第一章 保父になりたい男 ③

 昔覚えた絵描き歌なんぞを書きつらねる。

 そんなお鹿をやっている鈴雄の頭上からその声はかけられた。


「何なさってるんですか?」


 鈴雄は顔を上げた。

 ロングヘアの上品そうな顔がそこにはあった。

 清純そうで純情そうで、せいな感じの少女がそこにはいた。

 鈴雄は胸がドキドキするのを感じた。元来れやすいたちなのだ。

 少女はしばし鈴雄の顔を見ていると何かに気がついたかのように口元に笑みを浮かべた。


「もしかして1年K組の方ですか?」

「え? ええ」

「なんだぁ。そうだったんですかぁ」


 少女はため息をき出すと、


「今日の授業の時、おくれて入ってきた方ですよね」

「って、君もK組なの」

「はい」


 少女はちやのあるコケチッシュな笑みを鈴雄に向けた。


「今日なるがき児童学専門学校に入学したぎくあさと言います。現在十八歳。来月十九歳になります」


 礼儀正しくおする朝香。

 いまどきこんないいいますか?

 鈴雄はぼうした。感涙である。

 あわてて立ち上がるとこちらもおおげさなくらい頭を下げて言った。


「昨年からワルガキ専でお世話になっているさくらざきすずという者です。です。でも成人式は来年です」


 早口にまくしたてた後、鈴雄はこうかいの波が押し寄せてくるのを感じた。

 それは伝説のサーファー、まさのりまんでも乗り越えることは不可能だろう。

 落第したことがばればれではないか!

 鹿がばれてしまうではないか。

 しかしあさちようしようの笑みを浮かべたりなどはしなかった。


「じゃあ先輩なんですね。よろしくお願いします」


 再びおをしたのだった。

 ねえあんた。今時こんないいいまっせ?

 鈴雄は道ゆく人々にそう言って回りたいしようどうにかられた。


「これからもいろいろお世話になると思いますけど。どうかじやけんにしないでくださいね」


 それから朝香は興味深そうな顔つきで鈴雄の後ろの旗に目を向けた。

 そしてたずねた。


「子育て研究サークルってどんなサークルなんですか?」

「え、ああこれね」


 鈴雄の中のあくちゃんがニヤリと微笑ほほえんだ。

 うそでもなんでもこいてこの少女をこのサークルに入れられないだろうか?

 しかしすぐに自己けんおちいる。

 こんないい娘をだましてこのくだらないサークルに入れたところでいつたい何を得るというのか?

 つかの満足感か?

 一生ざいあくかんか?

 鈴雄は心の中でニヤリと微笑んだ悪魔くんをどつき飛ばした。


いちおう子育てを研究するサークルってことになってるけど」


 そこで鈴雄は声をひそめた。


「実際は顧問の教授が奥さんと外食する時とかの子守に使われるだけの意味のないサークルだよ」

「鈴雄さんはどうして入ってらっしゃるんですか?」

「昔、名前を貸してたんだ。そしたら先輩が卒業して知らない間に僕一人になってた。なんか知らないうちに部長ってことになっちゃっててさ。その後は川の流れのように流れて今日に至る」

