スパイラルダイブ ①

 葬式が始まる。坊主どもが無重力の中でくるくると舞い踊り、首にるされた鈴がころころと鳴り響き、その音は幾重にもね返って、螺旋階段スパイラルの洞々たる闇の中に落ちていく。

 ほむら身体からだは身動きひとつしない。

 その周囲を坊主どもが踊り回る。闇には幾本ものびた鉄の鎖がはりめぐらされており、坊主どもはその鎖を足場として跳ね回り、あくりようとのぜつえんふだき散らしてけつかいを張り、宙で身をよじり、一心に、目まぐるしく踊っている。

 そうの間、死人は決して動いてはならない決まりだ。焰は、白いまりのように身体を固く丸めている。目隠しの中で目を閉じている。右の耳のピアスにはかいみようの書かれた名札が結びつけられている。長い尻尾しつぽをゆらりともさせない。尻尾をじっと動かさないでいるのは難しいことなのだが、こうして死体となるのもすでに十三回目であり、焰は慣れていた。なかなか堂に入った死にっぷりだ。

 螺旋階段は巨大な円筒形の空間で、直径が20メートル、長さが150メートル、トルクちゆうしんちゆうのそのまた中心にあり、重力はない。その名の通り、円筒の壁には長い長い螺旋階段がへばりついている。階段は円筒の底から数えて二千五百と五十二の段を刻み、百と三回の渦を巻いてようやくてっぺんにまで登り着く。

 その円筒のてっぺんのくうの闇に浮いて、坊主どもはほむらとむらっている。

 この場所から見る螺旋階段は、リング状の巨大な歯車の連なりが詰め込まれた巨大などうくつに見える。階段の途中には踊り場がいくつもあって、四方八方へと枝分かれする通路がぽっかりと口を開けている。それら「洞」と呼ばれる開口部には今、ただ一匹の猫の姿しかない。階段のてっぺんにほど近い小さな洞に、背の高いロボットを連れた茶色の子猫がいて、坊主どもが焰のそうを進める様をじっと見つめているのだ。しかし、他にいくらもある大小の洞に、他の猫の姿はまるでない。

 これは異常な事態だと言える。

 せっかくのスパイラルダイブが──それも、空前絶後の大一番が、あといくらもしないうちに始まるというのに。

 焰と坊主どもの頭上には、大きさの異なる四つのシャンデリアが浮いている。鋼鉄製の丸くて無骨な枠にロウソクを幾本も突っ立てただけの代物だが、真ん中には歯車がむき出しの機関部らしきものがあって、その上と下では大きなファンがゆるゆると回転している。このファンが周囲の空気をかき混ぜているおかげでロウソクに酸素が供給され続け、丸っちい炎は無重力の中にあってもどうにか燃えていられるわけだ。シャンデリアそのものが回転してしまわないように、上下のファンは互いに逆の方向に回ることで発生するトルクを打ち消し合っていた。

 鈴をごろごろ鳴らしておどっていた坊主どもが、今度はメートル波で経を唱え始めた。

 いつものことでもあるし、ありがたいことには違いない。が、焰にはどうにもうるさくてたまらない。目隠しに隠れているけんに力がこもる。動かすまいと務めている尻尾しつぽかすかに波打つ。とはいえ、まさか本当に文句をいうわけにもいかない。何と言っても、坊主たちは自分のために祈ってくれているのだから──死んだら迷わずきゆうへ行けるように、と。

 そうなのだ。

 今度こそ自分は負けて、死ぬかもしれない。

 今度の相手は、今までとは違うのだ。

 まだら・千二百九十九番。

 過去四年にわたって「多爾袞ドルゴン」の座に君臨し続けている、史上最強のスパイラルダイバー。

 斑を相手に十三回目のダイブをやると決めたとき、だれもが焰を止めた。ここまできただけでも立派なもんだ、なぜ死に急ぐようなまねをする、悪いことは言わないからやめておけ──誰もがそう言った。斑はそれは恐ろしい顔をしているんだぞ、気の弱い子猫などその顔にひとにらみされただけで死んでしまうんだぞ──そう言ったやつもいる。斑は怒ると炎の息を吐くと聞くぞ、お前などあっという間にお粗末な消し炭にされてしまうぞ──そう言った奴もいる。斑はその頭の先と尻尾しつぽの先とでは天気が違うほどの巨体だと聞くぞ、お前など、まだらの毛皮の中にいるノミに食われただけで死んでしまうぞ──そう言ったやつもいる。それ以外にも耳にタコができるほど聞かされた、数え切れないほどの「お前など」「お前など」「お前など」。

