スパイラルダイブ ②

『で、どっちかが死ぬより先に勝負がついたとする。かたっぽの勝ちで、かたっぽの負けさ。負けた方はくやしいもんだから仕返しを考える。いっぺんやり合って相手の手のうちがある程度はわかってるから、当然そいつは作戦を立てるよな。背中を引っかいても効き目がなかったみたいだから、次は腹を引っかいてやろうとか。尻尾にみついてもだめだったらから今度は耳に嚙みついてやろうとか』


 坊主は口を挟まずに話を聞いている。焰はなんだかきまりが悪くなった。


『──やめ。坊さんに説教するなんてあべこべだ』

『いや、なかなか面白い。続きを頼む』


 そう言う坊主の口調に馬鹿にしたようなところは少しもない。ためらいながらも焰は先を続けようとして、


『──何だっけ』

『尻尾に嚙みついてもだめなら耳に嚙みつくんじゃ』

『そうそれ。仕返しをするんだよ。てめえこないだはよくもやってくれたなってわけさ。で、もういっぺんケンカする。かたっぽが勝ってかたっぽが負ける。負けた方は作戦を練ってまたケンカをしにいく。これの繰り返し。そいつらがどれくらいバカかにもよるけど、そんなこと繰り返してたらしまいにゃどうなると思う?』


 問われた坊主は、まったくの真剣に問い返した。


『──どうなる?』

『決まってんだろ。やるたんびにケンカの真剣味がどんどん薄れて、しまいには友達になっちまってケリさ。「なかなかやるな」「お前もな」ってやつだ。相手の手のうちを読もうとしてのべつ頭をひねってりゃあ、相手の都合もわかっちまうし、相手をやっつけなくてもすむ方法だって見つかっちまうんだよ』


 坊主は沈黙している。


『これでわかっただろ? 作戦なんて二度目三度目のケンカからのもんだし、そんなもんが少しでもからみ始めたが最後、それはもう本当の勝負じゃあなくなっちまうんだ。どこのだれともわからない、引っかきが得意なのかみつきが得意なのかもわからない、まるでたいの知れない「そいつ」とやり合う最初の一回目だけが本当の勝負だ。それ以降はみんな求愛ダンスみたいなもんさ。相手のことは何もわからない、手のうちも知らない、だから作戦も立たなきゃ同情のしようもない、同情のしようがないからどんなことをしてでも相手に勝ちたいと思う、そういう最初の一回目だけが本当の真剣勝負なんだよ。本当におっかないのも、本当に真剣になれるのも、その最初の一回目だけなんだよ』


 坊主は沈黙した後に、ぽつりと尋ねた。


『──まだらに負けたらどうするつもりじゃ。その言い草ではよもや二度目はあるまい』

『ああ、二度目なんかねえさ。相手は音に聞こえし多爾袞ドルゴンサマだ、そんときゃおれはきゆうにいるよ』


 坊主は唇をめ、目を細め、あきらめきったように一度うつむいた。再び上げたその顔には笑みがあり、


『のう、スパイラルダイバーなぞやめにして坊主にならんか? ぬしの話は面白い』


 ばぁか、坊主になぞ誰がなるか──ほむらはうんざりと思う。


『よそのネズミは太って見えるのさ』


 話をすることが得意だなどと思ったことはない。聞く耳のある者には別の世界の話は何であれ、たいてい面白いのだ。焰はぷいとそっぽを向いて螺旋階段スパイラルの奥のとある洞に視線を向けた。

 そして、ちょっとだけ驚いた。

 ──あいつ、まだいたのか。

 茶色の子猫は、まだその洞にいた。ひょろりと背の高い、間抜けな面つきのロボットと一緒に、こちらをじっと見つめている。

 焰が階段入りしたときにはすでに、子猫はその洞に陣取っていた。それからすぐに焰は目隠しをされ、葬式が始まり、その葬式はいつのまにか終わって、クソ坊主のなれなれしい話に付き合って、ふと気がつけは子猫はまだそこにいる。シャンデリアの弱い光を受けて、子猫のふたつの瞳が闇の中で薄赤く光っている。