「じゃあ鈴雄さんしかいないんですか」

「今のところはね。多分これからもそうだろうけど」

「私入りたいな」

「そうそう、普通の人はそう言う……」


 すずは顔面をこうちよくさせた。

 先程耳に飛び込んできた言葉がようやくのうに到達したのだ。


「今……なんて言った?」

「入りたいって言ったんです」


 聞き間違いではなかった。

 鈴雄は口をあんぐりと開けた。


「サークルに入れてくれませんか」


 鈴雄ははじけ飛んだ。

 いつしゆん空気にしんとうした後再びぎようした鈴雄はそのほおをつね上げる。

 メッチャ痛かった。

 この痛みは夢ではないあかし

 それでも信用できない鈴雄はさらに校門にごんがごんがと頭を打ちつけた。

 やっぱり痛かった。

 それでやっと気がついた。

 これは夢という名のまぼろしではないことを。


「あの、本気ですか?」


 鈴雄がおずおずとたずねるとあさは深く深くうなずいた。

 その顔にじようだんとか躊躇ためらいとかそういったものは見られない。


「それじゃ。ここに名前と住所を」


 鈴雄はあわただしい動作で落書きの書かれたページを破りとると、白紙のページを朝香に突き出した。


「あの、ボールペンか何か持ってます?」

「ええ、ああどうぞどうぞ」


 胸ポケットに突っ込んであったボールペンをつかむと朝香に手渡す。

 つらつらと名前を書き始める朝香を鈴雄はがみさまを見るような目つきで見下ろしていた。

 もしかして、僕はこの訳の分からないサークルに入ってラッキーだったのかもしれない。

 これからこのおしとやかで清純で可愛かわいらしい少女と青春をおうする。

 今までの歴史がさんざんたるものである分、鈴雄にとってそれは天国のように思えた。

 鈴雄の頭に駅前のフルーツパーラーで朝香といつしよにあんみつパフェをつつく光景が浮かび上がる。

 パラダイスだった。

 地上の楽園だった。

 ブルルルルルルルウル。

 すずの楽園生活は車のエンジン音が空気を振動させるまで続いた。

 鈴雄とあさは反射的にそちらへ目を向けた。

 校門の前に一台のスポーツカーが止まっていた。

 車関係にはうとすぎるほどうとい鈴雄にその車がどのメーカーのなんていう車種なのかは判断できなかったが、これだけは言えた。

 そんじょそこいらの学生が通学用に使っているにしては高価過ぎるしろものなのだ。

 鈴雄はいやな予感がした。

 先程までここでサークルのかんゆう活動をして鹿な女共をかっさらっていった人さらいの乗っていた車とよく似ているのだった。

 ドアからジャニーズ系の二枚目長身男が出てきたしゆんかん鈴雄は確信した。

 こいつが何のために車から出てきたのかを。


「やは」


 歯をキラキラさせつつ男は朝香に近寄ってくる。

 鈴雄の手の中にリボルバーがあったならばまよわずがねを引いちゃったかもしれない。

 が、鈴雄の手の中にはくしゃくしゃとなったノートのみ。

 男は朝香の前に立つとざ~~とらしく笑った。


「僕はとなりまちもりもと中央医療大学の三年で森本ひでっていうんだけど。君、テニスサークルに入らない?」


 名門だった。

 鈴雄ごときの学力では片足をかけるのも不可能だろう。

 うっせーこの歯に豆電球んだよ~~なろう。人が話してる時にしゃしゃり出てくるんじゃねえよ。常識ってのを考えろよ!

 なんて心で叫ぶがとても実際に口にするようなことはできない。

 こわいから。

 おくびようだから。

 自分に引け目を感じてるから。

 そんな鈴雄をしりに、森本は聞かれもしないのにぺらぺらと続けた。


「まあいちおう、理事長の孫で親父は病院の院長なんだ」


 何が理事長の孫で親父は病院の院長だよ。僕のじいさんの名前は次郎長っていうんだぞ。しかも父さんはひどい便べんしようなんだぞ。僕は次郎長の孫で親父は病院でかんちようだぞ!

 いかりのあまりか訳の分からないことを頭の中でじゆもんのように繰り返す鈴雄。


「将来は僕も医者になろうかな~~~って考えてる」


 森本はハハハハハハと笑った。

 確かにそこには通俗的なかっこよさがあった。

 すずが何百年かかっても追いつけないものがそこにはあった。

刊行シリーズ

住めば都のコスモス荘SSP お久しぶりにドッコイの書影
住めば都のコスモス荘SP 夏休みでドッコイの書影
住めば都のコスモス荘(4) 最後のドッコイの書影
住めば都のコスモス荘(3) 灰かぶり姫がドッコイの書影
住めば都のコスモス荘(2) ゆ~えんちでどっこいの書影
住めば都のコスモス荘の書影