第一章 保父になりたい男 ②

 斎藤は口をとがらした。


「俺だってけつこうお前が進級できるよう話はしてみたんだぜ。まあだったけどよ」


 斎藤はキョロキョロとあたりを見渡す。

 鈴雄はとなりのテーブルに手をばすとわりばしを取り斎藤に渡した。


「おっありがとよ」


 斎藤は満面の笑みを浮かべるとようにそれを片手で割ってみせる。


「お前にできるか?」


 ニヤッと笑うともうぜんとラーメンを食べ始めた。


「まあな。落第の一回や二回なんて長い人生の中じゃほんのさいな問題なんだぞ。落ち込むだけ損ってもんだ。幸いこういう学校だからな、同じ学年でも年の違うやつはいくらでもいる。まあお前なら落第なんて平気だろ」

「どうして僕なら平気と言い切れるのか児童心理学の先生として心理学的、学術的こんきよに基づいて説明して欲しいですね」


 にくのこもった言葉だった。


「簡単に言うとだな」


 さいとうはラーメンをすする手を止めるとすずにシナチクをはさんだわりばしを突きつけた。


「この学校の男の特徴って知ってるか?」

「さあ」

「女が多いことに興味を覚えて入学して来た鹿もの。まあこれは想像とのギャップの深さにさっさとめてくから除外してもいいだろう。残ったのは幼児教育関係の仕事につきたいと思っているやつらだがな」

「そいつらがどうしたの」

「大きく分けると二つに分かれるんだ。母性愛に目覚めた奴と父性愛に目覚めちまった奴。母性愛に目覚めた奴はまあワルガキ専の男が周りからオカマとかホモとか言われる奴らだ。彼らは女子の中でも周りを意識しない。完全にゆうできるんだ。だからそんな奴らはかいようにはならない」


 斎藤はシナクチを口に放りこんだ。


「お前は父性愛に目覚めたタイプだ。だからかたせまい思いを感じそしてこれまでえてきた。それだけのにんたいりよくがあれば落第なんてでもないだろ」

「あのね~~~。問題は僕一人じゃないんですよ」

「家族か……。だがまあこの不景気に保父になるなんて言い出したむすきよようした家族だ。一回くらいの落第許してくれるって」


 けいはくそうに笑う斎藤の顔を鈴雄はするどい目つきでにらみ上げた。

 もっとも生まれつきにゆうな顔にはくりよくかいだった。


「そうそう、お前に言っておかなきゃあかん」


 斎藤はからになったラーメンのうつわを前にしてしんみような顔つきで言った。


「今日からサークルのかんゆうをやってもらう」

「えっ?」


 鈴雄は訳が分からないといった顔を見せた。


「何も知らない新入生がわんさかいるんだ。サークルを通してしんぼくを深めていろいろと教えて上げる。う~~ん。青春じゃないか」

「ちょっと待ってくださいよ」


 鈴雄は斎藤の言葉をさえぎるとんでふくめるように、


「確か僕はどうしても人数が少ないからって仕方なしに名前を貸しただけだったはずですよ。活動だって今まで一度も参加してないし。何もわざわざそんな僕を引っ張り出さなくても」