 しかし、それだけだった。

 茶色の子猫一匹と、ひょろ長いロボットが一体いるだけ。螺旋階段スパイラルの他のどの洞にも、だれの姿もない。

 トルクで最も人気のないスパイラルダイバーは誰かといえば、それは他でもない──ほむら・二千五百三十三番である。

 そのことは焰とて自覚しているし、大して気にしてもいない。が、さすがの焰もここまで閑散とした螺旋階段は初めてだった。焰がこれまでに勝ち抜いてきた十二回のダイブにだって、それなりの数の見物客はいたのだ。もちろん、それなりの数といっても知れたものだったし、そうした見物人たちも焰ではなく焰の対戦相手を見に来ていたのだろう。とはいえ、寝っこけていようがめすといちゃついていようが、洞にいる以上は一応は見物客である。螺旋階段のどの洞にもダイブを見物する猫たちの瞳が点々と輝き、猫たちの連れのロボットが手にしている発光細菌を詰めたランプの明かりが、螺旋階段全体をうすぼんやりと照らしていたものである。

 これまでは、だ。

 しかし、十三回目の今は、この有様だ。

 当然だと焰は思う。なにしろ、丸っきり人気のない自分が、無謀にも恐ろしい怪物であるまだらと対戦するのだ。見物客にしてみれば、この場にいるべきではない理由は三つある。まず、焰の戦いなど見る気もしない。次に、恐ろしい怪物である斑などと同じ場所にいたら命が危ない。最後に、結果は知れきっているのだからわざわざ見る必要などない。

 かまうものか、と思った。

 見物客のために戦うのではない。

 しかし、茶色の子猫はまだそこにいて、焰をじっと見つめている。

 いきなり、焰はまっすぐに子猫をにらみつけ、にたりと笑いかけてやった。

 子猫はね上がって驚いた。不用意に跳ね上がったので、小さな身体からだが洞の天井近くまで浮き上がってしまった。それを見たロボットがあわてて子猫を捕まえる。が、パニックに陥ってわけがわからなくなっているのだろう、子猫は恩知らずにも自分を捕まえてくれたロボットの顔面をばりばりとかきむしり、ロボットの頭上をり抜けて、通路の奥へと逃げ込んでしまった。ロボットはおろおろし、両目を間抜けな感じにぴかぴかと光らせ、がしゃんがしゃんと子猫の後を追う。

 かたわらで一部始終を見ていた坊主は苦笑して、


『──意地の悪いやつじゃのう。最後にただひとり残った見物客だというに』

『いいさ』


 焰は子猫とロボットが逃げ込んだ通路の闇をすかし見る。

 どうせいないなら、見物人などいっそ一人もいない方がよかった。


『そんなことはいいんだ。それよりもさ、多爾袞ドルゴンサマが出張ってくるにゃまだ少しあるだろ。説教聞いたらちゃんとたくはつよこせ。今度はそっちのネズミの話をしてくれよ』


 ほむらはそう言って頭上を見上げた。坊主は焰の視線の先を追う。


『あの四つの浮きしよくだいは、宇宙の構造を表しているんだろ──』


 焰と坊主の頭上の闇の中には、大きさの異なる四つのシャンデリアが浮いている。八枚のファンが静かに闇をかき混ぜる音が聞こえる。鋼鉄製の丸い枠はロウソクの光と闇に負けて目には映らず、四つの丸い星座が夜に浮かんでいるように見えた。


『──おれはさ、死んだらさ、おれの魂はさ、』

きゆうへゆく』


 坊主は答えた。


『ぬしは見たことがないかもしれんが、魂が地球儀のしようてんりよくに引かれて落ちていくところは、我ら生きた猫の目でも見ることができる。特に、トルクが地球儀の夜の側にあるときにはな。光り輝く魂が長い軌跡を引いて、たいそうな早さで流れ落ちていく様がはっきりと見えるぞ。落ちていく魂がなぜ光るかというとな、地球儀のしんに触れた魂のけがれが燃えるからだ。つまり、より汚れた魂ほどよく光るということになるな。──こういう話はつまらんか?』

『いや』

はるかな昔、トルクにはてん使と猫が住んでいた。天使はごうまんにも、自らの姿に似せた生き人形をこしらえた。この生き人形とは今で言うロボットであるが、天使のこの傲慢な行いに神なるは怒り、滅びの使徒である三つのとひとつのを遣わして、天使をひとり残らず滅ぼした。トルクの遥か外側を回っておる月は、滅びの使徒が残した天使の墓標じゃ。墓標は忌むべきものであるからして、こうした葬儀の場においても月を表す浮き燭台が用意されることはない。ここまではよいな?』


 焰が目でうなずくと、坊主は眠たそうに尻尾しつぽを動かし、頭上の闇に浮いているシャンデリアのひとつを指した。尻尾の先にられた鈴がからりと鳴った。

刊行シリーズ

猫の地球儀 その2 幽の章の書影
猫の地球儀 焔の章の書影