 それでもほむらは、斑に挑戦状をたたきつけた。


「あやつき髑髏しやれこうべ」と呼ばれる、古い作法に則った挑戦状だった。自分のくそを尿で溶き、それを右の前足に塗っててん使がいこつひたいの部分にぺたりと足跡をつける。その頭蓋骨に腐ったネズミのがいを添えて、空中楼閣の赤かびの老木の根元に置いてきたのだ。

 トルクがひっくり返るような騒ぎになるかと思いきや、周囲の反応は「とうとうやっちまったか……」という重ったるいあきらめだった。知り合いは回廊で焰に行き会うと、目をそらすか、「お前はいい奴だったよ」みたいなことを言うか、借りていた物を返すかだった。

 ふと、だれかの尻尾が焰の頭をで、目隠しを取り去った。

 それでも焰は目を開けない。

 声がした。


『で、どうだ、勝算はあるのか?』


 目を開ける。

 気がつけば、きようはいつの間にか終わっていた。すぐ目の前には、よぼよぼの坊主が浮いている。周囲には他の誰の姿もなく、き散らされた札が闇に漂っているばかり。焰の知らぬ間にそうは終わってしまったようだ。目の前にいるこのよぼよぼの死にぞこないだけを残して、他の連中はとっとと引き上げてしまったらしい。


『──死人と口を利いていいのかい?』

かまわんさ。ぬしほどの向こう見ずが、死んでわしのようなおいぼれにたたるとも思えんからの。これ幸いときゆうへ飛び降りて、歴代のスパイラルダイバーに片っ端からケンカを売るつもりじゃろが。違うか?』


 この死にぞこないの坊主はどうやら、ずいぶんくだけた奴らしかった。長いこと目を閉じていたせいで視界がぼやけ、四つのシャンデリアが投げかけるぼんやりとした光の中、暗い色の毛皮をした坊主の笑みはまるで幽霊のようににじんで見えた。

 焰はうるさそうに答える。


『──向こうが突っかかってくればだけどな』


 坊主は笑う。


『坊主にうそをつくと尻尾を引っこ抜かれるぞ。何があろうとなかろうと、ぬしは自分より強い奴を見れば突っかかっていくじゃろうよ』


 かもしれない、と焰は思う。

 見れば、坊主は額の電波ヒゲの周囲の毛を星型にり抜いており、右の耳に大きな耳飾りを三つもつけ、尻尾の先には見るからに偉そうな大きな鈴を下げている。こいつそうじようさまなのか──ほむらは少しだけ驚いた。下っ端の坊主がすいきようで居残って自分をからかっているのかと思っていたのだ。そうじようともあろう者が、死人である自分に一体何の話があるのだろう。


『──で、何の話だっけ』

『だから、勝算じゃ勝算』


 一瞬だけあつにとられ、次いで馬鹿馬鹿しくなって、


『ねえよバカそんなもん。あるわけねえだろ。スパイラルダイブにそんなもんがあったためしはねえよ。そんなもんがあったら勝負の意味がねえだろうが』


 それを聞いた坊主は目を丸くした。顔を近づけ、


『するとあれか、まったくの無策というわけか?』

『決まってるだろ。相手のことなんにも知らねえのにどうやって作戦立てるんだよ』

『しかし、そうは言っても何かあるじゃろう、例えば──』


 と言ったきり坊主は考え込んでしまう。いくら僧正でもしょせんは坊主であって、戦いの機微などまるでらちがいのことなのだろう。首をかしげ、尻尾しつぽの先に下げた鈴をいらたしげに振りながら、いつまでも考え込んでいる。

 強引に続きを引き取った。


『──例えばさ、何でもいいや、尻尾を踏んだとか踏まないとかで、全然知らねえだれかとマジんなってケンカしたとするだろ?』

『うむ』

刊行シリーズ

猫の地球儀 その2 幽の章の書影
猫の地球儀 焔の章の書影