だれもいないんだ」


 さいとう白髪しらがかみの毛を指でもてあそびつつ、あっさりと言い放った。


「もともと昨年の二年生が二人で盛り上がってたサークルなんだ。卒業しちまった後は誰もいない。つまりだな」


 斎藤は腕をばすとすずの肩をポンとたたいた。


「君が部長だってことだ」

「ちょい待ち!」


 鈴雄はかんはつ入れず待ったコールを上げた。


「斎藤先生。気は確かですか?」

「私はいつでもこれでもかってくらい確かな気を保っていると自負しているがな」

「子育て研究サークルでしたっけ」

「そうだ」

「僕にその部長をやれとおっしゃってござんすんか?」

「そうだ」


 斎藤はマリアナかいこうよりも深くうなずいて見せた。


です」


 鈴雄は力いつぱい即答した。


「僕はサークル名以外は何も知らないんですよ。活動内容、活動日、会費」

「活動内容、子守。活動日、おれがかみさんと出かける時。もしくは別の教授から頼まれた時。会費、当然ゼロほうしゆうだってもらえるぞ」


 どうだってばかりに鈴雄を見下ろす。


「とにかく無理なものは無理なんです!」


 かじりかけのあんパンを袋に戻すと鈴雄は立ち上がった。


さくらざき


 斎藤は冷静な口調で背中から声をかける。


「今後の児童心理学の試験のことなんだが………………事前に俺がヤマをかけてやろうか」


 時代劇でよくある笑みを浮かべる斎藤。


「本当はいけないことなんだが、まあもしお前が部長という大役をやってくれると約束してくれるならばだな」


 ピクピクピク。

 鈴雄のほおが動いていた。

 彼の頭の中では激しいかつとうが行われていた。


「まっ気が向いたら午後の授業終わったら俺の所へ来いや」


 斎藤はまるで人生をじゆくしたろうのように意味ありげな笑みを浮かべてみせた。


「人生助け合いだよ。分かるね」


     3


「人生助け合いだよ。どうやら分かってくれたようだね」


 さいとうえんりよのない笑顔を受けてすずは少しだけこうかいしていた。

 やはり悪魔サタンゆうわくにまけないでさっさと帰宅した方がよかったかもしれない。


「さあこれを持って校門の所でよろしく頼むよ」


 斎藤から手渡された大きな旗にはへタクソな字でこう書かれていた。


『子育て研究サークル。会員募集中』

「目標五名! はりきって行こう! 希望者には住所とか電話番号このノートに書いてもらってくれや」


 どだいな話だったんだ。

 薄暗くなった校門のわきに腰を下ろして鈴雄はため息をき出した。

 現在五時三十分。

 鈴雄が校門でこのずかしい旗を振り始めてからすでに二時間の時が流れていた。

 川の流れのように流れた二時間が無意味に終わったのは手にしたノートが白紙であることからうかがえた。

 鈴雄の前をたくさんの人々が通り過ぎていった。

 だれも鈴雄には目もくれなかった。

 そのかわり校門を出たすぐの所でBMWのスポーツカーのわきに立って歯をキラリとさせている男には皆尻尾しつぽを振って集まっていった。

 むぎいろで長身なその男は市内の大学生らしくサークルのかんゆうをしていた。

 鈴雄はがんばった。

 それなりにがんばった。

 誰も彼をめることなぞできないのだ。

 ルックス、学力、その他モロモロ。

 勝ち目のない相手を前に必死に旗を振った鈴雄の姿はらしかった。

 ただその素晴らしさに気がついてくれるひとがいなかっただけなのだ。

 そして誰もいなくなった。

 鈴雄はほうぜんと座り尽くしていた。


「チクショ~~~」


 めずらしく鈴雄はをこぼした。


「学歴がなんだ! 保父目指して何が悪い! 車持ってなくて何が悪い! 金持ってなくて何が悪い! 人間の価値なんてそんなもんじゃ測れないじゃないか!」


 ひとしきりわめくとすずこうべれた。

 喚いてはみたが鈴雄は理解していた。

 自分の頭が悪いことも。将来性がないことも。


「まあくよくよしててもしょうがないんだけどね」


 立ち直りが早い男だった。


「結局白紙のままか」


 ノートに目を落とす。

 白紙は目が痛くなるくらい白紙だった。

 そんな白紙を見ているとか腹が立ってくる。

 鈴雄はブロックそうされた校門のわきに座り、ノートを広げるとボールペンでつらつらと悪戯いたずら書きを始めた。

刊行シリーズ

住めば都のコスモス荘SSP お久しぶりにドッコイの書影
住めば都のコスモス荘SP 夏休みでドッコイの書影
住めば都のコスモス荘(4) 最後のドッコイの書影
住めば都のコスモス荘(3) 灰かぶり姫がドッコイの書影
住めば都のコスモス荘(2) ゆ~えんちでどっこいの書影
住めば都のコスモス荘の書影