第一章 保父になりたい男 ①

     1


「もしもし。ああ母さん」


 青年がそう言ったたん、受話器の向こうからマシンガンのような声が響いてきた。

 青年は顔をしかめた。内容なんて聞かなくたって分かる。

 親の金でどうたらこうたら、お前みたいな鹿はどうたらこうたら、お姉さんを見習いなさいとかどうたらこうたら。

 そんなお小言なのだ。

 しかし落第してしまった身としてはここは素直にお小言にえるしかなかった。


「ごめんよ。母さん」


 青年はごころ三十パーセント、おざなり七十パーセントで謝った。

 学校の食堂の電話でペコペコ頭を下げる男がめずらしいのか人々が面白そうに見つめていく。そんな中で青年は受話器に向けて謝罪を続けた。

 お小言は二十分も続いた。

 青年は三枚目のテレホンカードを緑の電話機にそうにゆうした。


『まあ、落第しちまったもんはしょうがないけど』

「とまあそういうわけだから」


 青年はあんのため息をき出した。これでやっと本題に入れる。


「ところでさ。さっき仕送りを下ろしに銀行へ行ったんだけどさ」

『どうかしたのか』

「いや、僕はうれしいんだけど……一体どうしちゃったの?」

『なにがだい?』

「なんか、いつもより多いんだけど」

『ああ、それかい』


 受話器の向こうの母親はいつもと変わらない口調で平然と言ってのけた。


すずとお前の二人の生活費だよ。しっかりめんどう見るんだよ」


 青年は受話器を手にこんわくした。

 小鈴? だれじゃそりゃ。


「ねえ母さん。小鈴って誰?」

『何言ってるんだよ。すず


 母は鹿にしたような声を上げた。


『お前の妹じゃないか』

「………………」


 青年が言葉を失った理由を説明するまでもないだろう。

 いやいちおう説明しておいた方がいいな。

 青年の記憶が正しければ彼には妹がいなかったのだ。

 現在なが県で保母をやっている三つ年上の姉との二人姉弟。そのはずだ。


「何言ってるんだよ母さん。僕に妹なんかいるわけないだろ」

『鈴雄。お前落第したショックで頭がおかしくなっちゃったんじゃないの?』


 今度は心配したような返事が返ってくる。


『お前がこれから一生けんめいやるって言うんなら、父さんも母さんも仕送りを止めるとか言わないから安心おし。ただし今度はしっかりやるんだよ。もっとも保父になりたいなんて考えは止めて家業をついでくれるっていうんならそっちの方がありがたいけど』

「ちょっと母さん」


 青年は受話器に向かってった。


「だから妹って」

『今朝出発したからね。もうそろそろそっちへ到着してんじゃないのか。ちゃんと小学校とかの手続き、やってあげるんだょ。お前はぉ兄ちゃんなんだから』

「母さん! 母さん」


 ぴ~~~~~。

 無責任にも電話はとうとつれた。

 テレホンカードがてん寿じゆをまっとうしたのだ。

 青年はポケットをまさぐり古ぼけた財布を取り出したが小銭の重みは感じられない。

 予想通り小銭入れはカラッポ。先程銀行から引き出してきた仕送りの万札が一枚。

 青年は受話器を置くとため息をき出した。


「母さん。僕が落第したショックでおかしくなっちゃったんじゃないか?」


 思えば、この時こそ、さくらざき鈴雄が異変とせつしよくした最初の時だったかもしれない。


     2


 がわはずれ、都心部から少し離れた所。

 なかそらまち

 そこにその学校はあった。

 なるがき児童学専門学校。

 生徒、関係者からはワルガキ専と親しみとを込めて呼ばれてる。

 簡単に言えば保父母の養成学校である。

 もとは女子短大であったが三年前に専門学校と名を変え保父になりたい男性の入学も認めるようになった。

 男子入学を許可してからまだ日が浅いため全校生徒二百三十名中男性は十八人という状況である。

 知らない人からみればまるでうらやましい状況かもしれないが、これがいちがいにそうは言えないところが世の中っちゅうもんなのである。

 女は確かに多い。

 確かにかわいい人もいる。

 男は少ない。

 イコールウハウハのハーレムかというとそれは今世紀最大の間違いなのだ。

 別に南海のとうにある学校ってわけじゃないのだ。

 町へ出れば男はいる。

 近くにいくつも大学はある。

 ほとんどのワルガキ専の女子学生が保父になろうなんてすいきようなことを言っているオカマチックでなよなよした男には目もくれなかった。

 したがってワルガキ専、一年K組、さくらざきすずも例にれることなく彼女いなくてらしが寒いぜって状況を続けているのである。

 ヘーックチ。

 この学校に通う生徒は大きく分けて二種類に分類された。

 一つはに保母、保父になろうといきごんでいる者。

 もう一つは高卒ってのもなんだしなぁぁぁって感じでひまつぶしに来ている人々。

 桜咲鈴雄はりつなことに前者だった。

 かくして保父になるためにはげんでいるのだったが………。

 彼は見事に落第した。

 見事だった。

 確かに彼ののうが全国平均よりも効率が悪いとか物覚えは悪いくせに物忘れは人一倍早いとかそういう理由もある。

 しかし落第のネックとなったのは。

 鈴雄は自分のこつな指を見下ろした。

 見た目から推測できるような指なのだ。


「ピアノって難しいよな」


 ピアノがける! これは保母、保父には必要不可欠なことなのだった。

 すずすじがね入りのようだった。

 鈴雄は財布に入っていた食券であんパンを購入するとテーブルについた。

 何か飲物が欲しいところだが万札をくずす気にはなれない。


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 あんパンをかじり、そしてたんそくする。


「大丈夫かよ」


 鈴雄は母親ののうを心配した。

 落第が決まった春休み、もちろん故郷に帰って目の玉が飛び出るくらいおこられた。


「もうあんたなんかに仕送りなんかしませんから!」


 確かそうられたはずなのに。

 昨日送られてきた仕送りの金額に驚ききつなものを覚えて電話をかけてみた。

 まさかあんなことを耳元でわめかれるとは思ってもみなかった。


「妹?」


 鈴雄はもう一度記憶の糸をたどった。

 やはりいくらたどっても妹という単語は出てこないままはしに至る。

 すず

 名前でけんさくしても。やはり聞き覚えのない名前だった。

 長女、すず。長男、鈴雄。

 二人そろってチリンチリンコンビである。

 もし妹が生まれていたならば小鈴と名付けられても不思議はない。

 鈴。鈴雄。小鈴。

 三人揃ってチリンチリンチリントリオである。

 鈴雄の頭に三人でタキシードを着てベルをかなでる場面が浮かび上がった。

 なんかはまってた。

 が、すぐに脱線するこうという名の快速電車をもとの線路に戻す。


「妹ねぇ」


 三十秒ほどぼんやりと考えて鈴雄は結論をつけた。

 やはり、これは母親の精神に何か異常があったに違いない。

 落第がそうとうこたえたのだろうか?


さくらざき


 に肩をたたかれた鈴雄は体ごと振り返った。


「お前入学式出たのか?」

「出るわけないよ。先生」

「それもそうだな」


 四十代前半の児童心理学の教師、さいとうはにやけた笑みを浮かべつつすずの前の席に座った。

 湯気の立つラーメン二杯を乗せたトレイと共に。


「もと女子短大だからな、めしの量が少なすぎる。そうは思わないか」

「こっちは飯の量を気にしてるゆうなんかないんですよ」


 鈴雄はき捨てるように言った。


「落第したからっておれに当たるなよ」

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