげた。

 フェリオはいらついて声を張る。


「この子はをしているんだ! 出血が多い。早く手当てしないと……」


 フェリオは少女の身を抱え、暗い中に傷口を探しながら言った。

 フェリオの手を汚したのは、少女の体からあふれた生温かい血の感触だった。

 奇妙な服の脱がし方がわからずに、フェリオは傷口の見当だけをつけて、彼女の身をそっと抱えあげる。傷は腹部のどこからしい。血が溢れ、浅黒く服にみていた。

 ランプの明かりでよくよく見れば、少女の顔や服には、いたるところに返り血らしきものもついている。まるでついさきほどまで、戦場にでもいたかのようだった。

 フェリオは、まだ動けずに震えているエリオットをにらみつけた。


「エリオット、座りこんでいないで急いでくれ。施療師を俺の部屋に連れて来い。それから、ここで見たことは他言無用だ。施療師にも俺から話すから、それまでは黙っていろ」


 エリオットは無言でこくこくうなずくと、ようやく立ちあがり、転げるようにして駆けていった。

 フェリオは気絶した少女をしんちように抱え、急ぎ足に歩き出した。

 祭殿を出るぎわになって、ほんの数瞬、柱を振りかえる。

 少女を抱えたために持てなくなったランプが、薄ぼんやりと柱の一角を照らしていた。

 腕の中にある彼女を解放した御柱ピラーは、まるで何事もなかったかのように、ただの壁へと戻っていた。


       +


 その日、フォルナム神殿のじんレミギウスは、常より少し早めにとこにつこうとしていた。

 もうじき、例年のごとくにせいさいの季節が巡ってくる。ひとたび祭りの準備に入れば、神殿の関係者にはの回るようないそがしい日々が待っていた。レミギウスもゆっくりと休めるのは、あと数日のことである。

 神師である彼は、フォルナム神殿における最高位にある。

 こうこうぜんとしたおだやかな性質で、神殿の内外を問わず、人々の信望も厚い。神師の職についてから五年がち、すでに高齢の身だが、老いてなおかくしやくとして日々のしつをこなしていた。

 それでもここ数年は、自身の老いを自覚している。執務の疲れがなかなか抜けない。

 レミギウスが床に入ってしばらくすると、従者が寝室のとびらたたいた。


「レミギウス様、お休みのところ、失礼をいたします」


 おんなしんかんの声に、レミギウスは閉じていたまぶたを開けた。まだ眠ってはいなかったために、すぐに身を起こす。


「何か、ありましたか」


 レミギウスは、穏やかなしわがれ声を扉の向こう側に投げた。

 一度は床についた神師をわざわざ起こすというのは、じんじようなことでない。

 扉越しに、女神官が申し訳なげにこたえた。


「たった今、はしらもりのコウきようがお見えになりまして、至急、レミギウス様にお会いしたいと──」


 レミギウスはまゆをひそめた。その名は、この神殿のだれもが知る高位のせいじんのものである。役職としてはレミギウスのほうが上だが、実質的には頭のあがらない存在だった。


「コウ司教が……わかりました。すぐに着替えますので、手伝ってください」


 レミギウスがベッドから立ちあがるのと同時に、部屋の扉が開いた。入室してきた女神官のメイヤーは、慣れた手つきでてきぱきと、老いた神師の支度じたくを手伝い始める。

 彼女はレミギウスの従者であると同時に、その孫娘でもあった。今年で十七歳になったが、すでに正式の神官として役職を得ているしゆんさいである。そのしゆつの背景には、神師であるレミギウスの影響もあったが、そのことを抜きにしても、彼女はけいけんなフォルナムの神官だった。

 きらびやかな金髪を頭の後ろで束ねた少女は、服を着る祖父の髪を器用にくしで整える。


「メイヤー、コウ司教は、どんなご用向きとおっしゃっていましたか?」


 祖父の問いに、メイヤーははつまなしをわずかにくもらせた。

刊行シリーズ

空ノ鐘の響く惑星で外伝-tea party’s story-の書影
空ノ鐘の響く惑星で(12)の書影
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