「というわけなんだ。僕達のテニスサークルに入らないかい? 週に二回、うちの大学のテニスコートでやるんだ。先輩後輩の区別もないし年に二回、親睦を深めるため軽井沢の僕の別荘で合宿するイベントもあるんだ」
負けた。
鈴雄はがっくりと頭を垂れた。
格の違いというものを思い知らされた。
自分は別荘どころか車すらない。
森本が今着ているような洒落た服も、高そうな腕時計も、キラリと光る歯すら持っていない。
クールなボイスも持っていなければ身長もない。
「さぁとりあえずどこか喫茶店にでも行こうか? そこで話をしよう」
森本は強引に朝香の腕を摑んだ。
「あの、申し訳ございませんが私今、こちらの方とお話を」
「いいじゃないですか。そんな人」
「でも」
「さぁ」
「でも」
朝香は抵抗の素振りを見せている。
さすがに鈴雄もここで黙って見ているわけにはいかない。
ここで黙って見ていたらオチンチンを切り落とされても文句は言えない。
ワルガキ専の男はやっぱりなよなよした奴ばかりだと後ろ指差されてしまう。
「ちょっと待ってくださいよ」
鈴雄は勇気を振り絞るとその二枚目に近寄った。
「なんだね君は」
森本が向けた視線。
それは侮蔑だった。
自分より頭悪い奴、自分よりも金持ってない奴、自分よりもルックスが劣る奴、自分よりも身長が低い奴。
悲しいことに全て当てはまっていた。
鈴雄は途端におよび腰となる。
一度は上がった勇気バロメーターがぐぅぅぅぅぅんと下がった。
「いえ、そのあの。その。彼女嫌がっているようだし」
「子育て研究サークル?」
森本は馬鹿にしたような目でそのおめでたい旗を一瞥した。
「こんなサークルより僕達の所の方が面白いよ。君も入るかい」
森本は鈴雄の頼りない背格好、ひ弱な手足を一瞥して、
「ちょっと君には無理かなぁ。あんまし運動できる方じゃないだろ」
なんて笑いやがった。
高校時代体育の授業中テニスの硬球を顔面で受けとめて血塗れになった苦い経験を持つ鈴雄は言い返したくとも返せない。
「さ、車へどうぞ」
さらわれてゆく朝香を鈴雄は唇をへの字に曲げつつ涙目で見つめた。
どうして世の中はこんなにも不公平なのだ。
そう自問しつつ。
「あ~~~~~~もう我慢できない!」
突如、そんな叫び声が響いた。
「ざけんじゃないわよ! このスケコマシ野郎が!」
鈴雄が吐き出したい言葉を代弁してくれる人物がいた。
初め鈴雄はそのパンチの利いた言葉が誰から発声されたのか分からなかった。
女の声だった。
自分ではないことは確かだ。
当然森本でもないだろう。
辺りに人影はない。
と、いうことは…………。
鈴雄は信じられないといった顔で朝香の後ろ姿を見つめた。
朝香は森本の手を振り解いた。
「あんたのような馬鹿の魂胆なんかとっくに分かってるのよ」
やはり朝香だった。
森本も呆然と目をぱちくりさせている。
「あわよくばどっかのホテルに連れ込んで×××で×××で×××んなことまでやらせて、ついでに△△△で△△△なら△△△しようとでも考えてるんでしょ」
横で聞いていても頰が赤くなってしまうような言葉を連呼する朝香。
髪をかき上げた朝香の顔が垣間見える。
そこには清純とか清楚とかそういった類の言葉は見られなかった。
動物的で攻撃色の強い瞳の光が鈴雄にも確認できる。
「さっさとその玩具に乗り込んで猿山へ帰りなさいよ。怪我しないうちにね」
「な、な」
森本は口をぱくぱくさせた。
突然の朝香の豹変ぶりに言葉を失っているのだ。
「それにしても下らないものに乗ってるわね」
朝香はツカツカと車に近寄ると踵を振り上げてそのドアに強烈な蹴りを入れた。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
森本が叫び声を上げて蹴りを入れられた部分に飛びついた。
そして絶望的な声を上げた。
「傷がついてる!」
「傷がこわけりゃこんなものに乗らなきゃいいのよ。いやがる女の子を無理矢理車に乗せようとする。それが悪い事だってことくらい幼稚園生でも知ってるわよ」
森本は歪めた表情を朝香に向けた。
一旦理性が切れるとこの手のタイプは錯乱するのだろう。
拳を握り締めて朝香に向かった。
危ない!
鈴雄が慌てて飛び出したがそれは必要なかった。
朝香は只ものではない身のこなしでその拳をするりと躱すと軽く身を屈めた。
チ~~~~~ン。
手を合わせたくなるようないい音が響いた。
朝香の強烈なひざ蹴りが男のとっても大切な部分を直撃したのだ。
森本は自分のお守り袋を両手で押さえつつ顔面蒼白の状態でその場にへたりこんだ。
「女の子に暴力を振るおうとする。最低の男よね」
「ぐぐぐっくく」
森本は体を引き摺るようにして車へ乗り込む。
苦悶の表情のままエンジンをかけた。
「覚えてろよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
痛みを押し殺しての叫びか、掠れた捨て台詞が四月の清々しい空気を駆け抜けていった。
「どこいってもああいう馬鹿な男っているのよね」
朝香はポケットから取り出したゴムバンドで長い髪を束ねた。
活発さに拍車がかかる。
「さてと」
朝香は肩越しに振り返って鈴雄を見た。
その鋭い目つきに、鈴雄は戦慄した。
彼女が先程までのお人形さんのような少女と同一人物とはとても思えない気迫というものがあった。
「あんな奴に比べたらあんたの方が多少はマシだけど」
そこで朝香は鼻をフンと鳴らした。
「情けないわね。それだからワルガキ専の男はオカマだって言われるのよ」
刃物のような鋭い言葉は鈴雄の心臓をグサリと貫いた。
「さてと、鈴雄とかいったわね」
「は、はい」
「俺さあ。こんな形でも一応保母さん目指してるのよ」
「はぁ」
「でもさ。学生時代から馬鹿やってたような保母さんなんて世間が認める思う」
「さぁ」
「だから徹底的に猫かぶろうって決めてたわけ。でも意図してできるもんじゃないわね」
「はぁ」
「止めた止めた! 猫かぶるの止めたわ。たった一日でもうこりごり。十年分くらい疲れた」
朝香は大きく伸びをした。
「下手な猿芝居なんて疲れるだけって分かっただけでも今日一日は無駄じゃないわ」
朝香は言いたいだけ言うともう一度伸びをした。
鈴雄はというと最初抱いていた朝香のイメージと現実のギャップにいまだ精神の安定が保たれていない。
「それじゃ」
朝香は右手を突き出した。
鈴雄は埴輪のような顔をしている。
「男ならシャキッとしろよシャキッと!」
朝香は強引に鈴雄の手を握ると上下にぶんぶんと振り回した。
そして鋭い目を鈴雄に見据えたまま、
「俺の名前言ってみな?」
「はぁ」